スタンドオフ

@maisakashu

桜咲く春

ラグビーは辞めます

 正門を抜けた先にあるグラウンドでは、寒々とした空の下、その透き通った空気を突き刺すフォークのように、H型のポールが高くそびえたっていた。暦の上では季節が変わり一か月も経つのに、春は一向に自立する気配を見せず、冬に寄りかかっているようだ。今日の面接試験さえうまくやれば、来月には立っているかもしれないこの県立有来ありく高校のグラウンドで、俺にとってはごく見慣れた形のポールを見上げ、もうラグビーはいいかな、と呟いた。


 小学一年生の頃、親に半ば無理やり習い事として通わされたのがきっかけで中学卒業までの九年間ラグビーを続けていた。といっても、小中学校には、ラグビー部などなく、クラブチームでの活動となる。小学校の頃はサッカー部に、中学校の頃はハンドボール部にそれぞれ所属していた。ラグビースクールと呼ばれる、ラグビーのクラブチームは小学校の部と中学校の部しかなく、高校に言ってもラグビーを続けるにはラグビー部に入るしかなかった。どちらかと言えば田舎に分類されるこの市では、公立高校には野球やサッカーのようなメジャースポーツの運動部しかなく、私立高校は片手で数えるほどしかなかった。本気でラグビーをしたい奴は、市外に出て都市部の名門校でラグビーを続けていた。僕はもともとラグビーを始めたきっかけからして、そこまで熱意的ではなかったので、多くの人がそうであるように、学力を基準に高校を決定した。ただ、学力で選んだこの県立高校は、この市でラグビー部がある二校のうちの一つだった。もちろんこの高校にラグビー部があることは知っていた。ラグビースクールのコーチは、俺がこの高校を受験することを知ったとき、俺がラグビー部に入りたいからこの高校を目指すのだと信じて疑っていなかった。コーチの嬉しそうな表情に対し、俺の愛想笑いはうまくできていただろうか。


 しばらく物思いにふけりながらポールを見上げていたが、自分がここにいる目的を思い出し、踵を返した。生まれて初めて学習塾というものに通い、試験勉強を続けて来た半年間も昨日で終わった。今日は高校入試の学力試験の翌日、面接試験の日だった。学力試験当日である昨日は頭の中から二次方程式の解の公式を漏らさないことでいっぱいいっぱいだったが、公立校の一般入試の面接などおまけみたいなもので、こうして校内をうろつく心理的余裕もできていた。むしろ、今日の面接試験のことなど、昨日の学力試験が終わって家に帰り、食卓で父親が話題に出すまですっかり忘れていた。お茶碗片手に豆鉄砲で打たれた鳩のような顔をする俺に、呆れながらも父は模擬面接をしてくれ、今に至る。


 グラウンドを背にし、高校らしからぬ鬱蒼と木が生い茂る自転車置き場の横を通り過ぎ、昇降口へ向かった。この高校はあまりに木が多い。さっき正門を抜けた先に見えたラグビーポールがあるグラウンドも木立に囲まれていて、おそらく何も知らない人間はそこにポールが立っていることに気づかなかっただろう。昇降口のすぐ直前まで、自転車置き場から連なる森は続いており、そのせいか軒下にも茶色い松の葉がたくさん散らばっていた。昇降口に入ると、二つ段ボールが置かれており、ひとつには乱雑にレジ袋が、もう一つにはこれまた乱雑に緑色のスリッパが入れられていた。そうやらここでスリッパに履き替え、下足は袋に入れて携帯しろということらしい。さっさと履き替えて、スリッパをペタペタ言わせながら、受験票で指示された控室へ向かう。控室となる教室は、昇降口から見えた曲がり角を曲がるとすぐだった。教室のドアは既に開いていて、すでに俺の他にも受験生が三人いた。それぞれがけん制しあうかのように、お互いがもっとも遠い距離になるような位置に座っていた。


 さて、どこに座ろうかなどと考えていると、背後から壮年の女性の声がした。


「では受験番号三百二から三百五までの方、面接室にどうぞ。」


 おそらくこの高校の教師だろう。こんなに到着後すぐ呼ばれるとは、グラウンドで油を売りすぎたらしい。


「はい。」


 俺の受験番号は三百五番だった。受験番号を呼ばれた四人のうち、返事をしたのは俺ともう一人くらいだけだった。残りの人は緊張した面持ちで控え室の椅子から立ち上がった。返事くらいしろよ心証悪いぞ、いやそもそもこんな面接試験なんか形だけで合否には影響しないのに君たちは何でそんなに緊張してるんだ、いや膝が小笑いの俺が言えたものではないが。


「そこの君、準備してね。」


「あ、すみません。」


 一人ぼうっと考えにふけってしまったところを、案内役の女性教師に注意された。俺は緊張したときなど、気持ちが張りつめたときに、頭の中をつむじ風のように言葉が走り回るときがある。思考と呼ぶには不十分な言葉の暴走だ。その言葉は脳みその、外界への意識や応答を司る部分も制圧し、今のように、旗から見ると呆然と立ち尽くしてしまったように見える状態になることがある。周りからみるとただの怪しい人なので、止めたいと思っている悪癖の一つだ。


