ハリルは、初めからフローラをこのような形で晒し辱めるつもりだったわけではない。


 最初はリカルドとフローラが昔婚約の口約束をしていたと知り、リカルドが手に入れるはずだったフローラを自分のものにすればきっと溜飲が下がるだろうと、婚約を申し入れただけだった。けれどいざフローラを目の前にした時、この美しく凛とした少女を自分のものにしたい、自分の妻にしたいと心から欲してしまったのだ。

 そしてそれは、ハリルの初恋でもあった。


 だからこそ、母親から渡された不貞の証拠を見た時、見知らぬ男と密通するのを見た時、ひどく衝撃を受け怒り狂ったのだ。兄だけではなくその婚約者となるはずだったこの少女もまた、自分を馬鹿にするのかと。だから妹に手を出した。妹に自分の婚約者を奪われた挙句に公衆の面前でみじめに捨ててやれば、少しは自分の気持ちがわかるだろうと。

 なのに、それは母親の仕組んだ嘘であり不貞の事実などもありはしなかった。ただ罠にはめられただけだったのだ。


 ハリルはここが国中の貴族が集まる王家主催の夜会だということも忘れ、人目もはばからず嗚咽した。顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら呪詛のような言葉を吐き床を拳で殴りつけるその姿を、この場にいる皆が哀れみと軽蔑の目で見つめていた。

 そして、もはやこの哀れな男がこの国の次期国王候補であるなどとはもう誰も思ってもいなかった。


 異様な空気に包まれた場に、低く威厳のある声が響いた。


「さて、アルビア。そなたに問いただしたいことがある。そなたがこれまで幾度となくリカルドを暗殺しようと動いていたこと、隣国の一部の貴族と内通して私腹を肥やそうと国を裏切っていたこと。それに対して、何か申し開きはあるか?」


 それまでただ黙って事態を見守っていた国王が、側妃であるアルビアに問いかける。それは、もはや問いなどではなく、いさぎよく罪を認め観念しろという意味であることは明らかだった。


 アルビアがふらり、と体のバランスを崩しよろめく。


 思いもよらない事態に、会場がしんと静まり返った。


 そう。これは、断罪の舞台だった。

 自分と血を分けた息子の欲を満たすために国を利用し、裏切った側妃アルビアとその息子ハリルの罪を貴族たちの前で明らかにし、逃げ道を完全にふさぎ、断罪するために用意された――。


 リカルドがゆっくりと歩み出る。


「私がこの国を出たのは、暗殺を恐れたからでも王位継承者としての重責から逃げ出したからでもありません。あなたたちとそれに追従する一部の貴族たちを一掃するため、その準備を整えるためにわざと国を離れたのです。いずれあなたたちを断罪の場に引きずり出し、この国の未来の憂慮を完全に取り払うために」


 その朗々とした声は力強く揺るぎなく、次代を担う施政者になるに足る才を感じさせる。その堂々たる姿に、貴族たちは息をのみ感嘆した。これこそがこの国の未来を担う次期国王となる王子だと、すでにここにいる者すべてが理解していた。

 アルビアとハリル、それに追従していた一部の貴族たちをのぞいては。


「わ……私は何も知りません! それにリカルドは今こうして生きているではありませんかっ。この私がリカルドを殺すですって? そんなこと私にできるはずが……。それにそんな昔のこと、今さら証明できるわけがありませんっ。隣国ともつながっているなんてそんなこと……誰に何を吹き込まれたか存じませんが、そのようなことまったく身に覚えはございませんっ」


 そうは言いながらも、アルビアの顔色は蒼白を通り越して土気色に変わっている。せわしなく扇を開いては閉じ、ドレスのひだを落ち着きなく握りしめては滝のような汗を拭っていた。自分の置かれた状況がもう言い逃れようのない切迫したものであることを、ようやく理解したのだろう。

 ハリルはいまだ事態を呑み込めていない様子で、困惑した表情を浮かべてアルビアの顔をうかがっていた。


「リカルド、話せ」


 国王に促され、リカルドは淡々とアルビアに告げた。


「言ったはずです。それを調べるために私はあえて国を出たのだと。……隣国のダゴダ侯爵家とそれにつながるいくつかの貴族の身柄はすでに拘束され、罪状も明らかになっています。あなたは我が国の機密情報を隣国に売り渡し、その報酬として多額の金と隣国の領地を密かに受け取っていたそうですね」


 リカルドが証拠として、アルビアの印が押された契約書を国王に手渡した。それは紛れもなくこの国の側妃にのみ使用を許された印であり、証拠としてこれ以上ないものだった。


「アルビアよ、これでもまだ白を切り通すか。すでに隣国では全員が極刑に処されておる。ハリルはおそらくはそなたの言いなりに動いただけだろうが、そなたたちは国を売ったも同然だ。そんな情報が洩れてはゆくゆくこの国が滅びかねないことが、分からんのか!」


 国王に一喝され、アルビアはその場に崩れ落ちた。


「自分らの運命はもう……わかっているな?」


 それは、国王が直々に下した死刑宣告であった。


 直後、ハリルが叫んだ。


「わかりませんっ! なぜっ、なぜなのですか。父上! リカルドばかり、なぜっ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る