セイロン沖海戦

予告 「セイロン沖海戦」

 大日本帝国陸海軍は、南方作戦陸海軍中央協定に基づき、真珠湾攻撃とほぼ同時刻にマレー・フィリピン・香港・グアムへ先制攻撃を敢行、敵重要軍事拠点の早期制圧を図った。


 この先制攻撃は、敵米英蘭軍の準備不足も相まって予想以上に進展、一月二日にはフィリピン首都マニラが陥落、二月十五日にはシンガポールが陥落した。


 この快挙を受け、南方軍は予定を一か月繰り上げし、蘭印現・インドネシア攻略に踏み切った。計画を繰り上げたにもかかわらず蘭印軍は次々と敗退、頼みの綱であったABDA艦隊もスラバヤ沖海戦とバタビア沖海戦で壊滅、最終的に南方軍の最終目標たるジャワ島の連合軍は三月九日に降伏した。


 ジャワ島の連合軍降伏によって、南方資源地帯占領はコレヒドール要塞を中心とするバターン半島とビルマ地域を除き成功、いわゆる第一段作戦は最終局面を迎えていた。


 第一段作戦の早期終局は、統帥部に第二段作戦の早期策定を迫った。しかし、第二段作戦はその内容を巡り、陸軍参謀本部・海軍軍令部・連合艦隊司令部の意見が、完全に割れた。


 陸軍参謀本部は、長期不敗の防戦態勢を整えるために太平洋での大規模進攻作戦は控え、西太平洋の海上交通の保護を完璧にし、大東亜共栄圏の長期的建設の促進を優先しようと主張した。またインド洋を重視し、同じ枢軸国の一員であるドイツ・イタリアの作戦と呼応、インド・西亜打通作戦を完遂しようと提案したのである。


 具体的には、インド洋域を制圧したうえでインド北西部の要衝を攻略、さらにペルシャ湾や紅海を制圧することで欧州のドイツ・イタリアと陸路で繋がろうという計画になっていた。


 西への進出・同盟国との連携を図った陸軍に対し、海軍軍令部は体勢を立て直した連合軍による南からの反抗を恐れ、米豪間の輸送路を遮断しオーストラリアを戦争から離脱させようと図った。


 具体的には、ニューカレドニアへ奇襲攻撃を行い、フィジー諸島・サモア諸島を急襲、これらの攻略によって米豪間の連絡・輸送路の遮断を強化、オーストラリア脱落を促進しようというものだった。


 陸軍・海軍軍令部が夢がある壮大な作戦を掲げる中、連合艦隊司令部は比較的現実に沿った作戦を考案していた。


 具体的には、ハワイ攻略を実現するためミッドウェー島攻略と米空母撃滅を図ったMI作戦、南からの反抗を防ぐためにニューカレドニア・フィジー諸島を攻略確保、サモア諸島を攻略後破壊し撤退するというものだった。


 このように、陸海統帥部の対立に加え、軍令部と連合艦隊司令部の対立すら発生したことによって、第二段作戦の策定は遅々として進まなかった。


 そんな中、同盟国であるドイツはインド洋に帝国海軍が進出することによりイギリスの後方撹乱を期待し、三国同盟海軍軍事委員会の野村直邦のむらなおくに海軍中将と何度か協議の場を設けていた。


 これを受け、連合艦隊司令部では二月二十日から二十三日にかけてインド洋侵攻作戦の図上演習を実行、セイロン島の占領・英東洋艦隊撃滅の計画を立案した。


 この内、セイロン島攻略については、作戦に自信が持てない陸軍・米豪遮断作戦を提唱する軍令部の反対で頓挫したものの、ビルマ攻略を目指す陸軍への海上補給路確保の為、セイロン島のコロンボ基地並びにトリンコマリー軍港と英東洋艦隊に打撃を与えておく必要が出てきた。


 そして、三月九日に連合艦隊は南方部隊に対し、セイロン島方面機動作戦の実施を命じた。


 第二段作戦の迷走を尻目に、海上交通路保護の為セイロン島へ進撃する帝国海軍、インド洋航路遮断に伴う枢軸国増長を防ぐため、セイロン島を死守しなければいけない英東洋艦隊、いくらかの問題を抱える日英両国はインド洋で会敵しようとしていた。


 次回、「遣印艦隊対東洋艦隊」・「日英悲願の艦隊決戦」・「インド洋大航空戦」。

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