第17話 少女の夢・二

  *  *  *  *  *


 少女はまた、夢を見た。

 薄暗い空間。微かに光が差してきている。

 感触から判断するに、椅子に座っているらしい。

 ここはどこなのか、確かめるために立ち上がろうとしたが——体が動かない。立ち上がれない。

 腕と足が椅子に縛り付けられていた。どうにか取れないものかと試行錯誤したが、どうしても駄目であった。

 疲れ果てて抵抗をやめ、しばらくすると——視界が急に明るくなった。

 少女は眩しさのあまり咄嗟に目を瞑ったが、少し経って目が慣れたので、目を開いた。

 すると、そこにあったのは——「街」だった。

 様々な人々が動き回っている。そして自分はそれを見下ろしている。だとすれば、ここはどこ? 少女は考えた。

 何かの建物から出ている、バルコニーのようなもの。そこから、下の方に街が見える。となると、ここは塔の上か何かだろうか。塔であるとするなら、何の塔?

 考えあぐねていると、後方から声が聞こえてきた。

「——様、いかがでしょうか。これがこの国の現状です。これを見れば、あまり甘ったれたことは言えないかと思うのですが」

 そこには、厳格そうな女が、鞭を持って立っていた。

 瞬間、少女は猛烈な吐き気を催し、強い寒気に襲われた。本能的な恐怖。少女の全てが、彼女のことを拒絶していた。

 逃げ出そうとしても、体は椅子に固定されていて動くことができない。ジタバタとその場で暴れていると、女は鞭を打った。あまりの激痛に、少女はぴたりと静止する。

「……はぁ。そんなことでは、本当に困るのですよ、こちらも。あなたの血は非常に優秀なのです。ですから、適切な教育を施さなくてはならない。それを拒むということは、親殺しにも匹敵する愚行なのですよ。私は、あなたの教育係として、あなたを正しい道に導いて差し上げねばなりません。分かっていますか? あなたは幸運なのですよ。あなたを構成する遺伝子が優秀であると判断されたから、あなたは今こうしてここで生きられているわけです。劣っているとされたとき、その子がどうなるかはあなたも知っているでしょう。ですから、私たちの言うことをちゃんと聞いてください。あなたは——『王』になるべくして生まれてきたのですから」

 女は、こんな趣旨の御託をつらつらと並べ立てている。

 少女は何も言わない。迂闊なことを言えば、そこには苦しみが待ち受けているだけであるからだ。


 。少女は思った。


 少女は、これと同じような夢を、もう何度も何度も見ていた。そして、そのたびに汗だくの状態で飛び起きていた。

 「明晰夢」という言葉がある。簡単に言えば、「夢を夢と分かっている状態であれば、夢の行く末を思うままにコントロールできる」ということだ。しかし、少女にとって、これは嘘としか思えなかった。何度も見る悪夢。これはただの夢だと分かっているのに、自分を苦しめ続ける。夢の結末は、いつだって変わらない。

 だから、少女はそれ以上何も言わなかった。

 女の話も、聞き流していた。

 たまに、女が「聞いているのか」と怒り、鞭を打つ。「はい、すみません」とだけ言って、そこからはまた沈黙を貫く。

 もちろん、少女の頭の中は恐怖と苦しみでいっぱいであった。しかし、極力何も感じないようにするためには、これが一番なのだ。

 そうして耐え続けていれば、いずれ朝が来る。そして目が覚める。それを待ち続けるのだ。

 

 涙が出た。しかし、それを気にしていたって仕方がない。少女は目を閉じた。


 そうして、朝が来るまでやり過ごした。


  *  *  *  *  *




 そして、少女は目を覚ました。いつものように、汗はだくだくで、心拍数も上がっていたが、昨日とは違って、誰も起こさずに済んだようだ。

 時計を見ると、まだ五時半であった。日の出まであと三十分以上ある。近くの窓から外を見てみると、暁の空が非常に美しかった。

 見たところ、まだ起きている人はいないようだ。

 少女——八千代は、樋里のところまで近付いて行って、その寝顔を観察した。

 枕を右腕で抱えるような格好をして、穏やかに眠っている。

 その寝顔を見て——彼女の中には、ある種の決意めいたものが芽生えつつあった。

 何も悩むことはない。この幸せそうな顔を守るためには、すべきことをするしかない。

 今日の杉並区長との対話もとい交渉で、仮に何か状況が好転したとして、そこから先にも著しい困難を伴う試練が数多く待ち受けていることだろう。そんな中で、みんなに——特に、樋里に——無事でいてもらうには、八千代自身も強くあらねばならないということを、彼女も感じ取りつつあった。




 しかし、愛と勇気が恐怖を打ち破ることができるのか否かは、まだ誰にも——彼女でさえも、分からない。

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