第6話 戸締まり用心火の用心

「火のー用ー心!」 

 高らかに言い、拍子木をカチカチと鳴らす。

「魚焼いても家焼くな!」


 煽り顔芸男テオに啖呵を切って以来、僕は毎日夜回りをしている。「ここに人がいるぞ」とアピールすることで放火抑制の効果もあるからか、洗濯屋さんの火事以来、放火は起こっていない。


「現れませんね、放火魔」

 ターシャさんが焦れたようにつぶやく。僕の自作自演ではないと証明するために、毎晩一緒に見回ってくれているのだ。

「うん。放火されないのはいいことなんだけどね」

「もしかして、別の村に行ったのかしら」

 いや、僕の予想では、放火犯はまだこの村にいる。だから、少し仕掛けてみることにしたのだ。


 僕たちが食堂に戻ると、中は常連客をはじめ村の人たちで賑わっていた。

「はい、トリカラあがったよ!」

 マッチョ店長が腕まで使って皿を六枚同時に持ち、テーブルに置いて回る。どうやってるんだ、あれ。

「待ってました!」

「トリカラは飲み物!」


 常連客たちが僕に気付いて「ユウさん、ゴチになります!」と会釈した。


 僕が消火器をお店に配って回ったときに、「対価は取るもんだ」とみんながお金を払ってくれた。そのお金を使って、今晩は僕のおごりで誰でも歓迎の無料食事会を開いたのだ。これで少しは、僕が「自作自演の放火犯」だというデマが下火になればいいのだけれど。


「知らない人は来ていないですね」

 ターシャさんが小声で言う。さすがに放火犯もノコノコとは出てこないだろう。ここからが勝負だ。


 僕とターシャさんが厨房へ行くと、親方――彼女の上司のシェフがパエリアを盛り付けていた。ターシャさんが「親方、ここはいいので、みんなと飲んできてくださいよ」と、シェフにパエリアの皿を持たせて客席へと追いやる。

 無口なシェフは「ん」と頷き、素直に客席の方へ向かった。最初のボヤのとき、シェフは都へ香辛料の仕入れに行って不在だったのだけれど、こんなに無口で交渉とかちゃんとできたのかな、この人。


「私たちも、このビール運んだらあっちへ行きましょう」

「そうだね。鍋の火も消えてるし、ここは留守にしても大丈夫かな」

 わざと大きな声で言って、二人で厨房をあとにする。そしてこっそり戻ってきて、廊下の陰から厨房を監視した。


 しばらくして、勝手口の扉がキイ……と開いた。


 僕とターシャさんが息を殺して見つめる中、誰かがそろりと厨房に入ってきた。

 フード付きのマントを被っているから、顔は見えない。小柄で、身長は百六十センチ程度か。なで肩で、華奢なシルエットをしている。


 マントの人物は厨房を見回すと、竈からよけてある油鍋に近寄った。

 その人物がフードを取ると、セミロングの黒髪がこぼれた。若い日本人女性だ。

(やっぱりマレビト――僕と同じ転移者だ)


 彼女はポケットから何かを取り出した。シュボッという音がする。

 油鍋の真上にかざされているのは、火の付いたライター。


(こいつが放火犯か!)


「スキル『防火管理者』、能力『消火器』!」

 小声で唱えて左手にABC消火器を持ち、僕は厨房に入って放火犯に対峙した。


「今すぐライターを消すんだ!」


 マントの女性がこちらを振り向く。そして、僕の顔と左手の消火器の間で、何度も視線を往復する。その顔は、驚きや警戒というより、なぜか悲しそうだった。


「消火器……。なんなの、あなた」

「ここでバイトしている防火管理者です」

「……じゃあ、宿屋の火事を放水で消したのも?」

「ええ、僕です」


 彼女の顔色がみるみる青ざめる。そして絞り出すような悲鳴をあげた。

「どうしてタケルくんじゃないのよぉ!!」


 僕は、この放火魔は愉快犯ではないと思っていた。火事はどれも、すぐに見つかるものだったからだ。そして、放火が始まったのは食堂の失火のあと。つまり、消火器という現代日本の器具が使われてからだ。

 僕が連想したのは八百屋お七――恋しい男に会いたいがために放火した女性だった。


「あなたは日本から転移してきた人ですね。そして、はぐれてしまった恋人か夫を探すために火をつけた。違いますか?」

 なるべく落ち着いた口調で、僕は彼女に訊ねた。


「そうよ。消火器で火事を消した人がいるって聞いたから、てっきりタケルくんだと思ったのに……」

「ちなみに、タケルさんのご職業は」

「消防士よ」

 

 申し訳ない気持ちになりながら、僕は言った。

「消防士は通常、消火器や消火栓は使わないんですよ。あれらは普通の人――僕みたいな防火管理者とかが、消防が来るまでに初期消火で使うものなんです」


 マントの女性が怒りをあらわにした。

「紛らわしいことしないでよ! なんなの防火管理者って。ショボいスキルのくせにしゃしゃり出てこないで! タケルくんを見つけ損ねちゃったじゃない!」


 そのとき、うしろからターシャさんが出てきて僕の腕に手を添え、マントの女性に言い返した。

「ショボくなんてないです! ユウ様は、炎で身動きが取れない私のことを助けてくれました。通りかかっただけなのに、見ず知らずの人のために必死になれる。ユウ様が立派なのはそういうところです! 私たちにとってはスキルもすごいけど、ユウ様のすごさの本質はその心意気なんです!」


 ……ターシャさん、そんな風に僕のことを思ってくれていたなんて。

 正直、最初は「かわいい子に好かれてラッキー」程度だった。けれども彼女から好意を向けられるたび、大したスキルもないのに持ち上げられて好かれることに、僕は引け目を感じるようになった。僕自身が、いつもひたむきなターシャさんのことを好きになってしまったから。いつかガッカリされたらどうしよう、と。


「ターシャさん……」

「ユウ様!」

 放火犯そっちのけで、僕たちは視線を絡ませた。

(見つめ合うだけで幸せな気分になるって、こういうことを言うのか。この多幸感、きっと世界が僕たちを祝福しているんだ。嗚呼、これが愛――!)


 つい二人の世界に入ってしまった僕とターシャさんに、マントの女性がキレ気味に言う。


「なに見せつけてくれてるのよ、あんたたち! ……もうヤケだわ、この油に火をつけてやる!」

 彼女は手に持ったライターを、油鍋に近づけた。

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