誕生日と星空

 横に置いていた携帯のバイブ音が鳴る。

 問題集から顔を上げれば、壁にかかった時計の長針と短針が、一緒に十二を指していた。


 十二月三十日。

 私の誕生日だ。


 そっと携帯を開けば、クラスの子たちに紛れて、木津くんからも、お誕生日おめでとうのメールが来ていた。

 順番にメールを開いて読み、返信をしていく。

 カラフルにデコレーションされたメール。

 シンプルなメール。

 宛名を確認しなくても、メール本文を見れば誰からのものか、ざっくりわかる気がした。


 誕生日おめでとう。

 いい一年になるといいな。

 受験、お互い頑張ろう。


 シンプルな言葉。

 木津くんのものだ。

 以前メールの話をしたときに苦手だと言っていたから、すごく頑張ってくれただろうことがわかって、胸が温かくなる。


「ありがとう、お互いにいい結果を出せるように頑張ろうねっと」


 決定ボタンを押して、送信する。


 十八歳になった。

 十八年ももう生きたのか、と少し驚いた。

 あと二年で二十歳だ。

 一人でできることが一気に広がる。

 二年後の私はなにをしているのだろう。

 大学に通いながら、きっとアルバイトをしている。

 志望校に入学できたら、東京にいるはずだから、きっと一人暮らしだ。

 家事をして、働いて、勉強をして……。

 大変そうだけど、きっと一人暮らし二年目だから、慣れてきているはず。

 長期休暇中は実家に帰ってきて、木津くんや柳生くんと会って、近況報告をしたり、遊んだりするのかな。

 そうやってどんどん年を重ねていって、私、私は。


「私は、いつまで生きるんだろう」


 二十歳までは想像できた。

 でも、その先がまったく想像できない。

 心の中にいる感情が、こちらをじっと見上げて、口を小さく開いた。


 未来なんて、ないんじゃないのか。


 小さな声なのに、やけにはっきりと聞き取れた気がして、怖くなる。

 だめだ、考えるのをやめよう。

 そうだ、勉強しよう。

 一度置いていたシャープペンシルを握る。


 親がいて、学校に人がいるところでも死にたいと思ってしまう私が、一人暮らしをして生きていけると思っているのか。


 問題を解こうとした手が止まる。

 二十歳以上の私を想像できないのに、家の中で一人、首を吊ろうとしているところはすぐに想像できた。

 心臓が嫌な音を立てる。

 このまま勉強をしていいのだろうか。

 試験を受けていいのだろうか。

 大学に受かっていいのだろうか。

 親元を離れて、知らない土地に行って、誰も親しい人がいない中で暮らして、いいのだろうか。

 次々と悪い想像が頭の中で浮かんでは消えていく。

 自殺も、他殺も。

 いろんなことが、浮かんでは消えて、消えては浮かんでくる。


 勉強、しないと。


 そう思って、必死に頭から追い払って問題を解こうとするのに、目が滑って文字が読めなくなる。

 どうしよう、どうしよう。

 暖房が効いた室内で、震えた右手がとうとうシャープペンシルを落としてしまった。


 吐き出したくなったら、いつでも連絡して。


 その言葉を思い出して、すがるような気持ちで携帯に手を伸ばす。

 けれど、硬い感触に指が触れた瞬間に、今が何時かを思い出した。


 もしももう寝ていたら、迷惑になってしまう。

 駄目だ、メールも、電話も、してはいけない。

 もう寝てしまおう。

 そうしたらきっと、消えてくれるはずだから。

 消えてくれていなかったら、そのとき改めて連絡してみよう。

 でも、年末だからもしかしたら忙しいかもしれない。


 やめておこう。


 そう言い聞かせるのに、手は携帯を握りしめて離さない。

 ギュッとそのまま抱きかかえて、椅子に座ったままうずくまる。

 荒い呼吸の音が、先ほどまでよりも強く、鼓膜を揺らす。

 

 落ち着いて、頼むから。

 願いながら、携帯を握りしめたときだった。


 携帯が、手の中で振動した。


 驚いて落としそうになりつつも、なんとか握り直してディスプレイを確認する。


 柳生くんから、しかも電話だった。

 慌てて開いて、通話ボタンを押す。


「も、しもし……?」

「もしもし、田所さん? 柳生だけど」


 男の子にしては高い声。

 そして、今の私にはこの上なく安心できる声だった。

 まだ頭の中では嫌な想像が駆け巡っているし、手は震えてるし、心臓だって暴れまわっている。

 それでもなんとか呼吸を押さえつけるように無理やりゆっくりにした。


「寝てた? それか、勉強の邪魔しちゃった?」

「ううん、今ちょうど休憩しようとしてたところ」

「……そう」


 返事までに間があったのは、もしかしたらうまくごまかせていなかったのかもしれない。

 なにも訊かれないうちに、と私は口を開く。


「どうしたの。こんな時間に電話って珍しい」

「ああ、うん。まずは、お誕生日おめでとう」


 祝ってもらえたことが嬉しいはずなのに、先ほどから続いている嫌な想像や、感情のせいで、うまく飲み込めない。


「ありがとう」


 それでもなんとか絞り出すようにお礼を言う。


「……外、見られる?」

「外?」

「そう、外」


 なんだろう。

 そう思って立ち上がり、カーテンを横に引いて、窓を開く。

 冷たい風が、体を撫でていった。


「わぁ……!」


 降り注がんばかりの星空だった。

 

