第3話 妖しい色気のある少女

 墓に参るに仔細語るようなこともなく、条にとっては故人を知らない以外に奇異なことはなかったが、事件ともいうべきものが夕立の雲の如く立ち上がった。千葉駅への帰路である。母、三崎ふうきは

「――――ッ!」

 と声にならない叫びを飲み込んで、それきり膝から道端に崩れ落ちてしまった。

「母さん! どうしたの?」

 通りすがりの男が驚いて後ずさりした。

 構わず母は泣き笑いと驚きの表情を向け、その謙虚なレースが千切れるかという力で服の端をつかんで娘を揺さぶり、左手で十メートルほど前方を弱々しく指し示した。

 見ると電柱の影に妙な恰好をした少女が蹲っていた。

 コスプレだろうかと思った。ゴシック・ロリータというには白が多いのではないか、いや色は関係ないのかと疎い知識をこねくり回して、条はコスプレをした少女だと思ったのだ。ふわふわなレースをたっぷり持っているモノクロの彼女は、炎のような唇をぽかんとあけて、心ここに在らずという顔でお空のどこでもない場所を見つめていた。

「――――ッ!」

 母があまりに訴えかけるので、条は怪訝に眉をひそめながら妖しい色気のある少女に歩み寄る。二歩三歩と近づき、声をかけようとして唾を飲み込んだ。

 瞳の焦点は僅かに合わず、ドレスの生地の重厚さはドイツの聖堂のようで、四肢のなめらかなことは、無垢な少女の召使いが夜毎に舐めて磨いたかのようである。きっと体液に濡れた肌に星空が映ったのだ。でなければ、どうして白磁の肌に星明りが宿るというのか。

 芸術家の義務としての一連の鑑賞の後、三崎条は控えめに挨拶をした。

「こんにちは。お名前をお伺いしても構いませんか?」

 少女は大儀そうに条の方を見たと思ったら、表情を一転させて笑顔で答えた。

「私? 私は楓、山王楓っていうの。あなたは?」

 如何にも高級な生地がふわりと舞って、楓を名乗る人物が立ち上がった。

「私は三崎条、高校生なのだけれど、お母さんが貴女に御用があるみたい」

「お母さまって、そちらで泣いているお方?」

 母はひどく取り乱した様子のままで、よろよろと近づくと、努めて冷静になろうという意志が感じられる身振りで――しかし震え声で――奇妙な質問をした。

「あなたは、本当に山王楓なの?」

 これは失礼ではないかと不安げな表情をみせた条はフォローしようと山王楓に目を向けた。すると、少女は布の森から何やら引っ張り出してきて、二人の眼前にあるものを提示した。古びた旅券だ。


――SANNO KAEDE

――JAPAN 19 JUL 1974


 条は旅券の写真と顔を見比べ、妙に色あせているのを除けば特に変わったことのないように思えたが、いつの間にか隣に立っていた母の指摘で気づいた。

(とても、一九七四年生まれの容姿ではない!)

「いきなり声をかけてごめんなさいね。でも、教えてちょうだい。お母さんはね、この旅券の持ち主と同級生だったの。どうして、あなたが持っているのかしら?」

 少女は何を云っているのかわからないと頭をふってから、華美で大きな、箱のようなペンダントを小さな手で握りしめて不安そうに口を動かした。

「私は山王楓だけど、あなたのことは知らないわ」

「でも、えっと。お誕生日っていつかしら?」

「一九七四年の七月十九日よ」

「でもそれだとお母さんと同い年よ?」

「私は特別なのよ。普通の人よりも歳をとらないんだって云っていたわ」

「どなたが?」

「れいかさま」

「れいかさまって、入谷礼華先生?」

「ご存知なのね」

 母は聞いたとたん、またしても倒れこんでしまった。

 条が質問を引き継いだ。

「あなたお家はどこ? ここで何をしているの?」

 ――この回答に困り顔をされるとは、思っていなかった。

「わからないわ。……わからない」

「えっと、迷子なの?」

 楓の細い涙の流れが、レースに当たって、りんりんと佳い音を立てた気がした。

「うん、うん、ここがどこかもわからないし、どうしてここにいるのかも……お外に出たことも……出ちゃいけないのに…………お姉ちゃん?」

「あ、いやごめんなさい。ちょっと……」

 条は赤面した。

(とても幼げで、知的で、危うくて、お上品な女の子)

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