第6話 バイクと桜

***

 それから一週間。四月半ばに盛岡でも桜が満開となった。週末の土曜日、やることがなかった……というより父さんと母さんの雰囲気がよくなくてあまり家に居たくなかったので、僕は散歩がてら桜を見にいくことにした。

 僕は上盛岡駅かみもりおかえきの近くのマンションに住んでいる。

 ここから行ける花見スポットとしては、高松の池か岩手公園のどちらかがちょうどいい距離だ。

 バイクに乗ればもう少し先、例えば厳美渓げんびけいとか小岩井農場の桜も見てみたいところだけれど、僕はバイクの免許を持っていない。

 高松の池は、上田通りをまっすぐと進みNHK前の交差点を渡った先の小高い山の麓にある。ここから歩いて二十分くらいだ。名前の通り池があり、その池を囲むように周りに桜が咲いているのだ。スワンボートが貸し出されていて中高生の定番デートスポットとなっている。

 天気が良いと広大にそびえる岩手山もみることが出来て、空の青と白い雪が残る岩手山、それから満開に咲くピンクの桜が美しい。……と言っても僕は中学一年か二年の頃、家族と行ったきりだけれど。

 一方、岩手公園は高松の池とは反対側、市街地の中心にある公園で、正式名称は盛岡城跡公園という。公園内の歩道両脇に桜の樹が植えられており、座って宴会をしている人もいる。こちらもここから徒歩で二十分くらいだ。

 どちらに行こうか迷ったが、なんとなく岩手公園の方にした。

 僕は自室から出てリビングに行った。母さんも父さんもリビングにいた。

 母さんはダイニングテーブルでスマホをいじっていて、父さんは居間のソファでスマホをいじっている。

 二人とも無言だ。

「まだ、ケンカしてるの?」

 僕は小声で母さんに尋ねたけれど、母さんは言葉を発さずに、父さんの方を見てあからさまに嫌な顔をして見せた。

 父さんが振り向く。母さんはスマホに目を移した。

「おー大地。母さん機嫌悪いから話さん方がいいぞ」

 父さんは母さんにも聞こえるようにわざと大きな声で言った。母さんは「ふんっ」と声を鳴らしたかと思うと席を立ち、「ちょっと出かけてくる」とバタバタと玄関に行ってしまった。

「あ、ちょっ母さん……」

「いいよ。放っとけ」父さんが声だけこちらに向けた。

 乱暴に扉が閉まる音がした。

「母さんとケンカしたんでしょ?」

「まあな。ただ一方的に向こうが悪いだけだがな」

「何があったの?」

「お前が心配することでもないさ」

 父さんも僕には教えてくれない。

「それより大地。お前もそろそろバイクの免許取ったらどうだ? お前と早くツーリングしたいな。約束したろ?」

 原因はなんとなく想像がついていた。ふたりが喧嘩するときはいつも同じことだったから。そう、たぶん、このバイクのことなんだ。

「俺、今年受験生なんだけど」

「ま、免許はそれが落ち着いてからだな」

 バイクに乗るのが父さんの趣味なんだけど、バイク整備に結構お金を使っているみたいなのだ。それから趣味ばかりで家事を全然しない、ということを前に母さんがボヤいていた。

 子どもの頃、父さんと一緒にガレージにいってバイク整備をずっと見ていた。

 父さんはいつも「大きくなったら一緒にツーリングしような」と言っていた。

 僕もそのつもりだし、本当は昨年の夏休みに原付きの免許を取ろうと思っていたのだが機会を逃してしまったのだ。


 だから母さんの言い分も分かるけれど、父さんの好きな趣味をなくしてしまうのも違う気がして、たぶん程度の問題なのだろうけれど、どちらか一方が悪いということではなさそうなのだ。

