1-4:黒い女剣士 下

「人間!? ちっ……!!」


 女剣士は舌打ちをすると、すぐに右手を動かし、長剣を引き抜いた。自分が動いたせいで、この場を支配していた緊張が一気に爆発し、彼女の背後にいた二体の獣人が、弾ける様に飛び出していた。


 狼の爪牙が女の背中に迫る――しかし、それらが獲物をとらえることは無かった。一体がその手を振り下げるよりも先に、女の長剣がその腕を切断してた。その動きは、もう一体の牙を避ける動きになっており、返す刃で獲物を逃した化け物の喉元を長剣でさし穿っていた。


「惚けない!」


 女のこちらに向けて発した言葉が意味することは、十分理解できていた。とはいえ、こっちも寝起きというかなんというか、ともかく自分がどれだけ動けるかもよくわかっていないのだが――なんとか逃げようとするものの、無駄だった、すでに眼前には、三体の獣人が迫ってきている。


「ふっ……!?」


 目の前の一体目による爪によるヤバげな一撃は寸でのところで避けられたものの、その先までは反応できなかった。迫ってきていた二体目の蹴りが腹に埋まり、そのまま自分の体が背後にふっとぶ。そのまま、後ろにあった木の幹に体は打ち付けられた。


 痛みは無いが、息はできない――目の前がチカチカし、視界が安定しない。おそらく時間にしては一瞬、しかしいつの間にか目線が地面に向かっていたことに気づき、何とか顔を上げると、再び一体のワーウルフが、咆哮とともに目の前に迫ってきていた。


 だが、狼の牙も爪も、自分の体を抉ることはなかった。それよりも先に、獣人の首が宙を舞っていた。そして、地面に残った獣人の体は氷が割れるような鈍い音を立てたと思うと、衣服や武器を残して結晶化し、すぐに崩れ去った。


「アナタ、なんのために飛び出てきたのよ!?」


 獣人が崩れた先で、月の光を反射する白刃が煌めき、もう一体の獣人の首を黒衣の剣士が切断していた。面目ないとか体が勝手に動いていたとかいろいろ言い訳したい気持ちもあるが、それも後にすべきだろう。まだ二体のワーウルフが残っている。そもそも、蹴り飛ばされた衝撃と痛みが今になって来て、せき込んでしまい、しばらく話せそうにない。吐血していないので、内臓にダメージはなさそうだ、頑丈に転生させてくれた女神には、少しばかり感謝しなければならない。


 さて、女の方は減らず口を叩いたのも束の間、すぐに残りのモンスターに向かっていく。漆黒の風のように詰め寄り、そのまま危なげなく二体を剣の錆とし、残骸が灰として夜の木々に巻かれた。女は剣を一払い、息を整えているところまで視認し――俺は目の前に落ちている化け物の遺留品を拾い上げて振り返る。


「はぁ……お陰で、余計な手間を……後ろ!」


 女の声を背に、針葉樹を震わせながら近づいてくる最後の一体に向かう。振り上げた自分の左手から短剣が飛び、それは相手の額に刺さった。だが、おそらく浅い、ワーウルフは少しよろけたがすぐに持ち直してこちらに向かってくる。


 次いで、右手を振り下ろすと、刺さった短剣を押し込むように、もう一本の剣が最初の一本の柄に当たった。そして、自分の前に居た最後の一体も結晶化し、白い灰になって崩れ去った。


 なんだか体がいろいろと体が勝手に動いていたが、もしかすると簡単な戦闘スキルは女神がくれていたのか――などと思っていた矢先、緊張が一気に戻ってきた。辺りは静かで、すでに敵の気配は無いが、自分が死闘を行っていたという事実に、今更ながらに眩暈がする心地になっていた。


 ともかく、これで落ち着いたのだろう。息を整え、後ろを振り向こうと思った矢先に、首に冷たいものが押し当てられていた。


「……アナタ、何者?」

「それは俺が聞きたいなぁ……げふっ」


 先ほどのダメージのせいでせき込んでしまった。とはいえ、これはそう切れ味が鋭いものでないのだろう、女の手に構えられた装飾のない簡易な短剣に少し当たったが、特別に首から血が出ることもなかった。


「ちょ、ちょっと。大丈夫?」

「心配するくらいならさ、その物騒なものをしまってくれないかな?」

「それは無理。身の安全が確保できてからね」

「もう安全だろう?」

「私からしたら、アナタの方が魔族より得体が知れなくて危険よ。もう一度聞くわ、アナタは何者?」

「だから、俺が聞きたいって……記憶喪失なんだ」

「……はぁ?」


 素っ頓狂な返しが聞こえる。ただ悲しいかな事実だし、女神に転生させられたとか、わかる範囲のことを伝えても余計に怪しまれる可能性がある。幸い、身にまとっているものは現地風のものだし、そこまで怪しまれはしないだろう。


「アナタの言うことを、とりあえず額面通りに受け取るなら」

「うん」

「記憶喪失で、自分が誰かもわからず、ここがどこかも分からず、こんな辺境に迷い込んで、耳と鼻の良いワーウルフの群れにその気配を気づかれずに森を歩き、一見襲われているであろう様に見えた私を助けるために敵の気を引いて、無様に吹っ飛ばされて、その上でワーウルフの目と、脳髄を、正確無比に投擲で射ちぬいたってこと?」


