帝の添え星(2)


「星を見えづらく隠していたものは、大樹帝たいじゅていの御代を覆す謀反人――そう、お前は思っているわけだな?」

「ああ。しかもたぶん、俺たちがいまになって謀反の兆しを読めたのは、こちらが注力して星見をしたから――なんていうのが理由じゃない。明らかにここ数日で、空の目隠しが薄くなっている」


「相手が覆い隠す手を緩めたということか……」

「そう。もう多少、ばれてもいいって思われてるってこと。つまり――この世をひっくり返す準備が、だいぶ整っちゃってるってことだ」

「確かに、そうなのだろうな。星が見えづらくなってから、いくども同じように試みていたというのに――今朝になって、いまさら光が読めた。だが、星見を妨げるほど、大きな力を持つモノとなると――……」

 限られる。それこそ、天に昇った神々か、それに等しき力を持つ化生か――。過る銀色の影に春明の眉が自然厳めしく寄れば、それを玄月は笑い飛ばした。


「こっわい顔。まだ君が思い描いてる相手とは、限らないだろ」

「だが他にいるか? あの夜に思い知らされた。なにをしでかしてもおかしくない相手だとな。まさか、私の手でお前を……」


 そこで春明は、口にするのも忌々しいとばかりに言葉を区切った。

 爪が食い込むほど握りしめかけた手のひら。そこに、ふっと割り入った長い指先が、彼の手を解きながら言う。


「――あの時は助かったよ。止めてくれて、ありがとう」

「当たり前だ。あそこで止められなくて――なにが天下の陰陽師だ」


 やわらかに頬をほころばせた玄月とは対照的に、なお悔しげに春明は眉根を寄せた。玄月を殺す手前で呪縛をほどけた。だがそれは最低限、死守すべき抵抗だ。わずかな間でも身体を乗っ取られ、操られたこと自体が許しがたい。


「仕方ないよ。あれは――君の母君だった」

 母、という言葉を使っていいものか少し思いあぐねながらも、玄月は口にした。


「音色ばかりはそれらしく優しげに、『吾子あこ』などと呼んでいたからな。だが、産み落としただけで育ててもいない。上っ面のみ母子の真似事をしているだけだ。じょうもなかろうというのに、厚かましいにもほどがある」

「まあ……それはそう」

 淡々と言い捨てる春明に、玄月は苦笑した。あの時春明の唇から漏れた『吾子』の響きは、我が子をいつくしむ音色ではなかった。特別お気に入りの玩具を弄ぶ、享楽で彩られていた。


「だけど――ああして君にちょっかいを出してきてくれたおかげで……見えたものがある」

 玄月の射干玉の双眸は、春明をあらためて見つめた。螺鈿を星と散らした漆黒の瞳。見えないモノを見通す眼差し。それとは別に宿った、意を決した凛とした鋭さが、春明を射抜く。


 背筋をすっと冷たく、けれど清廉な風が、ひとなでしていくようだった。わずか、その先を拒みたい震えに指先が痺れたのは、情けないながら気のせいではないだろう。

 けれど、春明は震えを払い、静かに、まっすぐ、玄月を見返した。


「あの夜、お前は……私になにを見た?」

「――君の生まれを、そして――俺が君にできることを。いや、してほしいこと、かもしれないけどね」

 はぐらかすためでなく、誤魔化すためでもなく、ただ軽やかな笑みに唇をほどけさせて、玄月はゆっくりと立ち上がった。


「でも、この話の前に、まず勾玉の話を整理したい。あれ、君が持っていない方が、絶対いいと思ってさ。君の邸に置いていたのを、こっちに持ってきてたんだ」

 ゆっくりと一番側近くの几帳きちょうの元へと歩み寄る、そのうしろ姿が、いやに痩せて細く見えた。直衣や狩衣を着込まぬ、袴と単姿であるせいだけではないだろう。背に流れる黒髪も、昔はもっと艶やかであったはずだ。


(……よく見れば、もっと早くにわかったはずなのにな)

