第十章 裁き 

躑躅ヶ城館 城内


 城内の内庭の一角にて


  武田晴信、教来石信房、板垣、甘利、原、そうそうたる従来からの武田家臣と、そこに教来石信房の家臣、長坂と、森之助の父、相木市兵衛がそろっていた。


 そこに、森之助が罪人として内庭に縄で縛られ、連れて来られた。

 砂利の庭に、#茣蓙__ござ__#を引いた上に座らされていた。


「縄を解いてやれ」晴信

「はっ」

「そちが、#相木采女助幸雄__あいきうめのすけゆきお__#であるか?」晴信

「はっ。いかにも。」頭を下げたまま、森之助が答えた。

「面を上げよ」晴信


 森之助が頭をあげた。真っすぐに晴信を見つめた。


「ほう。市兵衛殿によく似ておられるな」

「……」森之助

「此度は、我が家臣、教来石信房の家来、長坂の嫡男、左衛門始め三十名を何の理由もなく、襲い殺害した罪により召し捉えたものだが、相違ないか?何か言い分があれば申してみよ」晴信


「何の理由も無く?」森之助は、堂々と胸を張り語り始めた。

「我が、村上領地内に、無断に忍び込み、我が妻、更科と侍女を大勢で襲った卑怯卑劣な行いに対し、戦ったまでにござる。他に何の理由がいりましょう?」森之助


「ほう? そうか? 我の知らせと異なるようじゃの? 教来石」晴信

「長坂、今一度、申して見よ」教来石

「ははっ。我が嫡男、左衛門始め、三十名で、村上領に偵察していたところ、いきなり後ろから切り捨てられたとの事。卑怯卑劣なのは、こやつに御座いまする」長坂

「三十名で村上領内に偵察とな?」晴信

「わしはそのような下知は出しておらぬが? 教来石、お主が出したか?」晴信

「いえ。私もそのような下知は出しておりませぬ」教来石

「どういう事じゃ。長坂」晴信


「……」長坂

「御屋形様(信虎)の下知か?」晴信

「お主、御屋形様にえろう可愛がられておるようじゃの?」晴信

「……」長坂

「ふん。まあ良いわ。どちらにせよ三十名を切った事には変わりないわ。通常なら、打ち首ものじゃな」晴信


「お待ちください。若殿様」

そこへ一人の若者が出て来た。


 森之助、更科に助けられた、長坂左之助である。森之助の護送に名乗りをあげ、途中で逃げよう段取りをした若者である。

「左之助。控えよ」長坂が叫んだ。

「いえ。申し上げます。若殿様」左之助


「なんじゃ、そちは」晴信

「私もその三十名の一人で御座います」

「なに?」他の家臣達が驚いた。

「お主、一人、生き延びたか?」教来石

「いいえ他に数名は逃げております。我は更科様とこの森之助殿に助けて頂きました」左之助


「更科と森之助が助けたと?」市兵衛


「申して見よ」晴信

「はっ。我ら兄上の指示に従い村上領地にむかいました。あくまで次の戦に備える為、偵察の名目で御座いました」 「よくぞ、村上領地に入れたものぞな? 手立てしたものがおるか?」板垣


「はい。牧島殿と兄者が内通しておりました」

「牧島殿が」市兵衛

「勘助の策か?」晴信

「いえ。存じません」勘助

「御屋形様(信虎)のお考えか?」晴信

「左様に思えまする」勘助 

「それ故、あの戦の時、楽巌城に攻め込めたのだな。見張りは牧島殿の役目であった」市兵衛

「それで?」晴信

「領地に入り、森之助殿をおびき出すつもりで御座いました」左之助

「牧島殿が、森之助殿を呼びに行っている間に、更科様が通りがかり、そこを襲いました」左之助

「女子を襲ったと?」原美濃


「この恥さらし者が」甘利

「私は必死に止めに入ったのですが、聞き入られず、兄者に切り捨てられそうになりました」左之助

「よせ。しゃべるな」長坂

「いえ。父上。申し上げまする」左之助

「兄上に切られそうになった時、更科様のお供のかたに助けて頂きました」左之助

「なんと? 侍女に助けられたか?」教来石


「そこから、戦いが始まり、更科様、始め、お供の侍女のお二方も恐ろしく強く、あっという間に十人程、切られました。そこへ森之助殿と牧島殿が戻ってこられました。牧島殿も、兄上が更科様を襲うまでは考えておられず、話が違うと牧島殿を切られました。それから森之助殿と戦いになり、逃げた数名と私を除き全員切られました」左之助


