天運の行く末(1)



 ごろりと板間に寝っ転がっていた稀なる黒に、呆れた顔で見下ろす猫目の青年が逆さに映り込んだ。


「玄月、お前、何しにここに来てるんだ?」

「ん~……職がないから、弟子入り?」

「子遠、こんなやる気のない弟子とっとと追い払えよ」

「やだ、無逸。冷たい」


 足に縋ろうとしてきた腕を払いのけ、だらしなくごろごろする男を跨いで、無逸は子遠の前に座り込む。


「邸にいったら、式神がこっちに来てるっていうから来てみれば……子遠はお前と違って忙しいんだぞ。邪魔をするな」

「まあ、いまは幸い患者もいないし、いざとなったら追い出すし」

「子遠だけはせめてもっと俺に優しくして」


 友達甲斐がない、と狭い板間を転がっていけば、子遠に辿り着く前に無逸の手に押しとどめられた。


「ほら、優しい俺から贈り物だ。友達甲斐があるだろ」


 柔らかな呆れ交じりに玄月の目の前に突き出されたのは、懐に収まる程度の小刀だった。柄や鞘は何の飾り気も色気もない簡素な白木の誂えだが、抜けば清冽な刀身が凛と艶やかに閃いた。渡してきた青年に、どこか似ている。


「鬼退治の時に折れて、新しいのが欲しいって言ってただろ? だからそれ、使うならやる。俺の打ったのでよければだけどな」


 威勢よく逆さづりにされにいった鬼退治のことだ。いつぞや四人で集まった時に話したことがある。大方春明の苦言と愚痴で終わったその会話の中で、玄月がこぼした損害を、無逸は覚えてくれていたわけだ。

 陰陽師は退魔の術式を込めて、太刀の類も扱う。そうした刀剣のうちでも、忍ばせやすく小回りの利く小刀を玄月は好んだ。


「え? いい刀じゃん。俺、無逸と違って遠慮とかしないから普通に貰うよ?」

「だから、やるっていってるだろ。銘もない、見習いの刀だが、ちゃんとしたやつの繋ぎぐらいにはなるだろ」

「いや、試作品、ふたつほど貰ったけど、いい刀だった、」

 よ、と紡ぎ終える前に、無逸が子遠に襲いかかった。だが口を塞げど、すでに遅し。にやにやと口角を引き上げた玄月が、無逸の背に無遠慮にしなだれかかってきた。


「いや~無逸~。やっぱ見合った対価は支払うよ~。お兄さん、無い袖振っちゃう」

「振るな、職なし! 性懲りもなく無計画に散財するな! あと、どけよ!」

 しっしと必死で玄月を払い除けて、無逸は余計な一言を口にした子遠をもうひと睨みし、ぶっきらぼうに言い捨てた。

「いいんだよ、礼とかは! ただ……どうせやるなら、少しでもしつのいい方がいいだろうと思っただけだ。俺たちみたいな貴人でもない民草は、いつどう死んでもおかしくない。なにか為せる力があるわけじゃないからな」


 化生にやられようが、野盗に襲われようが、病に侵されようが――無力と不運をかこつ以外に、できることなど限られている。


「だから、せめて、お前らみたいな、何かをなんとか出来る奴らの力になれるなら、多少やりがいもあるというか、友としてちょっとは役に立てるかと、思った……だけ、で……」

 玄月の彼を映す瞳が、いやにまろやかに優しい空気を湛えだしている。それを察して、勢いで滑り出ていた無逸の言葉は、ゆっくりと途切れ、消えいった。


「大事に、するね」

「後生抱きしめてろよ」

 ぎゅっと胸元に小刀を抱き寄せた玄月の鮮やかだが腹の立つ笑みに、無逸は毛を逆立てる猫よろしく嚙みついた。


「ったく……ともかく、渡すものは渡したから。俺は帰る。お前も長居して子遠を困らせるなよ」

「え? もう帰るの? ゆっくりしていきなよ」

「たぶんそれ、まず僕が言うことだと思うけど、玄月の言うとおり、もう少しいたらどうだい? 玄月が梨持ってきてくれたんだ」

「ありがたいが、師匠の頼まれごとで回らなきゃいけないところがいくつかある。そうものんびりしてられない」

 腰をあげた無逸をそれぞれに引き留める声に、彼は残念そうに首を振った。


「じゃ、梨、持ってきなよ」

 子遠の傍らの籠のうちへ、ごろんと横になり伸ばされた手が、その中からひとつを取って無逸へ投げてよこす。

「蒸すからねぇ。動き回るなら、しっかり食べるもん食べて、水気も取んないとさ」

「梨はありがたくもらうが、その忠告はお前に返しとく」


 柔らかな弧を描いて飛び込んできた梨を、器用に片手で受け止めて、無逸の澄んだ瞳は玄月を見つめた。


「この前から気にはなってたんだが……なんか、お前ちょっと痩せてきてないか? やけ酒と肴ばっかじゃなく、ちゃんとしたものも食えよ」


 少し短めの細い眉が、きゅっと不快げに寄る。だがそれは勝手知ったる仲にとっては、心底気遣う憂いの表情で――玄月は、一瞬しばたたかせた黒に、微笑みを溶かした。


「うん。ひとまず……吐くまで飲まないよう気をつける」

「ほんっとに気をつけろよ、ばーか」


 心配を無に帰す志の低い返答に悪態を吐くも、声音や表情の端々は案じる気持ちを隠し切れていない。そもそも飲むな、いっそ安倍家のでもいいから餅を食え、などと、いくつか小言を残して、無逸は暇を告げて去っていった。


