記憶探し(GL)

Tempp @ぷかぷか

第1話 仁凪の記憶

『ねぇ、覚えてる? 一緒に水族館に行った時のこと。クラゲの足がたくさん青く光って綺麗だった』

 覚えてる、覚えてるよ、侑李ゆうり。その時に視覚的に把握できればいいんだってひらめいたんだから。だから届いて、お願い。

 コールタールのような真っ暗闇に、再びとぷんとダイブする。手を伸ばして探っても最初はうまく繋がらない。でもさっきのは去年の夏の記憶。この区画では探しているものは見つからない? シナプスの繋がりが薄いか、もともとなかったか。それじゃ、他の場所、他の場所を探さないと。

 少し足を伸ばして、まだ歩いていない部分に潜る。ふいに浮かぶ侑李の声。

『それにしたってあんなところにお弁当置いておくことはないじゃない?』

 うん、そうね。

 あれは私が悪かった。でも今知りたいのはそれじゃぁなくって。

 足を止めてジジジという小さなパルスを発生させるシナプスの情報を拾い上げてしまうと、繋がっていた他の部分は真っ黒闇に沈んだ。深く潜るとよりたくさんの光につながるけれど、この重たい液体の中では上と下すらわからない。だから元に戻れなくなる可能性がある。


 私と侑李は記憶の研究をしていた。

 侑李とは大学一年の時に語学で同じクラスになった。私は侑李のサラサラと光を受けて時々金色に光る髪の毛と、たまに薄い水色みたいに見える瞳で風のようにうっすら微笑む姿がとても好きだった。そんな風に笑う時は、侑李のまわりもなんだかつられて、ふわっと明るくなるように感じた。

 そう思いながら暗く昏い塊の中からぷかりと浮かぶ。引っ張り上げた細く輝くパルス。

『ああ、今日も徹夜、仁凪になぎ、コーヒー入れて来るわ。蜂蜜入れる?』

 うん、コーヒー淹れて、ほしい、な。

 だめだ、涙が出そう。けれどもこの過去の記憶を今と混ぜるわけにはいかない。一度上がろう。そろそろ一息つかないと、何がなんだかわからなくなってしまう。


 目を開けてフルダイブ用の旧型ヘルメットを脱ぐ。ふぅ、と息を吐いた。椅子から立ち上がり、背伸びして、軽く体を動かす。

 そして左手側を見れば、ガラスの壁で区切られた先で柔らかな台に侑李が横たわっていた。うっすらとだけまぶたは開いているけど、その瞳はキラキラもしてないし何も映していなかった。手首と足首と胸元。それから頭に大量にコードとプラグが生えている。

 併設されたミニキッチンでコーヒーを淹れる。ブラックと、蜂蜜入り。隣の区画の扉をあけて、横たわる侑李のベッドに腰掛けた。

「侑李、淹れてきたよ。匂いだけでも感じて」

 インスタントだけど侑李が好きなブラックコーヒー。


 今は二〇五八年。

 人は朝起きて身を整えると、ヘッドセットを被ってVRの世界にフルダイブ没入することが通常になった。仮想空間VR上で交流、学業、仕事をする。ゲームは今やほぼVRだろう。フルダイブ型システムというのは電気信号を直接脳の神経に流すことで脳内に直接情報を再現するものだ。

 この技術開発が具体化されたのは二十一世紀初頭だ。

 全盲の女性の後頭部視覚皮質に埋め込まれた電極を通じて視覚情報を再現することに成功した。その映像は最初はモノクロで薄ぼんやりとしたものではあったけれど、その技術は見る間に進歩し、鮮やかな色彩を再現することができるようになる。一旦そうなれば技術進歩は早く、視覚だけではなく聴覚、味覚、触覚と言った様々な情報をVRで再現することが可能になった。

 そしてそのころには、脳に電極を挿す必要もなく、ヘッドセットが人毎に異なる神経組織を自動的にスキャン解析して、それぞれの五感に相当する神経部位を特定、そこに情報を上書きできるようになった。使用に操作も負担も全くない。つまり人は現実とは離れて、神経に上書きされたVR情報の上でも、様々な物事を現実と同じように体感することが可能になった。

 アウトプットの研究も同時に進行した。運動障害を持つ患者の脳波をモニタリングして対象の運動信号を読みとり、車椅子等移動ユニットや通信機器へ出力する技術が研究された。VR情報を受け取るだけでなく、脳波を読み取ることによってVR空間を眺めるだけでなく自律的主体的にVR空間に干渉することが可能となった。それはVR上から、VRも含めた現実に干渉する技術として確立した。

 今ではそう、ヘッドセットは前頭から耳の上と後頭をつなぐ薄いベルトに頭頂部を経由する何本かのベルト、つまり帽子のフレーム程度の被服でVRの世界にフルダイブできるシステムが主流となっている。


 それで私と侑季の研究対象は、脳波には現れない記憶の再現研究だった。

 VR上でリアルタイムに思い描く内容を相手に伝えること自体はもちろんできる。けれども記憶というのは、脳波の動きによらないところに格納されている。

 特に長期記憶は海馬を通じて大脳皮質に広く分散保持される。特定の記憶を司るシナプスを電気的に刺激することで『思い出す』。シナプスに同じ情報を頻繁にインプットするとより太い回路が形成され、分厚くなった記憶を『思い出しやすくなる』。一方でほとんど使用しない記憶はやせ細ってアクセス困難になって『思い出せない』。だから本の内容をタイトルで思い出せなくても、再び手に取り目を滑らせればその本について記録したシナプスに電気信号が流れ、そういえばこんな内容だったと『思い出す』んだ。

 それで私は、私たちは記憶を失った人の脳に擬似的にダイブし、関連するVRの情報を流し込むようにその脳の神経の上を渡り歩いてシナプスを刺激し、本人が認識困難となった記憶をすくい上げる、そのための研究を行っていた。

 それでその目処はある程度立っていた。記憶を取り出す理論までは。あとはそれを記録し、記憶として再構成して脳に再び植え付ける、それだけ。そしてその構想は既に侑季の脳内で形作られていたはずだ。だから、侑季の記憶をたどればその方法がわかる、はず。

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