声と、星空

「お別れ……」

「そう、お別れ。私、入院してて、柳生くんに言えなかったから」


 言いたいかどうかで言えば、もちろん言いたくない。

 だって、お別れなんてしたくはないのだから。

 でも、言わなくたってそのときは来てしまう。


 だったら、言ったほうがいい。

 お互いの区切りのためにも。


 でも、その前に。

 柳生くんを安心させたかった。

 そのためにはきっと、木津くんにも話を聞いてもらう必要があると思った。

 だから、呼んだのだ。


「私ね、思い出したよ。ベランダから落ちたときのこと」


 二人の目が、思いっきり開く。


 私はあの夜。


「自殺するつもりは、なかったよ」


 昨日、大家さんが去ったあと。

 穴が開いたような気持ちで、しばらく動けなかった。

 柳生くんと木津くんが、結果として嘘を吐いていたこと。

 それを含めて、色んな人に嘘を吐かせてしまっていたこと。

 罪悪感と、そして、大切な人を失っていた絶望と。


 いろんな感情がないまぜになって、私をもみくちゃにしていくけれど、それに抗う体力も、受け入れる気力もなくて、ただただされるがままだった。


 どうして、なんで、私はあの日、ベランダと一緒に落ちてしまったのだろう。

 なんで、柳生くんがまだ死んでいないかもしれないのに、飛び降りなんてしてしまったのだろう。


 どうして、なんで。


 過去の自分に対する疑問や非難の声が、心にできた穴を広げていく。

 水道から直接水を入れ続けたポリ袋のように、どんどんその声が膨れ上がっていって、自分の許容量を今にも超えそうだ。

 超えてしまえばいい。

 もう、どうにでもなればいい。

 だって、大切な人はもうこの世にはいない。

 私は、その人にお礼もお別れも言えなかった。

 そんな私は、必要ない。


 外、見られる?


 ふっと記憶から浮かんだのは、男の子にしては高い声。

 そう、十年近く前の誕生日に聞いた声だった。

 誘われるようにして、私はベランダに出る。


 暗い空には、ちらほらと星が見え始めていた。

 数が少ないのは、時間のせいか、それとも灯りのせいか。

 でも、その小さくて、吹けばはらはらと散ってしまいそうな光の粒が、とても綺麗だった。


 ベランダから星を見上げるのは、いつぶりだろう。

 学生の頃以来か。

 いや、違う。


 チリッと頭の奥が痛む。

 ときどきあるそれよりも、強い痛みに思わずその場でうずくまる。

 同じように外に出たことがあった。

 記憶にないけれど、絶対にあった。

 この痛みの向こう側に、それがある。


 必死に手を伸ばすような感覚で、それを思い出す。


 ベランダから転落した日。

 あの日も同じように絶望していた。

 大切な人が死にかけている。

 死んでしまうかもしれない。

 私はどうしたらいいのだろう。

 行ってどうにかなるものなのだろうか。

 お見舞いに行ったところで、邪魔になるだけだったらどうしよう。


 苦しくて、怖くて、どうするのが正解なのかもわからなくて、己の無力さを呪って。


 そのときだった。

 柳生くんのその一言を思い出したのは。


 ベランダに出れば、たくさんの星がきらめいていた。

 そうだ、そのときに流れ星が見えて。

 祈ったときに思わず手すりに体重をかけてしまって、そして。


「……本当に、ただの事故だったんだな」


 安心したような木津くんの声に、私はうなずく。

 同時に、改めて、柳生くんに命を救われていたのだと気づき、自分の中の柳生くんの存在の大きさを感じた。

 だからこそ、柳生くんがいないこれから先を、どう生きていけばいいのかわからなくなりそうで。


 でも、生きていかなければならない。


 少なくとも、柳生くんに心配されるような、そんなことは避けたい。


「木津くん」


 だからこそ、私は木津くんに言うことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る