第五章 寝返り

二人の祝言から、半年ほどが過ぎていた。


葛尾城内

「相木が武田に寝返ったと?」義清

「ははっ。同じ佐久衆の芦田も一緒に武田についたもよう」右馬之助

「海ノ口の戦いから、幾日もたっておらぬのに、何故じゃ?」

「拙者にも合点が行きませぬ。佐久衆の見事な戦いあればこそ、あの戦いに勝ち申した」右馬之助

「確かに、納得が行きませぬな? 特に市兵衛殿については、一旦、取られた海ノ口城を再度、奪い返しております」井上九郎

「相木は、海ノ口城を我のものにしたかったのでは?」牧島玄藩

「わしからも、与えたではないか」義清

「でも、それは一時的な事。甲州からの入り口である海ノ口は、いずれ村上の家臣で守るご意向でございまする」玄葉

「うむ。その通りじゃが……」義清

「佐久の衆、全てが寝返ったわけではござらぬが、相木は佐久の筆頭。いずれ佐久衆が全て武田に付くとも考えられます」右馬之助

「まずい。非常にまずい。佐久と武田・諏訪では小県ちいさがたを攻めるどころでは無くなった。……森之助はどうした?」義清

「楽巌寺城におりまする。一応、沙汰が出るまで、城を出ぬようにと奥座敷牢に入れております」右馬之助

「こっちには人質がおるというに。……はっ?」義清

「森之助は既に、村上の家臣となっておりまする」右馬之助

「ぬかったわ? でも同じ事ではないか? こちらに森之助がおる故」義清

「……それ故、直ぐに、佐久衆が仕掛けてくるとは思えませぬ。これには、きっと訳がありまする」右馬之助

「拙者もそのように思います。あの市兵衛殿が、森之助を残して、寝返るのには何かおおきな理由があると存じます」九郎


「何を根拠に。裏切りは裏切りである。森之助を直ぐにでも打ち首にすべきかと」玄葉

「そうしなければ、示しがつきませぬ」玄藩が続けて言った。

「なっ? 何を申されるか? 理由がわかりませぬ。正式な村上の家臣を何故に打ち首にせねばなりませぬか?」九郎

「元は、人質の身。それが理由。明白では無いか?」玄藩

「こちらから、人質の任を解き、家臣になるよう申したのだ。今は紛れもなく村上の家臣である。それを打ち首と? 御屋形様に末代まで恥をさらすきか? 牧島殿」九郎

「うぬう」玄藩は返す言葉が無くなった。

「今や、森之助は坂城の勇者でござる。その森之助を手にかけるような事をすれば、村上の国全体の士気にかかわります」九郎

「小県攻めの件ではござらぬか?」右馬之助

「小県とな?」義清

「はっ。小県攻めの件では、佐久衆は反対の儀でございました」右馬之助

「たしかに。相木を含め佐久衆は反対しておったな。でも、小県も落とした際には、佐久にもきちんと分け与えるよう申したでは無いか」義清

「小県の海野幸隆(後の真田幸隆)は依田一族で、相木とは同族ゆえ」右馬之助

「同族とはゆえ村上・武田どちらについても小県は敵国ぞ」義清

「海野幸隆を助けたければ、尚更、信虎なんぞの手下になっても、何の足しにもならぬぞ。根こそぎ持ってかれるわ」義清

「確かに」右馬之助


 武田信虎の暴虐無人は皆知っていた。自国の村人、女子、子供まで手を掛けるそのやり方には武田家臣の中でも意を唱えるものも多かった。


「いずれにせよ、まずは様子見じゃ。森之助をこの葛尾城へ連れてまいれ」義清

「はっ?」右馬之助

「おお。それは良い考えかと」牧島玄藩

「御屋形様」九郎

「見せしめじゃ。相木がどう動くかの、様子見じゃ。沙汰はそれからじゃ」義清

「ははっ」牧島

「……」右馬之助

「……」九郎


楽巌寺城内

 奥座敷牢に森之助はいた。 

「森之助殿は市兵衛殿が武田に付いた訳をご存知ですか?」更科

「いや。分からぬ」森之助

「どんな理由があろうと、我が子を人質に出しておいて、敵方に寝返るとは、この更科が許しませぬ」

「父上には何か大きな理由があるのであろう」

「我が子の命より、大きな理由がありましょうか?」

「父上は、我ら兄弟が幼き頃より、この佐久の、いや信濃の国の、村人達が安心して暮らせる世を作るのが望みと申しておった。その為に闘こうておると」

「信濃の国の平和を?」

「そうじゃ。特に佐久は作物が良く育つ肥えた土地じゃ。争いさえなければ豊かに暮らせるのじゃ」

「御屋形様と武田がいつも争うておるからいかんのじゃ」更科

「左様じゃの」

「とにかく、私は決して市兵衛様を許すことは出来ません」

「……」

 