「今日もガレージ行ってくるかな。お前もくるか?」

「いや、今日はいい。これから出かけるし」

 そうか。と父さんは寂しそうに呟いた。


 外に出るとひんやりと冷たい風が頬に当たった。だけれど太陽が出ているので寒さは感じない。春らしい清々しい天気だ。

 一両編成のローカル電車が通る山田線の踏切を越え、上田通りをまっすぐと歩く。

 レストラン「ユキノヤ」の交差点を右に曲がり、さらにまっすぐと歩く。中央郵便局を過ぎると、片側二車線の一際大きい通りに出た。中央通りだ。

 夏にはこの通りを封鎖して、日本一の太鼓祭りである「盛岡さんさ踊り」が開催されるのだ。「サッコラ、チョイワヤッセ」という掛け声とともに太鼓の音が夏の夜に響き渡る。

 中央通りを歩いていくと、通りに人だかりが見えてきた。盛岡地方裁判所の前だ。

 ここには国の天然記念物にも指定されている有名な桜がある。少し寄り道して覗いてみることにした。

 地方裁判所構内のロータリー部分まで歩くと、中央に大きな桜が咲いていた。高さはそこまでなく、枝は四方、横に広がるよう伸びていて、そこから薄ピンク色の桜が咲き乱れている。枝が折れないように添え木がされていた。

 樹齢何年なんだろう。少なくとも数十年では形成できないような複雑で不思議な形をしていた。

 見上げる人もいれば、近寄って根本付近をじっくりと見ている人もいた。

 根本付近には大きな岩が転がっている。どのくらいの大きさかというと、モアイ像を横に倒したぐらいだと思う。見たことないから分からないけれどたぶんそんな感じだ。

 そして桜の樹木は、その岩を割るように生えているのだ。

 そう、これが盛岡市民なら誰でも知っている「石割桜いしわりざくら」だ。

 数センチレベルの狭い岩の割れ目から樹木を伸ばし、岩の上でドスンと大きな樹木となり、一年に一回、桜を咲かせる。

 とても神秘的で、とても荘厳で、生命力の強さを感じる桜なのだ。

 僕は周りの見物客と同じようにスマホで石割桜の写真を撮った。

 小学生の頃、母さんと父さんと来たな、と思い出す。高松の池もそうだが、普段あまり行くことがないので、思い出といえば小さな頃、家族と行ったものばかりだ。

 さて、岩手公園に向かおう。

 岩手公園も何度か家族と行った。花見の時だったか、夏祭りの時だったか、あまり覚えていないけれど、くじ引きの出店が出ていた時があった。

 僕はそのくじ引きがしたくて母さんにねだったことがあった。大した賞品じゃなかったのだろうけど、小学生の僕にはすごく輝いていて、手に入れたくて、母さんからもらったお小遣いでくじを引いたんだ。

 くじなんて当たるわけもなく、すぐにお小遣いは無くなってしまった。

 もっとしたくて母さんにねだったんだけど、もうダメだと言われた。そうしたら父さんがコソッと僕の手を握ってきた。その手にはジャラジャラと小銭が一緒に握られていた。

 それで泣きの一回、くじを引いたけど、欲しかったものはやっぱり当たらなかった。

 何が欲しかったのか覚えてないし、結局当たらなかったけれど、こうして思い出だけは僕の頭の中に残っている。


 歩いているうちに盛岡城跡の石垣が見えてきた。城跡という名前の通り城はなく、石垣だけが残されている。この石垣は中学の美術の授業で写生しに行ったことがある。

 しっかりと組み上げられた石垣で、昔の人は機械もない中よく作ったな、と妙に関心して見ていたのを覚えている。

 写生の授業はノリも一緒で、石垣の角が入る構図の場所に座ってふたりでスケッチをした。

 水彩絵の具で影の濃淡を出すのが難しくて、何度も色を足しているうちに、立体感が全くなくなり、写生とはほど遠い現代アートのような絵になってしまい、ノリに思いっきり笑われたのだ。


 石垣沿いを歩くと、ちらほらと桜の木が立ち並んできた。この上には歩道の両脇にたくさんの桜の木が植えられている。この感じだと満開の桜が期待できそうだ。


 石垣の横の坂道をゆっくりと上がる。

 さわさわさわ、と風が吹き桜の花が舞降ってきた。お花見だろうか、人々の楽しそうな声が聴こえてくる。

 坂を上り切ったところに満開の桜が広がっていた。桜並木には空が見えないくらい桜が咲き誇っていた。

 綺麗だなあ。

 さわさわさわ、とまた風が吹く。

 スマホを取り出して桜を撮った。あとでノリに写真を送ってやろう。


「あれ? 佐々木くん!?」

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