 無意識に惑う情が、拒む思いが――視界を閉ざしたのだろう。

(情で至当な判断を鈍らせるとは……不甲斐ない)


 纏う軽快な空気で、心地よく弾む声音で――話す内容の重苦しさを覆うほど、いまなお玄月は以前と変わらず楽しげにしている。そのおかげで紛れていた感情が、不意な静けさに喉奥から込み上げてきた。


 取り戻せないものに、なお縋りたくなる無様さ。失いたくないと、癇癪にも似て爆ぜそうになる気持ち。それに、春明はそっと唇を噛みしめかける――が。

「君はさわらないでね」

 春明が堪えたなにかに気づいたのか、偶然か、後ろ姿から流れた歌うような声が、彼に寄り添った。


(――……そういう、ところだ……)

 思わず、春明は俯いた。泣きたかったのか、微笑みたかったのか分からないまま、間の抜けた、けれどあたたかな吐息が零れる。


 その間に玄月は几帳のうしろに横たえていた長櫃ながびつを引っ張り、ごそごそとそこから漆塗りの小箱を取り出していた。両手で覆える程度の大きさで、蓋の四方に籠目の紋を描いた封がされている。


 だが、「これこれ」と春明を振り返り、歩み寄りかけた瞬間――ふと、柳眉を訝しげに寄せた。

「……あれ?」


 唐突に、玄月は手にした小箱を乱暴に振り動かした。中の勾玉がぶつかり合ってひび割れる勢いだ。しかし、箱の中からは、なにひとつ、音がしない。

 春明と玄月の視線が、不穏な空気のうちで混じり合う。


 次に、玄月はがばりと勢いよく、封ごと小箱のふたを開け放った。けれども当然のように、箱の中には瑠璃色の勾玉が、ひとつとして入ってはいなかった。


「――どこへ?」

 玄月の口端から携えていた笑みが消えた。

 がらんどうの漆の箱。そのぽっかり空いた不気味な洞に、ざわりと身の毛のよだつ胸騒ぎがして、春明は己が胸元を押さえ込んだ。


「……ひと月、寝ていた」

 低い声は確信をひそめた響きだった。その意味に気づいて、玄月が目を見開く。

「まさか、そんな……そうならないように、すぐに引き取ったのに」

「私をよく見ろ、玄月」


 いつにない動揺を浮かべた玄月を、鎮めるように凛と春明の視線が射抜いた。はっと瞬いた瞳が、一瞬にして冷静と常の余裕を取り戻す。

 そのまま玄月は、小さく頷くと、そっと春明のそばに膝をついた。星宿す射干玉がじっと静かに、春明を見つめる。


「――君のうちに、七つ……いや、八つ、ある」

「八つ? なぜだ?」

 怪訝げに、春明は顔をしかめた。


 小箱の中にあった勾玉は六つ。先の辻狼の分を加えて、七つ。どういう術にしろ、例の勾玉が、玄月の目を盗み、すべて春明の身のうちに潜められたのは確かなようだ。だとしても――ひとつ、多い。


「……たぶん……」

 言い澱んで、くしゃりと玄月は前髪をかきやった。

「教えろ、玄月」

「いや教えるけど、俺だって、心の準備ってもんが。だから順序だてて伝えようと思ってたのに。あ~、くそっ」

「いまさらに繊細を気取るな。いつもどおり、ざっくり来い」


 頭を抱えて悪態をつく玄月に、淡々と、今度は春明が日ごろの調子でたたみかけた。そしてそっと、混じる溜め息とともに、もう一押しの言葉を紡ぐ。

「玄月。私は……半分化生の陰陽師。本当に……それだけか?」

 玄月が顔をあげ、その双眸が、瞬きをせず春明を仰ぐ。


 ひと月の眠りと引き換えに、己が身のうち宿された化生の勾玉。玄月の態度。それに、あるはずのない八つ目の勾玉――。

 玄月がなにを見たのかを聞かずとも、予感がした。己が思っていた以上に、春明は――


 だがそこで、ろうを走りくる音が、ふたりの間に張り詰めていた緊迫を打ち破った。

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