光合成仮面

しけたら海

第一話 光合成人間

 校庭に女子たちの悲鳴がひびわたった。それもそのはずである。校庭のバックネットにはだかの男がいたのだから。それも全裸ぜんらである。全裸の男がまるで虫のようにネットをよじ登っていたのだ。しかも真夏の元気なGのようにカサカサと素早いのだから、よりいっそう気持ちが悪い。

 女子たちだけではない。男子や担任の先生までもが悲鳴を上げた。このさわぎはまたたく間に校舎の中にも広がって、職員室でも先生たちが何ごとかと窓の外をのぞき始めた。


「教頭先生! 校庭が大変です!」

「そんなことはわかっている! 何ごとか説明したまえ!」

「光合成人間です! 光合成人間が、ついに、我が校の校庭に現れてしまったのです!」

「な、なんだって?」

 教頭先生が窓にけ寄ると、バックネットをカサカサとよじ登っている全裸ぜんらの男の姿が目に入った。

「大変だ……」

 そこにさわぎを聞きつけた校長先生が入ってきた。

「何ごとですか! 状況じょうきょうを説明しなさい! 教頭先生はどこですか!」

「あそこです! 窓際にいます!」

 教頭先生はすっかりあわてている様子だった。

「大変です校長先生、ついに……、ついに我が校にも現れてしまいました……」

「何をもったいぶったいい方をしているのですか! だからあなたは駄目だめなのです! まずは要点をいいなさい! 一体何が現れたというのですか!」

「光合成人間です! ネバーウェアです!」

「ネバーウェアですって? 教職員たる者が『ネバーウェア』などとネットスラングを使うことは許しません!」

 校長先生は教頭先生を厳しくしかりながらツカツカと歩み寄ると、窓際に立った教頭先生の肩越かたごしに、バックネットを元気にはっている全裸ぜんらの男の姿を目撃もくげきした。

「た、たいへん……」

「校長先生、どうしましょう……」

「何をもたもたしているのですか! 生徒の安全が第一です! まずは生徒を避難ひなんさせなさい! 佐藤さとう君、あなたは110番をお願いします!」


 校庭では五年生のクラスが体育をしているところだった。担任の先生が子どもたちを校舎へ避難ひなんさせようとがんばっていたが、大変なパニックだったため、男子生徒が一人、校舎ではなく倉庫の裏にかくれたことに気づかなかった。その男子生徒は五年二組の明智あけち光成みつなりだった。


 かれはあたりを気にしながら全裸ぜんらの男を注意深く観察し始めた。

「警察とウ○コうまるこwが来るにはもうちょっとかかるか? 何ごともなく五年二組のヤツらが避難ひなんできればいいんだが。場合によってはここでテイクオフするしかないか……」

 明智あけち光成みつなりはそう考えながら地面の草を一本むしり取った。そして、草を指でつまんだまま、注意深くはだかの男の観察を続けた。


 はだかの男はバックネットの一番高いところに着くと、足の指だけでネットをつかみ、奇妙きみょうにバランスを取った姿勢で日光浴を始めた。まるでホットヨガをしているようにも見える。

「パンツすらはいていないとは見事な全裸ぜんらだぜ。それにしても暑いなあ。なんて日差しだ。全裸ぜんらでこの日差し。こいつはかなり光合成しているぞ」

 明智あけち光成みつなりは額から流れる汗をぬぐった。太平洋高気圧に日本列島がおおわれた夏の真っ盛り、この日は蒸し暑いだけでなく日差しも強烈きょうれつだった。

「今のところ暴れる様子はないが、能力によってはかなり危険だぞ、この日差しは。何か特殊とくしゅな能力がないか、注意深く観察しとかないと」

 校庭のバックネットはコンクリートの柱に固定されているものの、ネットの最上部に二本足で直立することなど、アスレチックの得意な児童でも普通ふつうはできないだろう。しかし、この男は見事に立ち上がった。足の指で器用にネットをつかみ、まるでバレエダンサーになったつもりのような気取ったポーズで。全裸ぜんらの男がである。強烈きょうれつな日差しを浴び、気持ちよさそうにほほ笑みをかべながら。これほど気持ちの悪いことがあるだろうか。教室から女子たちの悲鳴が上がった。