「森之助様。すぐにここから出します故。待っていて下さい」更科

「どうするつもりじゃ。沙汰を待て」

「なりません。父上が義清様を説き伏せ出来ぬなら、私が物申すまで」

 そこへ右馬之助がやってきた。

「更科、森之助はおるか」右馬之助

更科と森之助は右馬之助の帰りを待っていた。森之助の沙汰の結果を待っていたのである。

「葛尾城へ参るぞ」右馬之助

「葛尾城へ? 何故」更科

「武田方がどう動くかの、様子見と見せつけの為じゃ」右馬之助

「何と? 森之助殿は既に村上の家臣ではないですか?」更科

「すまぬ。牧島がどうしても引かぬ故」

「牧島が? 親子そろって食えぬ輩じゃの」更科

「殿、我は構いませぬ。参りましょう」森之助

「なっ? なりません。森之助殿。御命、危のうございます」

「御屋形様の沙汰である。致し方あるまい」森之助

 そこへ、ずかずかと多数の兵士がやってきた。牧島の家臣達だ。

「森之助殿をお引渡し願う」


「たわけっ! 逃げも隠れもせぬわ。森之助は自ら参る。そう玄藩へ申せ」


右馬之助の迫力ある声に、兵士達は怯み、動けなくなった。

「殿」森之助

「父上」更科

父上もこの沙汰に納得していなかった事が、はっきり伝わって来た。


 こうして森之助の身は、葛尾城に預けられた。


一方 躑躅ヶ城館内

「両名、面をあげられよ」武田信虎

「ははっ」相木・芦田が顔をあげた。

「よう、この武田にお味方頂いた。嬉しく思いまするぞ」信虎

「今後は、武田家臣として佐久を治めてまいりとうございます」市兵衛

「よくぞ申した。各々の領地はお約束どうり各々方にお任せいたす」

「それでよろしいかな」信虎

「有難き幸せにごさいます」相木・芦田

「佐久のみならず、信濃一国をお願い致しまする」

 同席していた晴信が口を出した。


「このたわけが。そう簡単に信濃一国などと申すな。簡単な事ではない」信虎

「あいすまぬ。このとおり、まだ若輩ものでまだ世間を知らぬ。海ノ口での初陣にて少し手柄を挙げつりのようじゃが、全く兵法を知らぬ」信虎

「いえ。あの時は、恐れ参りました。まさか引き返してこようとは。見事な兵法でありました」市兵衛

「さようかの? どうせ誰かの入れ知恵であろう。」信虎

この会話ひとつで、この親子の仲の悪さが伝わって来た。噂どうりであった。

会話を和ませる事が出来ぬ。市兵衛も困窮していた。

「御屋形様、我々が一月かけて落とせなんだ、あの海ノ口城を一晩で落として見せたのです。単なる人数、力だけは無く、策略あればわずかな手勢で勝てる事を証明して見せました。立派な武将になられましょう」原美濃

