第十二章 いざ躑躅ヶ城館へ

更科一行は、山賊達が根城にしていた場所に居た。


「なんと。武田の本陣、躑躅ヶ城館へ乗り込むと?」藤村十兵衛明石

「正気の沙汰でないわ。」丹羽直次郎

「一度だけ、野菜を届けに、館の中に入ったが、その中も広く屋敷が多数ある。何百人居るかわからんぞ?」直次郎

「おお。館の中に入った事があるのか?」晴介

「一度だけじゃ」

「罪人が囚われている場所は、どの辺かわからぬか?」お結

「罪人と申すな。罪人ではない。」更科

「すまぬ。森之助と言ってもわからぬと思うてな」お結


「森之助殿とな?」直次郎

「知っておるのか?」晴介

「楽巌寺の相木采女助殿であるな?」

「左様じゃ」孝之進

「何故、知っておる?」圭二郎

「護送の途中、恩ある武田の家臣が逃がそうとしたそうじゃが、きっぱりと断ったそうじゃ。その理由が、その武田の家臣の身を案じてのことじゃそうじゃ。そげな、りっぱな武士、見た事も聞いたことも無い。この辺りじゃ、有名な噂となっておる」直次郎


「なんと。森之助殿が?」更科

「先の戦では、一人で何百人もの武田・諏訪兵を倒した豪傑と称されておる。そのような武人が何故、そのように優しいお方なのかと?我らの殿である信虎にその少しでも優しさがあればのう。我ら百姓も少しは楽な生活が出来ように。」

「恩ある武田の家臣?」お結

「あっ。あの時の若い武田兵か?」お琴も気が付いた。

「迎えが来た時に似ておると思うておったが、まさかとはな」お結


「どうしたのじゃ?」更科

「あの時、見逃した、長坂左之助じゃ」お結

「左之助殿が、森之助殿の護送に携わっておったようじゃ。森之助殿を逃がそうとな」お琴

「あの左之助殿が……」更科


「森之助らしいのう」孝之進

「しかし、何百人も一人で倒したとは、噂とはお阻害ものじゃな?」お結

「その森之助殿の嫁も村上義清の葛尾城に一人で乗り込む程の女傑と噂されておる」


「その噂は、誠のようじゃな」晴介

「あっ? 申し訳けねえ」直次郎


「その噂であれば、我らの尾張にまで聞き及びます。」藤村十兵衛明石

「左様か。尾張の出身であるか」孝之進

「躑躅ヶ城館の中までは詳しく分からぬ」直次郎

「では明日、我らが調べにまいりましょう」明石

「なんと? 館の中へか?」圭二郎

「お主らでは、目立つ故、直ぐに見つかってしまうぞ」孝之進

「しかし、万が一見つかっても、貴殿らの仲間とは思われますまい」藤村

「確かにそれはそうじゃが」お琴

「われらも、少しでもお役にたちとうございまする」丹羽直次郎

「あいすまぬ」更科


「よし。今日はこれまでじゃ。休むとしよう」お結

「皆は寝てくれ。番はわしがする。」晴介

「頼むぞ。もう敵陣は目と鼻の先じゃ。武田兵が見回っておるやも知れぬ」お結

「わかっておる」晴介

「居眠りするなよ」お琴

「はい。はい」


 深夜、更科達がねぐらにしていた山の麓でいくつかの馬の蹄の足音が聞こえた。


「ん?」居眠りをしていた晴介が気が付いた。

武田兵だ。誰かをさがしているように見えた。

その中に見覚えがある顔があった。

「……」晴介は目をこすった。

もう一度、その顔をはっきり見ようとしたが、暗闇の中、遠ざかって行った為、確認する事が

出来なかった。

「森之助……? まさかな? はっ。わしも疲れておるかの? 森之助の夢を見たようじゃ。どうか無事でいてくれよ。もうすぐじゃ、もうすぐ迎えに行くからの」

 暗闇の中、遠くに、躑躅ヶ城館が見えた。


翌夕刻、日が沈み始めたころ、浪人の藤村と直次郎の二名で、躑躅ヶ城館の近くまで調べに行った。

館の周りは、思ったほど、見張りは無い。大きな堀があるでも無い。それ故、直ぐ塀際までたどり着く事が出来た。

「館の中を除く事は出来ぬか?」直次郎

「さすがに、わしの背丈でもこの塀は無理じゃ。何か足場になるものがあれば良いが」明石

「これでどうじゃ」少し長い木が差し出された。

「おお。すまぬな?」直次郎

「誰じゃ?」

数名の武田兵に囲まれていた。

「しもうた」


その様子を、少し離れた場所で晴介が見ていた。


「二人が見つかったと?」更科

「ああ。やはり見張りは、少ないが、どこからか忍び込むのは難しそうじゃ」晴介


「そうか? 二人が、我らの事を離さねば良いがの?」孝之進

「念の為、寝ぐらを変えるか?」圭二郎

「黙っておれば、その前に、二人の首が飛ぶぞ。浪人や村人の一人や二人、信虎は何のためらいも無く殺す輩じゃ」晴介


「我らの事が知れたら、森之助殿が危ない。そうなれば、躑躅ヶ城館へ行くまでじゃ」更科

「そうじゃの。逃げていては森之助殿は助けられぬ」お結

 

