2度目の仲直り

 チャイムが鳴った。多くの生徒が待ち侘びていたであろう、6限の終わりを告げるチャイムだ。僕は挨拶が終わるとすぐにカバンを取りに行き、荷物をしまって、陸に一言告げてから遥の席まで急いだ。


「行こう」

「優…うん、行こう」


 僕はグッと拳を握りしめて、教室の外に出た。後ろから遥が追いかけてくる。人通りの多い廊下を何とか通り抜け、僕たちは下駄箱まで辿り着いた。急いで靴を履き替え、学校付近の公園まで二人で走る。


「優…ごめん、なんか、巻き込んじゃって」

「良いよ。…それよりさ、僕、写真撮ったんだ」


 僕は一つ息を吐いて、カバンからカメラを取り出した。約一年前、卒業祝いとして母親がくれた一眼レフ。当然だが、以前使っていたデジカメよりかなり性能は良い。今朝撮った写真もブレてはいたが、特徴ぐらいはしっかりと写っているはずだ。


「…あった、これなんだけど……」

「…かぎ尻尾だ…間違いないよ、うちの子だよ」


 遥はそう言うと、俯いて顔の半分を手で覆ってしまった。子猫を見てからもう半日以上経っている。この辺りに居るという保証はないが、昨夜逃げ出してから朝まで付近に居たということを考えれば、探してみる価値はあるだろう。僕はカメラをカバンに入れて、遥を一瞥した。遥は、今にも溢れそうなほど目に涙を溜めていた。


「優…優、ごめんね。」

「えっ、何が?」

「ううん…なんでもないの。探しに、行こ」


 遥は制服の袖で涙を拭い、僕に笑顔を見せた。その瞬間、ギュッと心臓が握られたような感じがした。急に鼓動が速くなって、僕は思わず遥から目を逸らした。


「優…?」

「…なんでもない。」


 遥を視界から外すと、あの不思議な感覚はすぐに消え去り、鼓動も少しずつ落ち着いてきた。僕は胸をさすりながら、朝子猫を見た場所まで移動した。終始、遥は不安げな顔をしていた。


「そういえば、子猫の名前は?」

「つむぎ…だよ」

「つむぎ、良い名前だね。」

「ありがとう…嬉しい」


 遥がにこっと笑った。思わず僕も笑顔になる。少し和やかなムードの中、僕たちはつむぎの捜索を開始した。


「つむぎーー!!」

「つむぎ〜っ!」


「おい、あれ、違うか?!」

「違う、つむぎじゃないっ…」


「つむぎ、どこ…」

「つむぎ〜!出てこーい!!!」


 捜索を始めてから約2時間が経った。もうすぐ日没。日が沈んでからでは探しようがない。今日はもう帰ろうか。そう思い、僕は踵を返した。そのときだった。僕の足元を、茶色の猫が掠めて行った。


「あっ、おいっ!」


 思わず僕が叫ぶと、猫はピタッと立ち止まり、ゆったりとした動きでこちらを向いた。胸の辺りが白い、キジトラ模様の猫。他の猫よりも一回り小さいその体は、息を呑むほど美しい毛並みによって覆われている。尾を見れば、先端付近でくっきりと折れている、俗に言うかぎ尻尾だった。


「つむぎ…つむぎだろ。ほら、こっちへおいでよ」


 僕がしゃがんで両手を広げると、猫は警戒こそしていたが、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくれた。僕は猫の両脇をゆっくりと掴み、猫を抱き上げた。猫は僕の臭いをフンフンと嗅いでいる。


「飼い主の匂いがするか」


 僕はつむぎに話しかけながら、遥の元へと急いだ。数分も歩けば遥の姿が見えた。遥は何度も腕時計を見ながら、必死につむぎを探していた。


「遥」


 僕が声をかけると、遥はすぐにこっちを向いた。次の瞬間、膝から崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。どうやら全身の力が抜けたらしい。


「つむぎ…つむぎ、つむぎっ……」

「つむぎ、飼い主だよ」


 僕は遥につむぎを受け渡した。遥がつむぎを強く抱きしめると、つむぎは喉をゴロゴロと鳴らして目を瞑った。


「つむぎっ…ごめんね、ごめんね…っ」

「幸い怪我も無さそうだね、良かった。」


 つむぎに何度も謝る遥。その目からは、大粒の涙が溢れ出した。夕日に照らされてキラキラと光る涙。喜びや安堵の裏に隠れる罪悪感や自責の念…後ろめたさなんかもあるだろうか。遥とつむぎの周囲に漂うのは、そんな対照的とも思える感情達が織りなす、ある種特異的な雰囲気だった。

 ドクンと心臓が跳ねた。鼓動が速くなって、指先が痺れる。僕は考える前にカメラを取り出し、遥とつむぎ、そしてその周囲の雰囲気も一緒にカメラに収めた。


「優…撮ったなぁーっ!?」

「え、あっ、ごめっ…」

「ん〜、まぁ…つむぎを見つけてくれたお礼として、特別に許可するよ」


 何故か上から目線な遥はつむぎを抱えてゆっくりと立ち上がると、僕の胸元に額を当てた。


「優…ありがとう……!」

「…うん、どういたしまして。」


 遥は、しばらくそのままで動かなかった。



 あれから数十分。僕たちはようやく帰路についた。辺りは真っ暗で危険だったので、とりあえず遥を家まで送ることにした。遥の家は高校から徒歩で30分もない。話している内にすぐに着いてしまった。


「優、今日は本当にありがとう。」

「いいよ。もう逃すなよ」

「うんっ、気をつけるね。」


 遥はにこっと笑うと、抱いていたつむぎを家の中に入れ、もう一度僕に頭を下げてきた。


「本当にありがとう」

「いいって」

「…あのさ、優」


 遥は真剣な顔をしてこっちを見た。思わず僕も背筋が伸びる。


「私、今まで優のこと少し避けてた。なんか気まずくて…。けど、明日からはもう引きずらないことにする。」

「…そっか」

「だから…また、仲良くしてくれる……?」


 それは、僕が一番望んでいた言葉だった。

 僕は一つ頷き、遥に微笑んでみせた。


「当たり前。またよろしくな」

「…!うん!!」


 遥は花が開花するかのように、美しい笑顔を見せた。写真に収めたいと、強く思うような笑顔だった。


 夜の22時。就寝の準備を終えた僕は、今日撮影した写真を順番に眺めていた。登校中に飛んでいた蝶、初めて見た花、綺麗な空。少しブレてしまったキジトラの子猫と、つむぎを抱きしめて涙を流す遥。どれを見ても、美しいと思った。


 美しいとしか、思わなかった。

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