第19話 反省からのアプローチ

 文化祭二日目――と言っても、二日しかない文化祭だから、これが最終日。

 朝、恵美は下駄箱のところで、いきなり津村と顔を合わせた。いつもに比べ、津村の表情は暗い。

「謝っておこうと思って」

 いきなり切り出した津村。どうやら、恵美を待っていたらしい。

「何のこと?」

「昨日、無理強いしすぎたかなって。小説、書いてみないかって、しつこかっただろ、俺?」

「そんな」

 靴を履き替え、廊下を歩き出す恵美。すぐに追い付く津村。

「じゃ、怒ってない?」

「……そ、そりゃあ、少しは嫌だったけどさ」

「そうか」

 隣で、津村がしゅんとするのが分かった。慌てて、恵美はフォローする。

「す、少しだけだったら。津村君に期待されるのは、嬉しいの」

「本当に?」

 前を遮るように、津村は恵美の方を向いて立ち止まった。

「う、うん」

 鞄を胸の高さに抱きしめ、こくんとうなずく。実際、それは恵美の偽りない気持ち。実力が伴っているかどうか、それだけの問題……。

「あー、よかった」

 胸をなで下ろすようにして、ほっと息を吐く津村。次の瞬間、表情が明るくなった。

「これで眠れる!」

「は?」

「いや、その。実は、昨日、家に帰ってからもずっと気になっててさ。自分勝手すぎたなあと、自己嫌悪に陥った訳」

「はあ……」

「寝る直前になっても、頭から離れないんだ、これが。考えれば考えるだけ、目が冴えて来ちゃって、もうどうしようもない。おかげで、すっかり寝不足。ほら」

 下の瞼を指で引っ張る津村。

「ほんと、凄く充血してる……」

 言ってから、くすっと笑えた。恵美は口を押さえ、声を立てずに笑った。

「な、何かおかしい?」

 津村は戸惑いの表情。

 恵美は、笑いをこらえながら、小さな声で返事する。

「だ、だって、そんなことで眠れなくなるようには見えないんだもの。津村君って、もっと神経が太いのかと思ってたから……あははっ!」

 こらえきれなくなり、とうとう声に出して笑ってしまう。

「ひどいなあ。これでも、神経は繊細な方だぜ……多分」

 自分で言って、津村も笑顔を作った。そして続ける。

「ああ、これですっきりした。――もう無理強いはしない。もしも、万が一、気が向いたときでいいから」

 津村は、くどいほど仮定の語句を連ねた。

「小説を書いてくれたら、嬉しい。それが俺……僕の気持ちってことだけ、知っておいてもらえればいいや」

「うん、分かった」

 気持ちはまだ揺れていたけれど、恵美はそう答えておく。

「それからさ……」

 まだ立ち止まったまま、津村が言った。

「何? 早く行かないと、そろそろ……」

 恵美の言葉が聞こえているのかどうか、津村は鞄を開けて、何やら探している。やがて、彼は一枚の紙を取り出した。

「かなり赤面ものなんだけど、これ」

「……わ」

 勝手に声が出た。何故なら、紙には女の子が描かれていたのだから。それも、明らかに恵美がモデルと分かる、それでいて異国風の少女の絵だった。背後には、青々と生い茂る森や、どこか生き生きとした城が描かれている。

「こ、これ……」

 周りにいる他の生徒に見られやしないかと、気にする恵美。その身体で、絵を隠そうとする。

「勝手にモデルにしたけど……怒ってない?」

「そ、それはいいけど」

 どんどん、顔が火照っていく。

「どうして……?」

「昨日、速攻で描いたんだ。僕がイメージする物語の世界。縁川さんがこれを見て、何か感じてくれたら……そう思って。――ああ、やっぱ、俺って自分勝手かな」

「す、凄い。素敵、だと思う。昨日、ポスターに使ったのも、いいなって感じたけど……これは、もっと」

 うつむいていた顔を起こし、津村を見つめる恵美。

「ひょっとしたら……ひょっとしたらだけど、何か、書けるかも。書けそうな気がしてきたわ」

 恵美の言葉に、津村は瞬間、驚いた風だった。しかし、それのすぐあとに、いかにも嬉しそうな笑みが、すっと広がっていった。

 そう、ちょうど、思いもかけないプレゼントをもらった子供みたいに。



 一日目、生徒は体育館に集められ、挨拶やら何やらで、朝の九時から一時間弱、拘束される。

 しかし二日目は違う。朝から自由に、文化祭に打ち込める。代わりに閉会式が最後に控えているのだが。

「今日は受け付けは?」

 恵美が津村に聞いた。恵美自身は、美術室で桃代と待ち合わせている。

「昼、十二時半から。相方は昨日と一緒。今日は一時間だからいいようなものの」

「ふうん。それでも、今から美術室に?」

「一応、顔を見せとかないと、うるさいから」

 誰がとは、口に出さない津村。でも、きっと桃代のことだろうなと、恵美には察しが付いた。

 美術室に入ると、ほとんどの部員がすでに到着していた。

「遅いぞ。おー、朝から――」

「そんなんじゃねえ!」

 桃代の茶化しを、皆まで言わせない津村。

「……何か、気合いが入ってるわね、副部長サン」

「悪いか。じゃ、始めるか。昨日の展示で、何か不便なこととか問題、あったかな?」

 恵美は一応、部外者だから、遠慮して隅に寄っている。そんな彼女は、仕切っている津村を見て、

(何だ、仕方なしに顔を見せたんじゃないのか)

 と思った。ほんの一瞬だけ、自分のために来てくれるのかなと考えたのだが……それはちょっとうぬぼれが過ぎたらしい。

 やがて、朝の打ち合せが終わる。

「さあて。図書部に行ってくるか」

 いそいそと津村。

「昨日も行ったのに?」

「もう一回ぐらい、顔を見せようかと思って。部誌の感想とかも言いたいし……もう一人の部員にも会ってみたいじゃないの。一年女子に」

「年下好みなのか」

 恵美の背後から、桃代が、ぼそっと言った。

 ちゃんと聞こえたらしく、津村は桃代の方を振り返った。

「誰がだ! そうじゃなくてだな、『君がいない間、僕がポスターを作ったんだよ。感謝してよね』と言いに行こうと思っただけさ」

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