 ……なんという娘たちじゃ。


真っ向から武田兵と向かえるつもりか? 孝之進と圭二郎は改めて更科達の気性の激しさを感じた。


 昨日の山賊達との闘いでその腕前を思い知らされたが、武田の本陣である。山賊との闘いの非では無い事を承知していての覚悟であった。


 晴介が、孝之進と圭二郎の肩をポンと叩いた。

「この娘達と一緒におると、命が幾つあっても足らぬと思うたか?」晴介

「わしも最初、そう思った。しかし、しばらく一緒におると、何故か必ず、なんとかなると思うてしまうのじゃ。この更科の真っすぐな森之助への思いが、決して揺るがぬ絆を感じてしまうとな」


「そうじゃの。そのとおりじゃ」孝之進


躑躅ヶ城館内


藤村十兵衛明石と丹羽直次郎が縄で縛られ、数名の家臣に問いただされていた。

「主らは、どこぞの者じゃ?」

「二人そろって、異様な趣きじゃな?」

「もしやこの辺りに出没する山賊の一味か?」

「ただの浪人でござる。おおきな屋敷があったため覗こうとしておっただけじゃ」明石が答えた。

「信用できぬな?」一人の家臣が言った。

「盗人なら分かるが、それなりの身なり。薄汚れてはおるが、浪人には違いなさそうだが、浪人なら、なおさらじゃ。ここが、どこか知らぬわけがなかろう?」


図星だった。この地に寄った浪人であればこそ、ここが躑躅ヶ城館と知らぬものはおらぬ。

「主君を見つける為、であれば正門から訪ねてまいるが筋」家臣

「素直にはけ。目的はなんじゃ」

「こっちは百姓のようじゃの」直次郎を見て家臣が言った。


「主らの着物に血が付いておるの?」教来石

「……」

「確かに。まだ、新しい血跡でござるな」家臣

「先日、村人が山賊に襲われたと聞く。やはり、貴様ら山賊の一味であるな?」

「違うと言うておろう」

「どう、違うというのじゃ。ではこの血は誰の血じゃ?」

「……」

「言えぬか?では、山賊として、打ち首にしてくれるわ」


「待たれよ。山賊の一味であれば、山賊の寝床を知っておるか?」一人の若い家臣が聞いた。

「……」

「言うわけがないか? 所詮山賊じゃ。少し痛めつけたら直ぐに吐くであろう」教来氏

「山賊には手を焼いておるのだ、山賊の居場所を教えてくれたら、そち達は許してやろう。教えてくれぬか?」若い家臣が頼んで来た。


「……山賊はもうおらぬわ」明石

「明石。黙れ」直次郎

「何、おらぬと?」教来石

「それは、何故?」


「我らが倒し申した」

「なんと? 山賊を倒したと?」

「しゃべるなというに」

「我らとは誰じゃ?」

「……」


「更科達か?」若い家臣が聞いた。


「な、何故?それを知っておる?」直次郎がびっくりしたように聞いた。

「そうなんだな?」

「……しもうた」


「見上城の頼房殿から、更科一行がこちらに向かったと市兵衛殿に知らせが入ってのう」教来石


「な、なんと?」

直次郎も明石も事の成り行きは聞いていた。頼房を信じ、生まれたばかりの子供とお結達の母親を預けて来たことを。


「その知らせのおかげで、いち早く、#相木采女助幸雄__あいきうねめのすけゆきお__#を亡き者に出来た」


「何? な、亡き者にじゃと?」直次郎

「なんだと? それは誠か?」明史

「本当じゃ」教来石

「な、なんという事じゃ……」直次郎

「こちらも問う。山賊はもうおらぬのじゃな?」若い家臣


「……ああ。三十名皆、倒した」もう、隠し事をしても、どうにもならぬ。直次郎が答えた。

「そうか」若い家臣がほっとしたように見えた。


「ほどいてやれ」教来石

「はっ」

「? ?……」


「森之助に会いたければ、必ず来いと、更科殿に伝えろ。森之助を罪人としてこの躑躅ヶ城館に

連れて来た、この教来石信房が待っておるとな」


「教来石?」明石

この男が、天下に名だたる武田の重臣・教来石か?