「お主は何故切られなんだ」晴信

「……」左之助


森之助が代わりに答え始めた。

「このお方は、我が着くまで、我妻たちを必死に守って下さいました。兄上に切られようとも。若きなれど、不正に対し、否と身体を張って答えられるりっぱな武士でありまする。そのようなお方を切る事なぞ出来ませぬ」


「それが、左之助を切らなんだ理由か」晴信

「そちの妻を襲った一味であるぞ?」原美濃

「武士として、敵方とは故、真の武士を切る事は出来ませぬ」森之助

「左之助。お主もよう出てまいったな。不正を働いた一味として、お主が裁かれ、命を落とすやも知れぬのに」板垣


「この森之助殿は命の恩人。そして、我が武士の師と仰ぐべきお方。このお方は、我の様に未熟な輩を、今後、数多の者を立派な武士へ導いてくれるお方と存じます。このお方を亡き者にしてはなりませぬ。我の命の引き換えに何卒お許し下さいませ」 


 家臣達はその覚悟に、そしてまだ若き左之助に対し、尊厳の念を抱いた。

「お主、森之助の引受人に名乗り出たそうだな」教来石

「はっ」

「途中で一旦籠を開けて降ろしたのは何故じゃ?」

 これも素っぱから報告がされていた。


「……」左之助

「用を足しただけでござる。それと腹がすいたので、老婆から頂いた握りましを一緒に食べ申した」森之助


「いえ。森之助殿に逃げて頂きたく。籠を開け申した」左之助

「よせ、左之助」長坂


「しかし、この森之助殿は、我らの事を考え逃げず……」ここまで言ってすすり泣いた。


 この若者二人のやり取りを聞いて晴信含め、家臣達は誇らしげな気持ちで一杯であった。


命のやり取りを行う場で、敵味方関係なく、互いを尊敬し、絆を作り上げた若者がここにいる。この戦国の世、自分の保身のみを考えて生きている輩が多い中、この若者達の行い、考え方に対し、武士として改めて自分達に言い聞かせていた。


 後に、人は石垣。人は城。人は堀。と語った晴信の原点とも言える出来事であった。

「こう、申しておるが、長坂。申す事はあるか?」晴信

「……」長坂


「勘助。素っぱを呼べ」晴信

「はっ」勘助


 素っぱが来た。


「申して見よ」晴信

 この時代、素っぱ、ワッパと呼ばれる偵察隊が、ひしめいていた。いわゆる情報戦である。いち早く情報を得る事が、勝ちに結び付くのだ。あらゆるところに潜み、情報を得ていた


「その、左之助殿、森之助殿の言い分に相違ありません」

「ご苦労であった」晴信


 素っぱが去った。


「清々しい若者たちでござるな」板垣

「市兵衛殿、良いご子息であられるな」甘利

「長坂殿も良いご子息を持たれたな」原美濃

「理由はわかった。非はこちらにあるが、三十名を切った事に変わりは無い。どうしたものかの?」晴信

「市兵衛殿と同様、わしの家臣にならぬか? 家臣になれば、許してやろう」晴信

「有難きお言葉では御座いまするが、お断り致します」森之助

「森之助殿」左之助


 命は惜しくはないのか?

 命を捨ててまで、主君につかえるのか?

 罪人としてここまで来て、役目は果たした。

 一人身を投げ出す事で国同士の戦は回避できたのだ。

 そして、自分自身も助かる道が出来たのだ。

 それなのに何故ゆえ?


「わしの家臣には成れぬと?」晴信

「はい。村上を敵に廻す事は出来ませぬ」森之助

 まっすぐに晴信を見据えていた。詫びれず、媚びらず、己の信念を貫く武士の目だ。


 このような武士には説得は聞かぬ。


 それを知っていた。


「ますます気に入った。父上の市兵衛殿には、いたく世話になっておる故、いや、それだけでは無い。お主のような武士を切りたくは無い」


「若。お待ちください」教来石

「私の家臣、長坂の失態にて、私に森之助殿をお預けいただけないでしょうか?」

「お主が説き伏せるか?」

「はい。市兵衛殿と一緒に必ず説き伏せてみせます」

「あい。わかった。必ず説き伏せてみせよ」


「御意」教来石


 森之助十八歳、晴信十六歳 二人が初めて出会った時であった。


                           第十話 完 

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