ベルデ・エザル領域統括港への海路

 ハラ・プエルトの街で一泊して、ようやく柔らかくて揺れないベッドにたどり着いた。地面大事。おふとぅんおふとぅん。港町の宿屋のシーツは少しだけ海の味がした。

 晩御飯は宿の人がお勧めしてくれた魚料理のお店で食べた。普通に美味しかったから写真も撮って、編集長に記事を書くかどうか聞いてみた。

「そんな普通の店の記事なんか他が山程かいてる。わざわざうちから記事を買ったりしねぇ」

「そうですか? 普通に美味しかったですけど」

「それ。その普通ってのが専門外なんだよ」

 普通が専門外とはこれいかに。

「いいか、うちの第五分室に求められてんのは普通じゃない。異常! 珍奇! 世界の秘密! とかなんだよ。もし地元民でも食わねぇような妙なもんを食ったら記事にして送れ。買ってやる」

 珍奇?

 そう言われれば、確かに毒は普通は食べないような。でも美味しかったけど。ドルダギオを除いて。

 珍しいものか。そう思って翌日の昼は早い時間にまた『ノモゲテ・フィッシュ』を訪れた。前日に食べなかった数種類の魚料理を食べて記事を送ったら買ってもらえた。

 変なの。昨日の夜のお店も同じくらい美味しかったのに。


「変なのはお主だ」

「そうかなぁ」

「まあ第五分室とやらもおかしいがな」

「そうだよね。美味しいのに」

「いや、そうではなくてだな……ハァ。お主には常識というものが……」

 そんな話をしていると、大きな汽笛の音が響く。目を上げると青い海原がずっと広がり、遠くの水平線というものから黙々と雲が湧き上がっていた。雲が出来てるところなんて初めて見た。綿菓子みたいで美味しそう。

 お昼を食べたらすぐに出港の時間だ。向かった先はプエルトの港の中でもひときわ大きな船で、びっくりした。どうやって浮いてるんだろう?

 編集長が送ってくれたチケットのコードを乗務員さんに見せて乗り込む。ソワソワしながら狭い廊下を恐る恐る進んでいくと、部屋は三等船室で相部屋だった。

 同室はアイネ・グライスというお兄さんだ。背の高い人種で濃い藍色の髪とそれより薄い色の目をしていて、多分20歳すぎくらいかな。

 アイネお兄さんは行商をしながら世界を渡っているらしい。今も『渡り鳥と不均衡』で買い付けた商材を『無法と欠けた月』にある国に売りに行くそうだ。

 航海は12日間。その間に僕とお兄さんはすっかり仲良くなっていた。


 その一方で、カプトはラヴィに大きな不安を覚えていた。いよいよ領域を渡るのだ。こやつは常識が変わるということをまるで理解していない。

「ラヴィ。お主に言わねばならぬことがある」

「カプト様を食べたりしないよ」

「……たまに寝ぼけて齧るのはやめろ。いや、そんなことじゃなくてだな、世界についてだ」

「世界?」

 ハァ。まるで危機感がない。

 先程も同室になったアイネという者に挨拶代わりにステータスカードを見せようとした。流石にわしがしゃべるわけにもいかぬのでどうしたものかと頭を痛めたが、幸いにもアイネは戸惑いながらも辞退して、ステータスカードは人に見せるものじゃないよ、とラヴィを諭した。全くどうなることかとひやひやしたぞ。『へー』じゃないだろ『へー』じゃ。


 そう思うとこの領域はやはりよほど平和なのだろう。いや、ラヴィの出身の村が特に平和なのか、それともラヴィの頭が平和なのか。

 この領域に来るのは二度目だが前回はすぐに辞した。平和な印象はあったが把握するほどは滞在しなかったから実のところはわからぬな。

 いやそれはそれとして、だ。

「お主は危機管理能力がなさすぎる。正直、旅は向いているとは思えぬ」

「でも魔女様にお勧め頂いたんだけど」

「ううむ、魔女様は能力だけでなく性格や属性も把握するからな。何故かなんとかなるという見込みでもあったのかもしれぬ。しかし避けられる危難は避けたほうがよいのはお主でもわか……」