「綺麗でしょ」


 まるでいたずらが成功した子どものような声に、私はうん、とうなずく。


「もしもまだ勉強とかして起きているようなら、息抜きになるかなと思ったんだけど、ちょうどよかったみたいだね」

「え?」

「声が、さっきよりも明るくなったからさ」


 一瞬、固まってしまう。

 ごまかせてはいなかったらしい。

 流石は柳生くんだ。

 私は観念した。


「実は、柳生くんから電話がかかってくる前、柳生くんに電話しようとしてたの」

「電話、してくれてよかったのに」

「時間帯的に、迷惑かなって思って……」


 私の言葉に、あー、と柳生くんが考えるように声を出す。


「迷惑ではない。僕、一度寝るとそうそう起きないから、着信あっても熟睡してるだろうし。だから別に、なにも考えずにかけてくれていいよ。気になるようだったら、先にメールくれたら、電話できるかどうか返信するし」

「どうして、そこまでしてくれるの」


 純粋な疑問だった。

 嫌われてはいないらしいことは、文化祭のときにわかった。

 でも、だからってどうして、そんなに時間を割こうとしてくれるのか。

 それがわからない。


「どうしてって……」


 考えるような間。

 意外だった。

 柳生くんは、理由を問えばはっきりと返してくれそうな、そんなイメージがあったから。


「……放っておけない、から、かな?」

「そんなに危なっかしい?」

「逆に、死にたいですって言われて、放っておけないとも、危なっかしいとも、なんとも思わなかったら、僕はかなり冷酷だけどね。田所さんには僕がそう見えてるってこと?」

「ち、違う、大丈夫、冷酷には見えてない!」


 慌てて否定すれば、電話の向こう側からケラケラと軽やかな笑い声が聞こえてきた。

 からかわれたのだと、その笑い声でやっと気づいて、思わずむくれる。


「もう……」

「ごめんって。まあ、それがなくても、なんとなく放っておけないところはあるよ」

「……褒められてはいないことはわかった」

「けなしてるわけでも、からかってるわけでもないけどね。たぶんそれは、木津も同じなんじゃないのかな」

「木津くんも?」

「そう。だから、もしも僕に言いにくいなと思ったら、木津に言ってもいいんだよ。一から説明しないとだから、ちょっと難しいかもだけど。木津はいい奴だから、たぶん田所さんからの相談は、一生懸命聞いてくれるんじゃないかな」


 それは、なんとなく想像できた。

 木津くんはきっと、真面目に聞いてくれるだろうし、すごく真摯に答えてくれそうだ。

 柳生くんがそうじゃない、というわけではなく。

 柳生くんも真面目に聞いてくれるし、真摯に答えてくれる。

 ただ、木津くんはすごくストレートだろうし、柳生くんは柔らかく、ときどき辛辣というか、そんなイメージがある。


 そこまで考えて、あれ、と思った。

 単純に、相談事は木津くんにしたほうが、ハードルは低そうだ、ということに気づいたのだ。

 もちろん、私のこの感情を知っているのは、今現在柳生くんだけだし、吐き出していいと言ってくれたから、今回のことで最初に頭に浮かんだのは柳生くんだった。

 だけどもしも、また次回同じようなことがあって、そのときに連絡するのは、きっと木津くんではなくて、同じように柳生くんだろう。

 それは、どうしてなんだろう。

 木津くんだから駄目、というわけではなくて。

 ああ、そうか。


「柳生くんだから、連絡をしたいのかもしれない」


 ピースがハマるような、そんな心地がした。

 どうして柳生くんなんだろう。

 わからない。

 わからないけれど、なんとなくすっきりして。

 そして、どうしてかすごく、胸のあたりがポカポカした。


「……田所さんってさ、ときどきなんでそんなまっすぐに来るかな」

「まっすぐ?」

「よくひねくれずにここまでこれたなって思ったの」

「ひねくれてないことはないと思うけど」

「自分に対してでしょ、それは。他人に対しては、まっすぐ。……だからなんだろうけど」

「なにが?」


 うーん、と言葉を選ぶように、柳生くんが声を伸ばす。

 きっと今、目がきょろきょろと動いているんだろうな。


「自分を守るために、他人を攻撃したり、他人を警戒したりする人、いるでしょ」

「うん」

「田所さんは逆に、他人から攻撃されないように、攻撃されても傷つかないように、最初から自分を必要以上に攻撃することで守ってる、感じがする。それが行き過ぎて、そうなっちゃってるところも、もしかしたらあるんじゃないかなって……あー、でも、違うかも。ごめん、忘れて」

「わかった……ふふ」

「なに」

「ううん、柳生くんは優しいなって思っただけ」

「……僕は、優しくはなくて、ずるいだけだよ」

「ずるいの?」


 思わず、といった具合に出てきた言葉にびっくりして、訊き返してしまう。


「時間、もう遅いから終わろっか」

「え、あ、もう二時だ」

「じゃあ、おやすみなさい、田所さん」

「うん、おやすみなさい、ありがとう」

「どういたしまして。じゃあ、切るよ」

「うん」


 電話が切れた。

 半ば強引に話を終えられてしまった。

 ずるいって、なにがずるいんだろう。


 窓を閉める前に、もう一度夜空を見上げる。

 星はただ、静かにまたたいていた。

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