門の守り人(2)


 とたん、龍のごとく鎌首もたげ、鋭い樹の根の切っ先が、大地を突き破って轟き現れた。大地を貫く勢いと質量で、猛る炎すら飲み込み、消し潰す。

 貫かれることは免れたがかわしきれず、春明は強かに脇腹を叩きつけ、跳ね上げられた。直衣のうしの袖を空にはためかせながら、蠢く無数の根を睨み、歯噛みする。


 気づけば化生の《澱み》が周囲に充満していた。何か大きなことを仕掛けるには十分な予兆だったはずだ。

 それなのに、気づけなかった。いつにない己が失態に、憤りを抑えきれぬまま、春明は彼を狙ってうねり寄ってきた太い根を蹴り飛ばした。


 そのまま天へと滑る別の根へと降り立てば、息つく間もなく、駆け上ってきた狼たちが牙を剥き、噛みかかってくる。

 それを符の一振りで薙ぎ払うも、化生たちの背後にはまた灰色に燻ぶる煙。炎が飲んだ衛士がまたも姿を結んだ。


 当然だ。彼らは狼たちより格上の統率役ではあったが、本体ではない。切り払おうが焼き払おうが、何度でも生まれ出よう。

 分かっていた。頭では分かっていたのだ。

(だが――)

 手ずから叩き潰し、消し飛ばさねば気が済まなかった。その最期の苦悶を目に刻もうと、してしまった。無駄なことと、無意味なことと、理解していて――なお。


 駆け抜けた小柄な衛士の太刀のひと突きと、息を合わせたように繰り出される狼たちの牙や刃のごとき尾のひと薙ぎを扇で払い、符で防ぎ、身をひるがえす。

 しかし、距離をとろうと他の根へ飛びのき足をつけた瞬間。背後に一瞬で形を成したもうひとりの衛士の太刀が、首元を狙って力任せに空を薙いでいた。

 避けるにも防ぐにも、かすか――間に合わない。


 その刹那。唸りを上げる太刀ごと、衛士の巨躯を無数の紫の糸が動きを制して絡めとり、宙へ向けて放り投げた。高く高く伸び行く樹の根の先さえ超えて、大きな身体が糸に包まれ空を舞う。

 と、同時に、投げ飛ばした反動でか、転がり込むように玄月が春明の隣に落ちてきた。受け身をしくじり、強かに腰をうちつけながら、痛みをこらえた顰め面で、己がすっ飛んできた方を指し示す。


っつぅ……あっち、お願い……!」

 見れば玄月の後を追って、彼と対峙していた三人目の衛士が、根を蹴り宙を舞い、一刀浴びせようとすぐそこまで迫っていた。


 目にした瞬間、だくを返すより早く、春明の手は印を結んでいた。その足元から伸びた影から光の人型が瞬きの間に飛び出、携えた太刀で化生の衛士と激しく切り結んだ後に、その首を高く刎ね飛ばす。