「左様と我も思います」板垣

「同じく」甘利

「此度の佐久衆のお味方にも、兄上の申し出により、この山本勘助の調略によるもの。闘わずして佐久の一部を手に入れました」信繁

勘助の言うとおり、この兄弟は仲が良いようだ。市兵衛はそう思った。

「調略か? では、次に小県を手に入れるにはどうするか、皆で考えてくれ」

「承知いたしました」晴信

「御意」勘助


海ノ口の戦い 回想


 開戦から二十日程立っていた。こう着状態が続いていた。

「殿。殿にお目道理願いたいと参っておる者がおります」連絡係

「このような戦いの最中で、何用じゃ」市兵衛 

「お耳を」

「なんじゃと? ……あい分かった。裏口から通せ」市兵衛 

 海ノ口城 城内のある一室

山本勘助やまもとかんすけと申す」その面妖な姿を見て直ぐに間違いないと思った。

「武田の軍師が何用でござるか? 和議の申し出であるか? で、あるならわしでは無く大将の平賀殿に申し出るのが筋ではないか?」市兵衛

 その筋を通さず、自分に話があるとは、何か特別な事だと感じていた。

「ははっ。お恥ずかしい。まだ正式に武田の家臣と認めては貰っておりません。まして軍師などではございませぬ」

「ではわしに何の用じゃ」

「はっきり申し上げます。相木殿。武田にお味方頂けませぬか?」

「笑止。お帰り願おう」

市兵衛は席を立とうとした。

「お待ちください。相木殿」

「残虐非道・傍若無人の武田信虎を担ぎ上げる事は出来ぬ」

「言い方を間違えもうした」

「言い方?」

「武田晴信様にお味方頂けませぬか?」

「信虎ではなく、晴信じゃと?」

武田親子の仲の悪さは他国まで伝わっていた。次期当主は次男の次郎(信繁)であろうと。

「はい。その通りでございます」

「どのような考えじゃ」

「この晴信様の初陣にて手柄を挙げて頂き、晴信様に武田家の当主になって頂きます。いや当主を引き継いで頂きます」

「何と? その様な事が起こせるのか?」

「はい。誠でございます。但し、まだ家臣全員の意見がまとまっておりません。それをまとめるにはこの晴信様のご初陣で何としても手柄を挙げ、次期当主にふさわしいお方と思って頂かねばなりませぬ」

「しかし、あの信虎が直ぐに身を引くかの?」

「引いて頂きます」

勘助のその口調から本気度が伝わって来た。

武田晴信。傍若無人の信虎とは裏腹に、晴信の振る舞い、考え方は古今無双の武士であると噂に聞く。

「お味方頂いた際には、佐久の領地の安堵といずれ信濃全域の平定を市兵衛殿にお任せ頂く事をお約束させて頂きます」

「信濃を?」

「はい。但し、直ぐにというわけにはまいりません。少し、いやしばらく年月がかかりましょう」

「そうじゃの」

「はい。そして小県におかれましては、相木殿と同族であられる海野一族(真田)との事。村上は天敵であられ、決して、村上、佐久、小県では信濃は一つにまとまりませぬ。晴信殿のもと、相木殿と海野一族で信濃をひとつにお納めいただきとうございます」勘助が続けて言った。