「こいつはかなりキテるな」

 全裸ぜんらの男はバレエダンサーのように華麗かれいなステップを始めると、コンクリートの柱に音もなく飛び乗った。そして次の瞬間しゅんかん、男の姿が消えたかと思うと、となりの柱に移動していた。一瞬いっしゅんで。

「ワープか! いやちがう。おれには見えた。ヤツがジャンプするのが。ワープのような特殊とくしゅ能力ではないな。異常に光合成して極限まで素早くなっているだけだ。こいつはかなり光合成してるぞ。めちゃくちゃチャージしている。今のヤツは一瞬いっしゅんで人を殺せるにちがいない。ウ○コうまるこwはまだか! マジでヤバいぞ!」

 明智あけち光成みつなりは指でつまんでいた草をそっと口でくわえた。

「ここでテイクオフするか?」


 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。ちょうどその時である。一人の女性が大声を上げて校庭にんで来た。

明智あけちくーん! 明智くーん! 校庭にいたら返事して!」

 明智あけち光成みつなりの担任の先生である。

「バカヤロウ! おれの心配なんかよりも自分の心配をしやがれ!」

 明智光成はそう心の中でさけぶと、光合成人間の行動を注視した。光合成人間は調子にのってバックネットの柱の上で瞬間しゅんかん移動をり返していたが、担任の先生が校庭でさけんでいることに気づくと、次の瞬間しゅんかん彼女かのじょの目の前に移動していた。

「きゃあー!」

 先生はあまりの出来事にさけび声を上げてしまった。

「お前、アケチくんっていった? ねえ、アケチくんってだれ? お前の教え子?」

 光合成人間は先生に顔を近づけてこういった。

「お前、教え子が心配で出てきたのか? そうなのか?」

 目をまん丸に開け、まったくまばたきしなかった。あせがしずくとなって流れている。それが泣いているようにも見えた。うみのたまった出来物が口もとにあり、歯も何本かないようだった。

「まずい!」

 明智あけち光成みつなりが決心して草を口にくわえたその時、緑色の人影ひとかげが現れて、光合成人間をき飛ばした。


 校舎から歓声かんせいが上がった! 子どもたちの声援せいえんを背に、筋肉にぴったりとフィットした緑色の服に身を包んだ男が立っていた。百九十センチ以上はあるだろうか、大きな男だった。

「マジ? ウ○コうまるこだ! ウ○コが来た! マジすごくね?」

 子どもたちは興奮していた。子どもたちから「ウ○コ」と呼ばれた男は、正式名を「the Universeユニバース Ofオブ Knowlegeナレッジ」、略して「UOKw」という、反社会的な光合成人間と戦う部隊の隊員だった。

 子どもたちが「UOKw」を「ウ○コうまるこ」と呼んでいるのはなぜだろうか。その訳は、子どもたちに人気のユーチューバーが、「『UOKw』って、『ウ○コわら』に見えね? 草なんだけどw」といったのがきっかけで、子どもたちの間だけでなくネット全体で「ウ○コwうまるこわら」、あるいは単に「ウ○コ」という呼び方で定着してしまったからなのだ。ちなみにテレビなどの報道では、「UOKw」を「ウアック」または「ウアックゥ」などと発音している。

 これを受けて政府内でも「w」を小文字にしたことは失敗だったのではないかという意見が出てきていた。「w」を小文字にした経緯けいい詳細しょうさいは不明であるが、とある影響力えいきょうりょくのある国会議員が「SDGs」のように最後の文字を小文字にしたらカッコいいのではないかといったことから始まり、名称めいしょう決定に関わったベテランの議員たちも、ネットスラングにくわしくなかったこともあって、若手からの猛烈もうれつな反対をし切って、よりによって「w」を小文字にしてしまった、という説が最有力視されている。