 面接室はどうやら上の階のようだ。女性教師を先頭に、四人の生徒が連なって歩く。一番後ろから付いていきながら、少し滑稽さを覚えた。結局、自分の人生とは、自分で切り開いているように見えながらも、そこには誰かの誘導や、誰かの支えがあるものだ。十五歳の俺は大人になりかけの時期にいて、体の成長とともに心の中に育つ自尊心と全能感は、自分の決定はこの手中にあると叫ぶ。確かに十五歳にもなると自分で決められることも前よりは増えてくる。電車だってもうすっかり大人料金だし、風邪薬も成人仕様だ。それでも、まだ大型書店のピンク色の暖簾はくぐれないし、二十二時を過ぎても遊んでいると警察に補導される。色々なことを決める権利と能力は、実感は伴わずとも大きくなっていっているが、それも道半ばだ。自分の受ける高校は自分で決めたし、勉強も自分を律してやってきた。それでも、入学試験の場においては、誘導をしてもらわないと受験することすら叶わない。今日の俺は誰かに導かれてここにあり、また今から、今回は女性教師に導かれ未来を切り拓く。


 特に意識していなかったが、この建物は二階建てらしい。二階に上がると、もう上へ続く階段はなかった。面接室は階段横すぐの教室ではなく、廊下の中腹あたりにあった。一階からの騒音を懸念しているのだろうか。


「それではどうぞ。」


 女性教師に促されるまま、受験番号順に面接室へ入室する。四人の中では受験番号が一番大きい俺は一番廊下側の席に座った。面接室独特の張り詰めた、粒子がきちっと整列しているような空気を吸い込み、三人の面接官に相対する。全員男性教師だった。一番左は細身だが、短く切りそろえた白髪と一重の目がどこか威圧感のある教師、対して真ん中の教師はくせ毛かつ色素が薄く、だいぶおちゃめな髪型に見える。その髪の毛が赤かったのならピエロと見まごうことだろう。白髪の教師と年齢は近いようだが、受ける印象はまるで違った。一番右側の教師は二人よりは一回り若いようだが、今時珍しいかっちりした角刈りで、醸し出す時代感は他の二人に勝るとも劣らない。三者三様の空気感は独特だが、三人とも共通して疲労の二文字が顔に浮かんでいた。同じような質問を何十組、あるいはそれ以上の生徒にぶつける作業は、確かに楽そうではない。その表情につられてこちらの表情筋も死ぬことのないよう、ほほをぴりっと引き上げる。ニヤニヤしない自然な笑顔は昨晩鏡の前で小一時間練習した成果だ。一番左の面接官と妙に目が合う気がするが、自然な笑顔だよな、これ。若干自信がなくなった。


「それでは面接を開始します。今からいくつか質問をしますので、こちらが支持する順番で回答をしてください。それでは、まずはじめに本校の志望動機を教えてください。一言でも結構です。それでは赤岩さんから回答をお願いします。」


 面接官の口調は、俺たちに向かって話しているというよりは、手元の文章を読み上げているような、非感情的な話し方だった。おそらく、手元には面接官の口上を記したメモと、志願者名簿があってそれを読み上げているのだろう。最後の一文を読み上げるときには、それまで伏せていた目を俺の方に向け、俺の名前を読み上げるとことで手のひらで俺の方を指し示した。質問自体はきわめてオーソドックスで十分に予想できていた。学校の世界では、相手の学校を敬って言うときは、文面でも口頭であっても「貴校」というらしいということも、中学の先生からだいぶ前に教えてもらったのが記憶にあった。


「貴校の文武両道の姿勢に魅力を感じたからです。地域一の進学校でありながら部活もおろそかにしない点に魅力を感じ、志望しました。」


 面接の先頭打者として、極端に人生で、面接らしい面接を受けるのはこれが初めてだけれど、俺は面接があまり得意ではないと思う。自分が発する一言一句を他人が傾聴しているかと思うと、言葉ひとつの責任が重くなった気がする。俺の軽々しい言葉に、その責任を担うほどの甲斐性はない。いつもそれを数で補おうと、口数が増えてしまうのを引け目に感じていて、今回の面接では語りすぎないようにと決めていた。


 オーソドックスな質問だけあって、他の受験生も恙無く回答していく。この調子なら、俺も何も問題がなさそうだ。


 想定通り質問は最近気になるニュースや得意な教科苦手な教科など、事前に考えてあったようなものばかりだった。まあ一般入試の面接なんかこんなもんだろう。


「それでは最後の質問です。あなたがこの高校に入って入りたい部活はなんですか。」


  えっ。


「それでは次はさっきとは反対側の人からお願いします。」


面接官の質問に対して回答をする順番は問題ごとに一番右の人からその次は一番左の人からと交互になるように指定されていた。不幸にも想定外だった質問がきた、今回回答の順番は僕が一番はじめの番、面接官もこちらを見ていた。