「善光寺がこの日の本、全ての仏の道を導くように、この信濃を安寧にひとつに治める事が出来るのは相木殿において他にはおりませぬ」

勘助のこの読みは正しかった。


小県の真田は村上に攻め込まれ、多くの兵を殺されている。決して村上に付く事は無い。しかし、村上に付いた相木とは敵対する事は無かった。市兵衛の人柄によるものである。

「ははっ。そのようなお伽話のような事がわしに出来るかの?」

勘助は、市兵衛のその言葉を見逃さなかった。


「佐久も村上に攻め込まれ、村と村人を守る為に、致し方なく村上の家臣になったと聞き及び致します」

「村上のやり方は領地安堵といえど、その領地に侵入してまいります。この海ノ口城のように。相木殿もこれを決して快く思っていないとお見受けいたします」

市兵衛は図星を言われた。この男。よくこの佐久の経緯、状況を調べておるわ。そして切り崩しにかかるのは、この相木からと策略を練ってきたのである。


「相木殿も、人質にご子息をお出しになられております故、直ぐに寝返りはできますまい。此度は、内密に兵法でお助け頂き等ございます」

「時期を見て、お味方について頂ければ良いかと存じます」


「どう動けば良い?」市兵衛

「まずは、この城をさらに強固にして頂きたい」

「はっ? 晴信に味方するのではないのか?」

「左様で」

「わけがわからぬ」

「信虎様に、この城を落としてもらっては困るのです。晴信様におとしてもらう為でございます」

「今、武田方は、この城の水路を絶とうとしております。それを阻止して頂きたい。そして、今しばらく時がかかりそうと判断した折には、城に火をかける策であります」

「落とせぬなら、燃やすまでか? 信虎の考えそうな浅はかな考えじゃ」

「火矢を防ぐよう、城壁に泥をお塗り下さい。この二策を行えば、この城は落とせません」

「泥を……あい。わかった。しかし、それでは、信虎・晴信共に甲州に引き返すしかあるまい」

「晴信様には残ってもらいます」

「……なるほど。奇襲か?」

「さすが、相木殿。御察しが早い。左様で御座います。信虎様が引き上げる際に、晴信様に殿を務めて頂きます」

「如何程、残す?」

「三百兵程」

「うむ。良かろう。追い打ちをかけず、祝杯を挙げさせて油断させておけば良いな?」

「御意」

「相木殿は引き上げておいて頂きとうございます」

「して、その後はどうする?」

「城から、一旦引いて頂ければ、その後は、我らも引き上げまする」

「落としておきながら城から引き上げると? あり得ぬ」

「あくまで初陣にて手柄を挙げるのが目的でございます」

「翌朝、奇襲の知らせを聞いた相木勢が見えましたら、我ら応戦せず尻尾を巻いて引き上げてまいります。相木殿に城をお渡しします」

「それでは、世間体は良いだろうが、信虎の怒りをますます買う事になる。……成るほど、それも狙いか?」

「御意」


「ひとつだけ条件がある」市兵衛

「条件? どのような?」勘助

「城内に残りし、女、子供には手だしせぬが条件じゃ」

「なんと?」


勘助は無理難題な条件を突き付けられるかも知れぬと思っていたが、市兵衛の条件は違っていた。

信濃をまとめる事が出来るのは市兵衛殿しかいないと言ったが、あくまでその人柄は噂程度でしか知らなかった。しかし、この市兵衛の出した条件を聞いて、本当にこの市兵衛であれば信濃を治める事が出来るであろうと感じたのである。本当の武士と感じた。 平賀源心には一人娘がいた。そして大勢の侍女たちが城内で兵士を支えているのである。平賀が城に残っている以上、その者達も城に残っているはず。それを考慮したのである。

「御意。しかと承りました」


山本勘助。噂に聞こえるだけの事はある。

晴信の元であれば、小県・佐久各々の領地を奪いあう事も無く、互いに助け合い繁栄する事が出来るのでは無いか?

市兵衛はそう感じた。

まだ、年端も行かぬ晴信なれど、天下に名だたる、武田の重臣達がいる。

そしてこの軍師が、古今無双の武士と称される晴信を担ぎ挙げるのだ。

信濃がひとつになれるやも知れぬ。いや、日の本がひとつになれるやも知れぬ。 願い続けた争いの無い国に出来るかも知れぬ。決して私利私欲では無い。多くの領地やお山の大将などは望んではいない。愛すべき村人達が笑顔で暮らせる日々があれば良い。市兵衛が願うのはそれだけなのだ。


それが叶うのではないか?そう感じた。

但し、それまでにどれほどの血を流さねばならないかも知っていた。


「山本殿。承知仕った」

「おお。有難き幸せにござる」


 こうして、山本勘助、相木市兵衛により、武田晴信(信玄)の歴史が動き始めたのである。


※武田晴信、初陣の戦い。「海ノ口の戦い」で大きな謎が二つある。

ひとつは、信虎指揮の元、八千の兵で一ケ月半かかっても落とせ無かった城が、晴信の三百の兵で一晩で落とせた事。そしてもうひとつは、落とした城をいとも簡単に応戦もせずに引き上げた事。落とした城は通常は守り抜くものである。

 この謎は、いろいろ諸説がある。しかし著者はこのような武田方の調略により、海ノ口城の守りを固めていた者が手助けをせねば無しえなかった事と推測している。

                          

葛尾城 

                                               

