春明邸で歓談を(3)


「……やっぱりこの疫病、呪詛ですかねぇ、春明殿」

「これだけ聞くとそうとしか思えんが……呪詛だとすると、あまりに大がかりだ。強い化生の仕業とした方が、まだ納得がいくな」


 そう、春明の視線は母屋の奥へと流された。そこの唐櫃の底には、今迄に手に入れ、封じてある勾玉が収められた箱がある。あの勾玉の力を借りたならば、数年にわたる病を都中に振りまき、奇怪な症状を引き起こさせることも可能だろう。その意図を察して、なるほど、とだけ玄月は頷いた。


「とはいえ、いまは呪詛の気配も化生の気配も感じられないからな。これだけでは判断はおろか、推測もつかん。本腰を入れて調べる必要はありそうだ」


「それじゃあ、俺が調べとくよ。ど~せ、どっかの誰かのせいで仕事もなくて暇なんで。宮仕えのある安倍春明殿は忙しいだろうからさ、ほんと、くそ……定周のど阿呆ぅ……」

「いじけに戻るな」

「よしよし、僕と調べて気を紛らわせようね」


 またごろんと投げやりに横になって顔を覆い、泣きごとを繰り返しだした玄月に、それぞれに厳しく、甘く、声掛けがなされるも、どちらもどこかおざなりだ。

 それにまた不満げにごろごろとしながら、玄月は唇を尖らせた。


「ちくしょう、不服のままに暴飲暴食してやる。式さん、じゃんじゃん運んじゃって!」

「お前はこの邸の何なんだ?」


 ぱんぱんと手を打ち鳴らして人の式神を呼びつける傍若無人さに、春明は呆れる。しかし、式神の方は心得顔で、しずしずと邸奥へと下がっていった。間違いなく、飲食の手配を始める様子だ。


「……おい、玄月、お前本当にうちの式神になにもしてないのか?」

「濡れ衣。誠実にお願いをしてるだけですね~」


 あまりに手懐けられている有様に、春明が苦く問えば、転がっている男はにやにやと笑った。そこへ――


「おかしいことはないだろ、お前の式神だ」

 静謐な夜風のごとく、涼やかな声が、廂の三人の上へ流れ落ちてきた。


「あ、無逸むいつ

「おや、無逸も来たのかい?」


 ひらりと手を振る玄月に合わせて、子遠が微笑む。玄月の要望を叶えようと去った式と入れ違いに、別の女房姿の式神に案内されてやってきたのは、子遠と似通った出で立ちの青年だった。肩口ほどのまっすぐな黒髪をひとつに結わえ、少し長めの前髪を軽く右に流している。どことなく不愛想な、かすか少年の影が残る面差しと、釣り目がちの双眸が気難しい猫を思わせた。


「私の式神だから、とは、どういう意味だ、無逸」

「言葉のままだろ。春明は玄月に甘いから」

「……――私が……? 玄月に、甘い……?」


 狐につままれたような当惑を浮かべ、春明は同じことを繰り返す。それに無逸も無逸で、戸惑いがちな驚きに眉根を寄せた。


「おい、まさか本当に……無自覚、だったのか?」

 信じられないと言外に滲む声音は、無遠慮にごろごろする玄月を指さした。


「春明、お前こいつに、正月に餅を三十個も食われたって言ってたよな?」

「それはその通りだが、あれはこいつが無断で、」

「無断じゃないよ。『春明~お餅もらうよ~』『いいよ~』っていうやり取りはしといた。ひとりで!」

「止められたと思うか? この大たわけ者を」


 得意げに口を挟んできた玄月をひとはたきし、真摯に春明は無逸へ訴えた。確かに驚くほどの無遠慮さだ。だが――


「……それでも、餅三十個、目の前で食わせたまま見逃したんだろ? 甘やかしてる以外のなんなんだ?」

「まぁ、食べてる間に止めるよね……きっと。本当に止めたかったのならさ……」

 なぜ分からないのかが分からない、とばかりに顔を顰める無逸を援護して、子遠の声が重った。


「まあ、よく三十個も食べたね、って話でもあるんだけどね」

「お前のその体のどこに消えたんだろうな、安倍家の餅」

「いやぁ、宮仕えの餅はやっぱ味わいが違って、次から次へといけちゃったよね。なんやかんやで酒も出たし」

 なぜか得意げな玄月の言葉に、「これだよ……」と言いたげな呆れた視線がふたつ、無言で春明に突き刺さる。


 不本意が溢れてくるが反論にも窮し、春明はやり場なく天を仰いだ。脇ではもう一人の当事者が、そんな空気を意にも介さず、式たちが運んでくれた酒や肴に呑気に手を付けている。その端麗な横顔のにやにやが、腹立たしいことこの上ない。


「玄月――よもやお前……己は私に甘やかされていると自覚してのその有様か?」

「いやいや、まさかそんなぁ。違うって」


 呻く春明に、あまり偽りを隠す気のなさそうな軽い声が応じた。含みを込めた笑みが口端に小癪にのっている。


「ただ……君のものはだいたい俺のもの! って、思ってる」

「今より対応を徹底的に改めよう」


 友人の名を悪用した意識的な強請りたかり、許しおけない。厳しく取り締まる決意を瞬時に固め、春明は指を打ち鳴らした。


 とたん、ちょろちょろと、どこからともなく子猫ほどの大きさの童姿の式が数名現れ出で、賑々しく玄月のそばへ駆け寄っていった。そのまま散らかる酒や肴の器を手に手に下げ始める。


「あ! こら!」


 酒器を抱え込んだ式を掴もうとした玄月の腕が空を薙ぐ。「泥棒!」、「薄情者!」、「おやめください、春明殿! それ飲みかけ!」などとやかましく抗議し、追いかけまわす玄月の手を、式たちはちょこまかと巧みに避けて逃げ回った。


 その騒ぎを完全に意識の外に切り捨てて、春明は無逸へ向き直る。

「無逸、よく来たな。お前がこちらに来るとは珍しい」

「ああ、そこから仕切り直すのか……」


 半ば呆れつつも受け入れてやって、無逸も後ろの騒ぎを余所に、春明の勧めた場所へと座した。これで、式神たち相手に勝てない追いかけっこを演じる玄月を気にかけてくれているのは、子遠だけだ。




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