 子どもたちの声援せいえんを背に、そびえ立つウ○コうまるこw隊員は太い声で担任の先生に声をかけた。

「もう大丈夫だいじょうぶです。ここは危険ですから早く避難ひなんしてください」

 恐怖きょうふで固まっていた先生は、安心したためにへたへたとたおんでしまった。

「生徒が……、生徒が一人見当たらないんです」

「わかりました――」

 ウ○コうまるこw隊員がそういいかけた時、光合成人間の姿が消えた! それに気づいて隊員も瞬時しゅんじに動くと、二十メートルほどはなれた場所で二人が組み合って姿を現した。ウ○コw隊員の方がはるかに大きい。しかもスピードも早い。光合成人間がなぐりかかるも、これをたくみにかわし、再び二人の姿が消えた。次に光合成人間が姿を現した時には、バランスをくずして地面にたおむところだった。校舎から子どもたちの歓声かんせいが上がった!

 ウ○コうまるこw隊員が立ち上がろうとする光合成人間にタックルをしかける! しかし、全裸ぜんらで絶好調の光合成人間である、とっさに身をかわす! すぐさま別の角度からタックルをしかける! その大きな体格からは想像もできないスピードだ! タックルの連続攻撃れんぞくこうげき! たまらず光合成人間は姿勢をくずし、たたかいは寝技ねわざに持ちまれた!

 まるでオリンピックの試合のような大歓声だいかんせいだった。ウ○コうまるこw隊員のチャンスに子どもたちは一斉いっせい声援せいえんを送った。一年生から六年生までのすべての教室から。

 たおれた光合成人間は抵抗ていこうして暴れ出すも、ウ○コうまるこw隊員はたくみに姿勢を変え、ついには完全におさむことに成功した。子どもたちの声援せいえんが一段と大きくなる。強い日差しを浴びて極限までスピードとパワーを上げた光合成人間だったが、ウ○コうまるこw隊員の体格と高度なテクニックの前に成すすべがないように見えた。しかし、ポジションが少し悪かった。スポーツとしての柔道じゅうどうやレスリングであれば問題にならないことなのだが、相手が全裸ぜんらの男であることが悲劇の始まりだった。おさんでいるウ○コうまるこw隊員のちょうど顔の近くに、「それ」があったのだ。男性の両足の間でブラブラしているヤツである。暴れれば暴れるほどブルンブルンと予測できない動きをした。ウ○コうまるこw隊員はプロフェッショナルとして冷静を保っていたが、相手は最高に光合成パワーをチャージした光合成人間である。強烈きょうれつなブリッジで返してくるところをおさもうとしたその時、ウ○コうまるこw隊員の顔面がモロにヤツとくっついてしまった。猛暑もうしょあせばんだヤツである。その感触かんしょく一瞬いっしゅんひるんでしまうには十分だった。全力のブリッジでウ○コうまるこw隊員ははね飛ばされてしまった。

 校舎から悲鳴が上がった。それをあざ笑うかのように光合成人間はブリッジの姿勢のまま体をふるわせた。全裸ぜんらの男がである。なんと気持ちの悪い光景だろうか!

 ブリッジの姿勢のまま上半身をゆっくり起こすと、口が大きく開かれていた。心なしか口元に火花が散っているように見える。明智あけち光成みつなりはいち早く異変に気づいた。

「光合成プラズマか! ヤツはやはり『能力持ち』だ! これはマズいぞ!」

 光合成人間の口から稲妻いなずまのように光る球体が発射された! それがモロにウウ○コうまるこw隊員へ命中した!

「やられたか!」

 いや、やられていない! ウ○コうまるこw隊員はガードするようにうでをクロスして立っていた!

「光合成シールドか! この隊員も『能力持ち』だったのか! とはいえ、あの隊員は大丈夫だいじょうぶだとしても、乱射されるとヤバいぞ!」

 光合成人間は息を大きくむと、闇雲やみくもにプラズマをき始めた! ウ○コうまるこw隊員はガードして防いだが、一発が校舎に当たってしまった! 窓ガラスが割れる音とともに子どもたちの悲鳴が上がった!