 普通に考えれば高校生活はもちろん、学業が本分であるのだが、その一方でその生活を彩るのは日々の仲間とのコミュニケーションであり、その場である、文化祭などのイベントあるいは日頃の部活だろう。教師はそう思ってこの質問をしてきたのだろうし、その考え自体に僕は異論はない。ただ、この地方都市ではそういった高校生活を彩るあれこれで高校を選べるほどその数は多くなく、いわゆる学力のみで高校は区切られていた。だからこそ、僕はここ以外の高校を考えなかったし、そこでの高校生活がどうなるかなんて受験の段階では全く考えず合格通知をもらった後でも、もちろん考える予定でもなく、入学式が終わり、クラスの席について、周りのメンツを眺めてから決めればいいのかなーなんて思っていた。端的に言えば、想定外の質問だった。面接に限らず、音声でのコミュニケーションにおいては空白もかなりの意味を持つ。沈黙を続ければそれはある場面では威圧になり感激になり悲哀になる。沈黙の役割は場によってその性質を大きく変えるのだが、この面接の場において、沈黙が正の方向に意味を持つことは極めて考えづらく避けるべきことだった。とりあえず何か言わなければいけない。幸いこの類の会話では、正確性は重要視されない。ほとんど面識がない人とする天気の話と同じで、真実を語るよりはよどみなくさらさらと流すことの方が大事だ。つまり、僕はこの質問を嘘で乗り切ることにした。正直、この高校に何部があるかなんて知らない。だから適当な部活を答えてしまえばいいのだが、かといって全く興味のないスポーツ、あるいは文化部なんかを選択したりすると応答の中でボロが出る。意外と僕ができる答えは限られていた。


「ラグビー部に入ろうかと考えています。僕は小学生の頃からラグビーを続けていて、中学3年生の今9年目になります。貴校はこの子では珍しいラグビー部がある高校ということで、是非ラグビー部に入りたいと思っています。」


 相当心にもないことを言ったが、回答としては上出来だ。理由もしっかりしていて、この高校に入りたい動機もしっかりとしている。僕の後に続いて、他の受験生も思い思いの部活を答えていく。隣の女の子はバレー部、もう一つ奥の男の子は数学部、一番奥の坊主刈りの男の子はむべなるかな、野球部だ。というか、数学部って何をするんだ、そんな部活あるのか。数学と青春がどうしても結びつかず、頭の中で白衣に瓶底メガネを身につけた男性とが黒板に所狭しと代数式を書いている絵が思い浮かんだ。実に面白い。


 「それでは、面接はこれで終了です。お疲れ様でした。」


 最後まで司会進行を務めていた一番右にすわる、角刈りの男性教師が嬉しそうに面接の終わりを告げた。終わる時に、笑みが隠せないほど、面接が大変だったのか。角刈りで浅黒な硬派な印象と裏腹に笑顔がはじけるようで、あーいい先生なんだろうなと思った。この硬派な感じは、柔道部の監督か、はたまた野球部の監督か。もしかしたら野球部の監督でさっき野球部に入りたいと答えた生徒を見つけ嬉しかったのかもしれない。ただ、面接官3人それぞれを見渡すと全員が嬉しそうな顔をしており、やっぱり面接が終わったのが嬉しかっただけのようだ。俺もその気持ちは共有できる、やっと肩の荷が降りた。合格発表まで、何となくソワソワして気持ちは続くが、これで受験勉強ともお別れ。つかの間の春休みを満喫することに専念できる。


 控え室に戻り、帰り支度をする。と言っても荷物は昇降口でスーパーのレジ袋に入れて持ち歩かされた靴ぐらいだ。袋を手に持って教室を出て昇降口へ向かう。心のうきうきが手にも出て靴が入った袋をブンブン振り回しながら歩いていく。昇降口においてやる、ダンボールにくしゃくしゃになったレジ袋を戻し、靴を履いて外に出ると来る時にも気になった。鬱蒼とした森が目に入った。この森の暗さ加減と俺の心の明るさがちょうど打ち解けあって、空に現れたらしく、正門を出ると道路は茜色だった。


 卒業式は入学試験の前に終わっているので、入学試験から解放され、まさしく春休みであった。どこへ遊びに行くのも自由なのだが、何かをしていても、頭の何処かに試験結果のことが引っかかってしまい、あまり楽しめないような気がした。


 俺はただ待つという行為があまり得意ではない。自分の意志や能力が介在する余地がなく、まさに時の流れに身を任せることしかできない。合格発表まで二週間ほどあったが、特に遊びに行く気もなれず、家でゴロゴロしていた。本を読んだりするのも結構好きな性だが、やはり、結果待ちの独特の緊張感だろうか、文字の上を目が滑り、内容が全く頭に入ってこない。なんにも考えず見ることができるお笑い番組を少し見始めても、なにかそわそわしてあまり笑うことができない。ため息をつき、こたつでごろごろ所在なく過ごしていた。そうしてなんの生産性もない日々を送っていると、日付が一つ進み、合格発表へ近づくということを繰り返していた。

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