 春明の操る式神のうち、特に優れた十二のひとつ。その働きに賞賛の眼差しをやりながら、にやりと玄月は気まずげな春明を仰ぎ見た。


「油断したというか、冷静さを欠いたね」

「……返す言葉もない」

 式神ではなく、この手で、じかに、もっと惨く、と、澱む妄念に、なにかを逸り過ぎた。


「気持ちはわかるけどさ。君のいいところ、なくさないでね」

 腰をさすりさすり立ち上がる切れ長の射干玉が、いつもの調子で軽やかに笑った。

「小憎らしいほど冷静なのが売りでしょ」

「小憎らしいをなぜ付けた?」

 迫る狼を光の刃で蹴散らし尋ねる平坦な声音に、くすくすと肩を揺らしながら、紫の糸が狼たちを薙ぎ払う。


「冷静に人のことを囮に使ったりするじゃん」

「まだ根に持ってるのか」

 内裏の龍あいてに似非女房が宙を舞ったのは、季節ひとつ分前のことだ。適当な割に執念深い、と、こぼされる嘆息は、もう聞き慣れたもので、玄月は口端に微笑をのぼらせた。

「癪に障る美点として褒めてるの」

「修辞で貶めるのをやめろ」

 可愛げを装って踊った口調に、ぴしゃりと冷たく春明は返した。


 それとともに、彼らふたりをひと呑みにしかねない一際巨大な狼が、牙を剥きだしにしたまま五芒の星に首を刎ねられた。

 そのまま春明は右へ、玄月は左へと身体を開き、袈裟斬りに叩き落された刃を扇で払い、突きの切っ先を糸のうちに絡めとる。

 時たまかすか背が触れ合いかけ、袂が掠め合う距離をそのままに、蠢く樹の根の上を器用に駆けながら、ふたりは衛士を、狼の群れを、捌いていった。


 黄昏の空を覆う異様な根は、時折り切っ先でふたりを刺し、その重さで圧し潰そうと襲いかかってくるが、それよりなにより、彼らを門から遠ざけよう、遠ざけようと、足元を奪って動いてくる。


「もう隠しようがないとは分かってるらしい。この位置からじゃ屋根のせいで見えづらいけど、あの門の柱と柱を繋ぐ頭貫かしらぬきの部分。あのぶっとい横一文字の木がこの化生の本体――核だ。ちょうどよく、例の勾玉の気配もそこからする」


 確かに門のうちでも、頭貫かしらぬき部だけは、他とは違った。垣根も門扉も柱も、屋根さえも、絶え間なく蠢く樹の枝や根によって形づくられている。まるで百足や蛇の群れのようだ。だというのに、頭貫部分だけは、ぴくりとも動かない。ただ苔むた黒い幹が、不動のまま不気味に横たわるばかりだ。


「ここから狙えるかな?」

「試みてはみよう」

 答えて、春明は少し困った様で太めの眉を寄せた。

「多少……尾が見えるかもしれないが」

「俺、あのもふもふ好きだよ、これと違って」

「お前の好悪は聞いてない。あとついでに、比べてくれるな」


 斬りつけてきた鋭い狼の尾を糸で刎ね飛ばしながらの賛辞に、春明は渋い顔で印を結んだ。直後、短く唇にのぼらせた呪言に導かれるように、五色の光の渦が指先から迸った。瞬きの間に三つの人影となったその光は、太刀を振るい、化生の衛士たちを防ぎとめる。


 と同時に、玄月も幾枚もの符を放ち、歌うような呪の言葉とともに籠目の印を描いた。符から燃え上がった炎を纏い、無数の糸が、縦横に空を踊る。それはあたり一帯の樹の根の数々を、狼たちもろとも瞬時に切り捨て、焼き払った。


 それにより、門までの視界が一時、鮮やかに開けた。いつの間にかずいぶん離されてしまい、距離はある。だが――見誤るほど遠くはない。


 五芒の星が空に閃いた。夕闇揺れる赤い空の色すら、その輝きで消し飛ばして、光の矢が一矢。門の頭貫を狙って天から注ぎ落ちる。

 しかし、垣根や地中からうねり伸びてきた太い枝や根が、幾重にも幾重にも壁となって絡み合い、矢の行く手を遮った。


 矢は勢いのままにその壁を貫き、破り、木っ端を散らして突き進むも、障壁の数が矢の威力に勝った。とうとう頭貫に届かず、力潰え、矢は蠢く枝と樹の根のうちに飲み込まれるように消えていった。


 それを、さして悔しがるでもなく春明は肩を竦める。その背には、五本すべてとはいかないまでも、白銀の尾がひとつゆらゆらと揺れていた。


「仕留めるつもりでやったが、やはり無理か。守りは堅牢。なにやらこちらの術を弱める働きもありそうだ。矢の威力を上げようと、さらに守りを重ねて阻むだけだろう。この距離からだとな」