城門にて

「御屋形様にお取次ぎ願いたい」更科

「相なりませぬ。御屋形様から言われております」門番

「何故じゃ? 更科が来ておると伝えてくれ」

「なりませぬ」

「では、父上を呼んでくれ。城内のおるじゃろ」

「……それもなりませぬ」

「この。わからずや。もう頼まぬ。勝手に入る」

「更科。駄目じゃ。辞めろ」お結

「もう。待てぬ。森之助殿が連れていかれて、もう三日目じゃ」

「殿が城におられまする。殿にお任せくだされませ」おまつ

「村人達も、心配そうに見ておるぞ」お琴

「更科様。毎日、このように何時間も外にいてはお身体に触ります」おまつ

少し、お腹が出て来ていた。


次の日も、更科は会えぬ森之助に会いに行った。

次の日も。

そして次の日、いつもと同じ道を、おまつ、お琴、お結、晴介で葛尾城へ向かっていた時である、坂城村の百姓たちが、農作業を辞め、更科達の後を付いて来た。

「……お主らは?」晴介

「わしらも、一緒に御屋形にお願いにまいりますだ」百姓

「おいらたちも、森之助殿を助けて頂くようお願いすっだべ」

「わしもじゃ。森之助殿は、この村の勇者だに」

「そうだ。先の戦で、息子達はみんな、森之助殿に助けてもらっただに。今度はわしらが助ける番だ」

「みんな。……」晴介

村人が大勢が、更科達について来た。

「母様?」お結

「はい。結もそう感じましたか? この村の方たちは変わりましたね」おまつ

「あっしもそう思う」お琴

「私たちが、この村に流れて来た時は、心配そうに見てはくれましたが、誰も声を掛けては頂けませんでした」

「今では、更科、森之助殿を中心に、ひとつになっているように思えます」お琴

「左様ですね。更科様の村人達への無償のやさしさと、森之助殿の圧倒的な強さで、この村人達は生きて行く希望と勇気を持つことが出来ました。その勇気が他の者を労わる事が出来るようになりました」おまつ

「人は変われるのですね」お琴

「そうじゃ。人が変われば村も変わる」更科

「それも、村を治める主次第だ」晴介

「そうじゃの。森之助殿がいてこそじゃ」更科

更科一行と村人数十人が葛尾城前に陣取った。


「御屋形様。大変です」門番

「なんじゃ?」義清

「村人が数十人で城を取り囲んでおります」

「なんじゃと? 一揆か?」

「いえ。森之助殿を助けよと叫んでおります」

「森之助を?」右馬之助

「村人達が?」九郎


「どいつもこいつも、森之助か? おぬし等の差し金か?」

「いえ、拙者達は何も」


義清と右馬之助と九郎が城門に行った。

城門の上から、村人達を見た。

「更科……」右馬之助

「えらい数じゃの」義清

「森之助は楽巌寺城のある小諸村だけでなく、この坂城村でも勇者ゆえ、村人達から愛されているのです」九郎


「ふん。これ以上村人を敵に回すわけには行かぬな」義清

「御屋形様?」九郎

「あくまで、武田方、佐久の出方をみたまでじゃ。最初からどうする気もないわ」

「御屋形様……それでは?」右馬之助

「右馬之助。森之助を連れて、帰れ」義清

「おお。有難き幸せでござる」右馬之助

「但し、くれぐれも、動きは気にしておれよ」

「御意」


ぎいいーと大きな音を立てて城門が開いた。


そこに森之助がいた。

右馬之助と九郎も一緒だ。


「森之助殿」更科

「更科。心配をかけたな」森之助

「泣くでない。もう大丈夫じゃ」

森之助は泣くじゃくる更科を抱き寄せた。


おおー。と村人達が歓声を上げた。

まるで、二人が祝言を挙げたときのようだ。


森之助殿―。

更科様―。


「殿。坂城の村人達は変わりましたな。そう感じるのは私だけですかな?」九郎

「いや。その通りじゃ。いつも御屋形様や我らを見ると、怯えた目でしか見られなかった。それがどうじゃ。今では、御屋形様に向かってくるようになった」右馬之助


「これも更科殿が、日々、気さくに坂城の村人にも声をかけ、百姓仕事を手伝うになり、村人達から愛されているほかにありません」九郎

「それも、あの者達のおかげじゃ」

「おまつ殿ですね」

「ああ。そうじゃ。おまつ殿、お結、お琴が、暇を見つけては、百姓達を助けておった。城内の者と百姓との壁を無くしてくれたのじゃ。その姿を見て、更科も自ら手伝うようになった。そして、そこに勇者のこの森之助が現れた。坂城は強くなるぞ」右馬之助

「殿、我には、森之助と更科殿がいずれ、この信濃全土を平らかに治めてくれるのでないかと、思うてしまうのですが、そう思うのは我だけでしょうか?」九郎

「この信濃全土を平らかに?」

「はい。二人にはあのように、皆から愛され、多くの者を味方に付ける徳がございます」

「確かにな。但し、御屋形様と、信虎が手を取り合うような事が出来ぬ限り、この信濃を簡単には平らかには出来ぬぞ」右馬之助


「村上と武田が手を取り合うですか?……確かにそれは厳しいですな。誰か仲介役でもおらぬ限り」九郎


その言葉を聞いた右馬之助は、はたと思った。


「……市兵衛殿に何か策があるやも知れぬな?」右馬之助

「我もそう思いました。人一倍、この信濃を思うておられました故」九郎


こうして、森之助は村人達の嘆願もあり、存命を許された。


 しかし、こうして森之助が皆に愛される度に、憎悪をさらに強く抱く者が居たのである。



                               第五章 完




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