 前言撤回、怪しさマックスだった。


「まぁ、そういうことになるかな……?」


 投擲は多分まぐれだ、とかいう前に、女のナイフを持つ手に力が入る。


「……信じられないわ」

「いや、そりゃそうかもしれないけど!? というか、あの隠れた狼野郎の奇襲を防いだのは確かなんだ、少しは感謝の気持ちってものをだな……」

「いいえ、アナタが居たおかげで余計な手間をとったの。数体隠れていることぐらい織り込み済みよ」

「さ、さいでっか……ごほっ」

「意味不明の言い訳の次は泣き脅し?」

「本当に苦しいんだって……ごほっ」

「はぁ……」


 後ろで女が首を振っている気配を感じる。そしてナイフはそのまま、女の空いている方の指が、こちらの胸辺りを撫で始めた。


「え、何、突然エッチなことをするつもりか!?」

「ば、馬鹿なことを言わないで!? 何か隠し持ってないか確認しているだけよ」

「何にも持ってないって……多分」


 実際、目が覚めてから細かく荷物など確認していない。もしかしたら、レムの奴が何かを持たせていたら、あらぬ誤解を招く恐れもある。


「……多分って何よ」

「いやぁ、男ってのはみんな、凶悪なのをぶら下げてるもんだからな」

「やっぱり、この場で首を落としてやろうかしら……はぁ……」

 

 極大のため息の後もボディチェックは続き、なんとか怪しいものは出てこずに済んだようだった。懸念のある凶悪な箇所はタッチをスルーされたのは残念なような安心したような絶妙な気持ちになったが。


「はぁ……アナタの言うこと、半分信じてあげる」


 やっと刃が収められ、改めて女のほうに向き直ると、戦っている時に感じていた凛々しさと刺々しさのある美人がそこにいた。その美人のジト、とした目が、まっすぐにこちらを射貫いている。


「そんなに警戒しなくてもいいんじゃないか?」

「あのね、アナタが怪しいことには変わりないのよ。ただ、真っ当な曲者なら、もう少しマシな嘘をつくと思っただけ」


 真っ当な曲者とはまた矛盾している気もしたが、ひとまず少し警戒がとけたのは一歩前進だ。


「あ、でも半径二メートル以内に近づかないで頂戴」


 そう言いながら、女は汚いものを見るかのような目つきで数歩後ずさった。


「いやいや、なんも持ってなかっただろう?」

「アナタ、自分のしたことを忘れたの……まぁいいわ」


 何のことやら、そう思っていると女は、俺が倒した獣人がいた場所にかがみこんだ。


「……この距離でも、石でもあればアナタにとっては間合いなんだから」

「成程、そういうことか……当たったのはまぐれだって」

「まぐれが三回も続く? 相当運には自信があるのかしら」

「運がいいなら、記憶もなくなってないな」

「ふふ、確かにね……いえ、まだ記憶がないということを全面的に信じたわけではないけれど。で、アナタもボーっとしてないで」


 女の手には、獣人達の核とでも言うべきなのか、白い結晶が乗っていた。これを集めてこい、ということなのだろう、こちらも振り返り、怪物が散った場所に結晶を拾いに行くことにした。


 しかし、いつまでも脳内で女呼びするのもなんだな。


「君、名前は?」

「人の名前を聞くときはまず自分からって、親に習わなかったのかしら?」

「いちいち突っかかってくる奴だなぁ」

「アナタが怪しいうえに言動がイチイチ胡散臭いからこうなるだけよ……それとも、名前すら覚えていない?」


 名前すら覚えていないのは真なのだが、そういえば先ほど女神より賜った名前があったのを思い出す。


「いや、名前だけは覚えている……俺はアラン・スミスだ」


 名乗った瞬間、彼女の体がこわばる気配を感じた。もしかしたら、知り合いの名前とか、もしくはこの世界で特別な名前だったのか?


「へぇ……まぁ、もちろん実際にいるでしょうけれど。それにしても名無しの権兵衛さんね。記憶喪失のアナタにはぴったりかしら」

「……あ?」

「こういう記憶もないの? アナタの名乗った名前、身元不明の男性の遺体に便宜上つけられる名前よ」


 あの女神、怪しさマックスの男に怪しさマックスの名前を送ってからに。次にあったらガツンと言ってやろう。しかし同時に、身元不明の遺体とは、自分にふさわしいような気もして、少し笑ってしまった。


「ともかく、こっちは名乗ったぞ」

「えぇ、そうね……アナタの名前は恐ろしく偽名のようだけど、アナタはそれが偽名かも分からない設定なんだものね?」


 こいつ、涼しい顔して設定とか言い始めた。もしかしたら自分と同類の気があるかもしれない――こちらが勝手に親近感を覚えているのを他所に、長髪の剣士は少しだけ口元を緩ませた。


「私はエル。安心して、偽名ではないわ」


 本名でもないけれどね、彼女の微笑む横顔が月に照らされていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る