 それをにこやかに見送る玄月と子遠の間に、妙な沈黙が横たわる。

 閉じた板戸の向こうから、無逸の足音が遠のき、街の雑音に消えていったのち――頭を抱えて玄月が声を上げた。


「無逸、こっわ! え? 気づく? 俺、痩せた? そう見える?」

「言われてみれば、気持ち、少~し? なんとなく? 輪郭が細くなってるような気がしてくるかもしれないかもしれない、みたいな」

「慰めじゃないと受け取るよ。無逸、ほんと、噓でしょ~……。目端が利くところあるのは知ってたけどさ……」


「無逸はわりと、春明より目聡いとこあるからね」

「春明はねぇ、目はいいんだけどね。真面目に物事を見つめようとするから。見ようとしないと見えないというか、見ないというか……気を許してくれてるんだろうけどさ。あと、まぁ、いまは――」

 ごろんと仰向けに寝返って、玄月は隙間の目立つ板葺きを見上げた。


「明らかに見えるはずのものが見えにくくなってるから、そっちに気を取られてくれてるんじゃないかな」

「星が、見えない?」


 静かな子遠の問いかけに、珍しく笑みの消えた顔が頷いた。


「ああ、どうにも霞がかってうまく見通せない。目だけは勝ってる俺でもそうなんだ。春明も当然そうだろ。だから、俺の術でも何とか誤魔化せてる」

「気づきたくないってのも、ありそうだと僕は思うけどね」


 苦笑しながら、子遠は薬草のより分けを始めた。節ばった長い指が、籠に摘まれた葉を広げたむしろの上に区分していく。それを寝転がって眺めながら、玄月は可笑しそうに喉の奥で笑った。


「春明、そういうとこあるもんなぁ。冷徹冷静に見えるらしいけど、結構、情で動くところある」

「そうそう。見た目によらず。意外だったよ」

 目元を笑みにほどけさせながら、子遠は初めて春明に引き合わされた時のことを思い出した。


 噂に違わず、氷のような男だと委縮したのも今は昔。隔てた一線を越え、近くを許されて眺めてみれば、春明という男は、第一印象とずいぶん違った顔を見せてきた。怒ったり呆れたり、たまにひどく幸福げに微笑んだり――玄月の隣にいる彼は、そういう男だった。


「……ずいぶん、危うい存在に見えたんだ、最初。だから半分ぐらいは、行く末を見張る気持ちで友になった」

 懐かしむように、玄月がぼやいた。


 いつか初めて彼とまみえたのは、数年前。ちょうど運悪く出くわした化生を、調伏した直後のことだった。

 噂名高き随一の陰陽師。御垣の世を化生から守護する、一の守り手。その背負う名に相応しく、きりりと一部の隙もない、研ぎ澄まされた刃のような男だった。


 だがそれも、普通の瞳が彼を見ればの話だ。


 きっちりと着込まれた直衣のうしの後ろに、狐の尾がひとつ、揺れていた。威儀を正した冠の端には、獣の耳が覗いて見えた。

 それは一瞬の幻のような影だったが、確かに玄月の目は、春明の素性を見透かしてしまったのだ。

 玄月の瞳を食い入るように見つめていた、驚愕の視線。そこに溶けた人ならざる渇きの衝動を、危ぶんだ。


「でもそれは、いらぬ心配だった。あいつは真面目で、強情で、小うるさくて、なにかと俺におせっかいを焼いてくる、なんやかんや面倒見のいい、面白くて人間臭い――普通の男だったよ」

 彼との日々を辿る音色は、穏やかな笑い声とともに弾んだ。

「ただちょっと特別な血ゆえの力があるだけで、そんなの俺の目とたいして変わりやしない」


 半分化生という器の部分ではなくて、もっと内の、存在の核。たとえば、魂と呼ぶような部分で、彼はけして化生では持ち得ない、慈しみといとおしみを人に注げる男だった。それは玄月が、身をもって示してやってもいい。

 彼とともに歩む日々は、誤魔化しようなく、楽しかった。


「いつも、明日が待ち遠しい」

「そう思うなら、もっと隣にいてあげなよ」


 満足げに呟く玄月に、哀切を押しとどめきれず子遠が言うも、玄月は微笑んで応えない。

 子遠は肩をすくめた。




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