「まあ、だから近づかれるのが嫌だったんだろうけどね」


 駄目かぁ、と間延びした声を上げる玄月も、さして予期を外されたわけではないようだった。そのままにやりと、口角を引き上げる。

「じゃ、近くで叩く他ないってことで」


 言うが早いか、玄月が根を蹴りつけ、駆け出した。彼らを遠のけようと伸びる勢いが及ばぬうちに、次々と根から根へと飛び移り、門への距離を縮めていく。

 その背は、己に迫る牙へも、追いかける衛士の太刀へも、一切注意を払っていない。速度を上げることだけに集中し、術は足元にだけ。ただひたすら、門を目指すのみだ。


「またお前はそうやって……!」

 後は任せた、よろしくね――とばかりに、彼ははた迷惑な信頼で駆け抜けていってしまう。


 頭を抱えて春明は、しかし玄月の背後に迫る獣も衛士たちも、顕現させた十二の人影で、ことごとく払い尽くしてやった。こういったことをして無逸は、『甘やかしている』と評したのだろう。そう、まだ痛む柔らかな思い出に、口元へ薄く笑みを溶かす。

 そうして、春明は――前を向いた。



 狼は無数。衛士は素早く腕が立つ。あふれる根や枝は強固に守備を固め、玄月の行く手を阻むが――それを遮りきれるほどではない。

 春明が星の印を結ぶと同時に、その背にゆらりと銀の尾が重なり合って揺れた。十二の人影が動きの速度と力を見る間に上げ、化生たちを薙ぎ払い、さらに生み出された無数の刃が樹々を刻み尽くす。


 黄昏の空を覆い絡み合う、根の囲い。その間隙を疾風のごとく走り抜け、玄月が門の真上へと躍り出た。彼を止めようと、なお牙剥く狼や、樹の根の鋭い切っ先が追いすがるが、春明の術が一糸触れる間もなく蹴散らし防ぐ。


 玄月の手には、白木の柄。一見、弱々しく頼りない、ありふれた小刀。されどその刀身は凛と清冽に輝いて、術以上の力を込めて、頭貫へと振り下ろされた。


 古木の重い樹皮ごと、美しく鍛えられた刃が頭貫かしらぬきを引き裂く――が、硬い。見開いた射干玉の双眸に映るは、化生の核。すべてを祓える急所。か黒く長い、しなびた細い枝。だがそれが、断ち切れない。そこに届いたとたん、鋼に打ち当てたような手応えともに、刃が止められた。振りぬききれない。だが――


「為してみせるさ……ねぇ、無逸!」

 不敵に笑んだ唇から、高らかに呪言が天へと響き渡る。


「〈つるぎ太刀たち が身に添えや いよよ磨ぎ さやけく祓え れがかたきを――急急如律令〉!」


 刀身から淡い紫の輝きがこぼれ出た。それは逢魔が時の血濡れた空を、清め祓うように迸る。指先が白むほど力を込めて、抗うようにぎりぎりと硬さを増すか黒い枝を、玄月は勢いよく両断した。


 真っ黒な血飛沫が、轟く断末魔とともに吹き上がる。その中にきらりと、西日を受けて瑠璃色に光るものがあった。勾玉だ。

 あたりを覆い尽くしていた根が悶えるように揺れ動いてぼろぼろと砕け、狼や衛士の姿が灰となる。地鳴りとともに崩れ行く門と垣根が、煙を上げてどろりと溶け落ち、跡形もなく掻き消えた。


 遮るものを失くし、開けた玄月の眼前に、鈍く白い大地が寂しく広がった。ちょうどその足元の少し先に――門が隔てていた向こう側の場所に、ころりと落ちてきた勾玉が転がる。

 一歩足を踏み出して、それを玄月は拾い上げた。


「……さて、あの門は、何を守っていたんだろうね――?」


 誰に向けるともなく呟いた問いかけを攫って、ぬるい風が一陣、砂となった骨を巻き上げ吹き抜けた。人をみ、肥大した空間が、崩れ出す。

 黄昏の赤い空がひび割れ落ちくるのを、哀悼を込めて見上げ、玄月は手にしたままの小刀を強く握りしめた。




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