 らんだろうなあ。なにせ死毒と聞いて何の疑問も持たずに口にするぐらいなんだから。

 相変わらずポケっとしておる。そもそも危険な目になど会ったことがないのかもしれん。……そのへんのものを拾って食う以外には。いや、そう考えるとこの年にしてはありえないほどの危険と隣り合わせ……うーむ。

「魔女様の領域は、その管理される領域ごとにシステムが異なる」

「ふうん」

「今まで当然だと思っていた法則が通じなくなる」

「例えば?」

「そうだな、わしが驚いたのは……時間によって全ての物の重さが変動する領域や雨が地面から空に降る領域、色々だな。想像を絶する現象が他の領域では当然の事のように起こるのだ」

「それは大変なの?」

「……全ての食べ物の味がしない領域」

「えっそれ困る! どうしたらいいの‼︎」

「……」

 まあわしも味覚がない領域などには行ったことがないのだが、聞くところによると五感が全て失われる領域や場所もあるそうだ。そういう場所では機械を身にまとって体の代替とするとか、ホムンクルスや人形等の依代を作ってその中で行動するとか、或いは魔力でその感覚が受容できるようにするとか、とにかく場所に応じた対策がとられることが一般的だ。

 いや、それはそれで置いておいて、問題は行き先のエグザプト聖王国だ。


「『無法と欠けた月』の領域は、領域としては取り立てておかしなことはない。おかしなことをするのは人だ」

「人?」

「あの領域では魔女様は人に全く干渉しない。その職域、魔力の管理の邪魔をしない限りは何が起こっても、何をされてもだ。例えば魔女様を切り刻もうとその端を食そうと」

「魔女様って食べれるの⁉︎」

「馬鹿、比喩だ比喩」

 エグザプト聖王国のことを考えていたら、わしとしたことが口からポロッと出てしまった。そうだ、秘されているがあの国の奇祭の本質は魔女のかけらを食べることだ。まあそれも直接食べるわけではないのだが。

 あー。そんなことを言ってしまうとこやつは食べようと魔女を探しに行くんだろうな。はぁ。

「ともあれエグザプト聖王国では魔女の加護はないと思うがいい」

「加護って?」

「……お主は恐らく『渡り鳥と不均衡』の加護を受けている」

「えっそうなの?」

「恐らくな。そうでなければその年でそれほどの耐性を取得して生き残れるはずがない……と思う。多分。だがここでは加護は通じぬ」

「そうするとどうなるの?」

「そうよなぁ。今まで全く問題なく食していた毒を食ったら腹が痛くなるとかだな」

「えっそれ嫌」


 こやつは食べ物の話以外は頭に入らぬのか……入らぬのだろうな。

 ともかくこれで多少は危機管理能力が育てばいいと思ったそばからトビウオのような物をおいかけて海に落ちかけおった。はぁ、どうしたものかな。

 食べ物もあるがエグザプト聖王国の難点は人族至上主義のところだ。だから獣の因子が強い獣人は立ち入ることすらできぬ。ラヴィ程度の交り具合であれば入国はできるだろうし帽子で耳は隠せるだろうが、気をつけるに越したことはない。

「ラヴィ君はエグザプトに行くの?」

「はい! アイネお兄さんはどちらに行くんですか?」

「ああ、僕はエグザプトとは別方向だ。ルヴェリアっていう国に行く。それよりエグザプトはちょっと特殊だから気をつけたほうがいい」

「気をつける?」

 アイネは心配そうにラヴィを見た。こやつは心配すぎる。

「そう、あそこは、あー……。耳を出したままでいると捕まって食べられるぞ」

「えっ嘘」

「本当本当。だから耳は隠しておきな」

「わわ、わかりました。ありがとうございます!」

 ラヴィはいそいそと帽子の中に耳を隠し始めた。

 さっきわしが人至上主義と言っても欠片も理解しなかったくせに。本当に食べ物のことしか頭に入らぬのだな。

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