「マズい!」

 さらに一発が、おくれた担任の先生の方へ!

 雷鳴らいめいとともに閃光せんこうが走った! そこにはもう一人、緑色のユニフォームに身を包んだ人影ひとかげがあった! その人影はけんを持っていた! 稲妻いなずまのように光る剣を!

「光合成ブレード!」

 細身の隊員だった。稲妻いなずまのようなけんを持ったその姿には、あらゆるものを電光石火で切りきそうな迫力はくりょくがあった。光合成人間はまたしても大きく息をむと、プラズマのボールをき散らかした。それを雷鳴らいめいとともにすべて打ち返す!

「ゴウ! 光合成プラズマは私にまかせろ! お前はヤツをつかまえてくれ!」

「わかった! サクラ! まかせたぞ!」

 「サクラ」と呼ばれた隊員は、かみをボーイッシュに切っているので一見すると男に見えたが、よく見てみれば女だった。そして、居合いあいきの達人のような素早さで、正確に、光合成プラズマを打ち返す! かんぱつ入れずに「ゴウ」と呼ばれた隊員も高速タックルをり出す!

 子どもたちの歓声かんせいが最高潮に達したその時、光合成人間の全身からプラズマが放出され、雷鳴らいめいとともに地響じひびきが起きた! タックルをしかけたゴウ隊員はとっさにガードしたものの、あまりのパワーにき飛ばされてしまった! そして、光合成人間は一瞬で姿を消した!

「くそ! げられたか! なんてパワーとスピードだ!」

 ゴウはバックネットの柱に飛び乗ってあたりを見渡みわたしたが、完全に見失ってしまった。


 校舎から歓声かんせいがわき上がった。サクラ隊員は光合成ブレードをしまうと、担任の先生に声をかけた。

「もう大丈夫だいじょうぶです。怪我けがはありませんか?」

「ありがとうございます。私は大丈夫です。明智あけちくんは? 明智くんはどこ? 生徒が一人いないんです!」

 先生は立ち上がると大声を張り上げた。

「明智くーん! どこにいるの! いたら返事して!」

主月しゅげつ先生! 大丈夫ですか!」

 教頭先生が校舎からけ寄って来た。

「いやあ、あぶなかったですね~。校舎の方も一発だけ理科室にくらって窓ガラスが割れましたが、理科室にはだれもいなかったので全員無事でした。主月しゅげつ先生は大丈夫だいじょうぶでしたか?」

「私は大丈夫です。校舎のみんなも無事でよかった! ただ、生徒が一人いないんです!」

「なんですって!」

 明智あけち光成みつなりはこの様子を倉庫裏から見ていた。

「そろそろ出ていかないとマズいか」

 そういって、先生たちに向かって走り出した。

「センセー! ごめーん! ぼくはここだよー!」

「明智くん! そこにいたの! 大丈夫? 怪我けがはない?」

かくれてたからぜんぜん大丈夫だいじょうぶだよ。とっさに近くにあった倉庫の裏にかくれてたんだ」

「みんな校舎にげてって、先生大きな声でいったじゃない! 聞こえなかったの!」

「ううん、聞こえてたよ。でも、こわくて動けなかったんだ」

 これを聞いて主月しゅげつ先生は雷に打たれたようにハッとした。

「そうだよね……、ごめんね、明智くん、怖い思いさせちゃって! ごめんね!」

 先生は泣き出してしまった。辺りでは子どもたちの歓声かんせいが大きくひびわたっていた。


 担任の先生にこれだけ心配をかけた明智あけち光成みつなりは、一体何をしようとしていたのだろか。かれかくれていた倉庫の裏には、彼が口にくわえていた草が落ちていた。その草は、メヒシバという名の草だったが、どういうわけか成長して大きくなっていた。(続く)

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