その名を聞いて、足がすくんだ。


二人は縄を解かれ、躑躅ヶ城館を後にした。


「これで良かったかの?」教来石

「はい。必ず更科は来ます」若い家臣が答えた。


二人は、更科達が待つ、山中に戻った。


晴介が二人が戻って来るのを見つけた。


「おお。よう無事に戻れたの?」晴介

「本当じゃ。よう逃がしてもらえたの」孝之進


「……」直次郎

「どうした?」お琴


「何故、黙っておる。」お琴

「……」

「何があった?話してくれぬか?」更科


「申し訳けねえ。我らの事を話してしもうた」明石

「なんと。では、武田兵が追ってくるのでは?」圭二郎

「いや。こねえ」直次郎が下を向いたまま答えた。


「それは何故じゃ?」更科はいやな予感がして聞いた。


「……」

「良い。本当の事を話せ」更科


「見上城より知らせが入ったそうじゃ。更科一行が躑躅ヶ城館へ向かったと」明石


皆、驚きを隠せなかった。


「な、なにい?」孝之進

「なんと。そんなばかな」圭二郎


「……なんと言う事じゃ」お結

「や、約束をしたでは無いか? 知らせるなと」お琴


「……」更科は言葉が出なかった。

皆、言葉が出なかった。その先を聞きたくは無かった。


「して……どうした?」震えながら更科がやっと口をひらいた。


「……」直次郎

「申せ」

「……その知らせを聞いて、いち早く、相木采女助幸雄を亡き者に出来たと」明石


「な、なんと? 亡き者にしたと?」更科


「……更科」晴介


「たわけ、嘘を申すな。森之助が死んでたまるか?」孝之進が大声を出した。

「そうじゃ。頼房殿が、約束を破る事など決してないわ」圭二郎が叫んだ。


更科が顔を両手で覆い、膝から崩れ落ちた。そして泣いた。


「……更科」お結


「あっしのせいじゃ。あっしが城を出たからいけなかったのじゃ。森之助殿の死を早めてしもうたのじゃ」更科が泣きながら叫んだ。


「……はっ? 甚次郎は? おまつ殿は?」更科が顔を上げてお結、お琴を見た。


「……」お結

「……」お琴


「お結。お琴。すまぬ。あっしが義兄上様を信じたばっかりにおまつ殿まで……」


「そんな事はない。甚次郎も母様もきっと生きておる」お結が泣きながら言った。

「そうじゃ。母様を見くびるでないぞ。甚次郎をきっと守り通しておるに決まっておる」お琴も信じようと必死にこらえた。


「そうじゃ。それに頼房殿がそんな事をするはずがねえ。これはきっと何かの間違いじゃ」孝之進

「その、頼房殿が、我らの事を知らせたと言うておるでは無いか?」晴介が泣きながら孝之進の胸倉をつかんで言った。

「……きっとこれには訳があるはずじゃ」圭二郎

「訳だと? ふざけるな。どんな訳があるというのじゃ」晴介が今度は圭二郎につかみかかった。


「よせ。晴介」お結が言った。


 皆、言葉が出てこなかった。


「市兵衛殿の寝返りの時もそうじゃ。此度の件もそうじゃ。何の訳があるのじゃ。教えてくれ。何故、親兄弟で森之助殿を苦しめる。その訳を教えてくれ」更科が泣きながら問うた。


 これが乱世なのか? 尾張では、織田信長・兄弟が、美濃では斎藤道三・親子が殺し合っている。


 何が、目的なのじゃ、家族を亡くして、失って何を得る?


更科は自分の信じた行動が、結果として、森之助と甚次郎、おまつ殿を死に追いやった事を悔いた。

自分が起こした行動は全て、間違っていたのか?


「お結。お琴。すまぬ」

「甚次郎、すまぬ。愚かなお人よしの母を許しくれ。」


誰も何も言えなくなった。


「……最後に、もうひとつ言われたことがある」直次郎

「……なんじゃ」お結


「森の助に会いたければ、躑躅ヶ城館へ来いと。森之助を罪人として連れて来た、教来石信房が待っていると。伝えよと」


「なんと。森之助の亡骸を取りに来いという事か?」晴介

「……更科や我々も討ってしまおうとの誘いのようじゃの」お結


「……更科?」お琴


「……」更科


深い悲しみが更科を包んでいた。何も答えぬまま、夜が更けていった。


夜が明けてきた。


更科が一人、山賊が残した甲冑を身に着けていた。そして一頭の馬にまたがった。


そこへ皆が立ちふさがった。


「更科。一人で行く気か?」お結


「お結、お琴」


「森之助殿に約束をしたのでな。必ず迎えに行くと」お結、お琴も聞いていた。


「武田兵が待ち構えておるのだぞ?」明石

「何百人いるか、わからぬぞ」直次郎

「何人居ても、関係ねえ。一万人居てもわしらは行く」晴介


「皆……」

皆も、山賊達が、売り物にしようと集めていた甲冑と刀を身に着けていた。


「ならぬ。ここから先は、わし一人の弔い合戦じゃ」更科

「森之助殿はお主一人の者ではないぞ」お結

「そうじゃ。我らの親友じゃ」孝之進

「わしは、まだ、信じられぬ。森之助は生きておる。と信じておる」圭二郎

「あっしもそう思う。必ず、森之助殿は生きておる。母様も甚次郎も」お結


「わしもお供させて頂きます。浪人と言えど、武士のはしくれ。

武田の本陣・躑躅ヶ城館へ乗り込むなんざ、末代まで名が残せる」明石


「わしも一緒にいく」直次郎

「よし。決まりだな。更科。皆で森之助を迎えにいこう」晴介


こうして一行は、悲しみの中、躑躅ヶ城館の正面に陣取った。



                             第十二章 完

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