第18話

──その後、立ち上がる事もままならない程取り乱していた私は、メリナがどうなったか訊くことも叶わないうちに寝間着に着替えさせられ、ベッドに寝かされた。マリアライトを恐れてか、夕食の時間になっても夜になっても誰も部屋を訪れはしなかった。


私は眠れる筈もなく、まんじりともせずに暗く長い夜を一人で過ごし、翌朝──日曜日を迎えた。


ベッドから抜け出して窓際に向かう。一晩横たわっていたので、足は回復していた。窓の向こうの空は心を映すかのような曇天だ。


礼拝には行かなくては。身支度をどうしようかと思っていると、辺りを憚るように微かなノックの音が聞こえた。


「……どなた?」


「ショーンでございます、リヴィアお嬢様」


メリナの声を期待したが、ショーンだった。メリナは火傷を負った上に患部を蹴られた翌朝では、さすがに働ける状態ではないだろう。しかも鞭打ちまで課された。重い気持ちでショーンに「起きているわ、どうぞ」と答えると、伏せ目がちにしているショーンと、初めて見る顔のメイドが入ってきた。


「失礼致します、リヴィアお嬢様。……メリナですが、町医者に診せたところ一か月は療養させるようにとの事でしたので、一度実家に戻らせました。こちらは私の親戚にあたります者で、他所でメイドとして働いておりましたのを引き抜いてまいりました。メリナが休んでいる間は、ご不便でしょうが、この者をお傍に」


「ペティと申します、リヴィアお嬢様には初めてお目にかかりますが、メリナさんが少しでも安心して休めるよう励みますので、何とぞよろしくお願い致します」


歳の頃は20歳前くらいか、明瞭そうな様子で話して深々とお辞儀をする。ペティの事についてはショーンの心配りを本当にありがたく思ったけれど、私はまず「メリナはそんなに重い火傷を負ったの?」と夜通し心配していた事をショーンに訊いた。


「……申し訳ございません、リヴィアお嬢様……すぐにでも手当てをしようとしたのですが、マリアライトお嬢様が目の前で鞭打ちの様子を見せろと仰せに……マリアライトお嬢様には鞭打ちは済ませたと後ほど偽りを申して誤魔化そうと考えていましたが、読まれておりました……」


「そんな……では、メリナは」


「私を罰してくださいませ、リヴィアお嬢様。私めが鞭を振るいましたが、見せかけの鞭打ちに騙されて下さるマリアライトお嬢様ではございませんでした……打つ音が弱すぎるとお叱りを受け、お前では手抜きをするからと、結局マリアライトお嬢様自らメリナを打ちすえました……その後メリナが放免されて町医者に診せた時には時遅く、火傷の痕は消えないだろうと言われました。鞭打ちで受けた手の傷も酷いもので……」


声を詰まらせながら語るショーンの瞳から涙が落ちる。見ると、伏し目がちにしていたのは泣いて真っ赤に充血した目を隠す為だったらしい。隣に立って控えているペティも沈痛な面持ちをしている。


「ショーン、あなたは出来る限りの事を考えてくれたし、してくれたわ。あなたを責めるのはお門違いよ。……ペティと言ったわね、あなたもショーンから聞いているでしょうに、よく私に仕えてくれると言ってくれたわ。ありがとう。マリアライトには逆らわず、出来る範囲で私に仕えてちょうだい」


もう、第二の犠牲者は出したくない。ペティは今の私の立ち位置が危うい事も承知した上で引き抜きに応じてくれたのだ。尚さら危険な目には遭わせられない。


「大丈夫ですわ、万事心得ております。さ、リヴィアお嬢様、大分お時間が経っております。ショーン様と私でお支度のお世話をさせてくださいませ」


「ありがとう……ペティ、それにショーン」


「もったいないお言葉でございます、私めはメリナを庇う事も出来ませんでしたのに」


「ショーン様、リヴィアお嬢様が仰いましたでしょう、出来る限りの事をショーン様はなさったと。──リヴィアお嬢様、洗顔のお湯が冷めないうちに、どうぞ。お着替えのドレスは、その間にショーン様とご用意致しますわ」


「ええ、そうさせて貰うわね。ショーン、もう自分を責めないで」


「はい……はい、かしこまりました」


そうして洗顔を済ませ、二人に手伝って貰い礼拝のドレスに着替えた。後はペティが髪を梳いて手早く編み込んでくれる。二人のお蔭で礼拝には無事間に合う時間に支度を済ませられた。二人に礼を言って屋敷を出る。


すると、普段とは違う馬車が私を待っていた。


一見すると質素なようだが、繋がれた馬や馬車の質感が真逆だ。控えていたウィルドが小声で私に「今朝はこちらにお乗りくださいませ」と告げ、かと思うと辺りを気にして素早く離れてしまう。


一体、どうした事か。その疑問は馬車に乗ってみて即座に分かった。


「皇太子殿下……!」


馬車には、皇太子様が待ち受けていたのだ。驚く私に、皇太子様は「おはようございます、リヴィアお嬢様。早朝の来訪を許してください。本来ならば昨日のうちに忍び訪れたかったのですが」と仰った。


昨日のうちにと聞いて首を傾げてから、はっと気づく。ペンダントと対になる指輪の石が色を変えたのだ。昨日あれだけの事が起きたのだから、異変があってもおかしくはない。


「まだ時間には余裕があります、教会へは回り道をしましょう。──リヴィアお嬢様、お聞かせ願えますか。何がお嬢様を襲ったのかを」


本当にお話ししてしまっても良いのだろうか。マリアライトの発言の全ては絶対に言えない。皇太子様が知ってしまえば最悪の場合家門が潰れてしまう。どこまでならばお話し出来るか。私個人が受けた仕打ちと、メリナが受けた仕打ちに限れば家門は守れるだろうか?


「騎士団で鍛錬を積むリヴィアお嬢様の兄君も、離れて暮らしている分お嬢様を案じていますよ。話せる範囲で構いません」


「お兄様が……いえ、何より殿下がお越し下さいました事、私には何より救われる思いでございます。心よりお礼を申し上げますわ、ありがとうございます。……お話し出来る事は限られますけれど、どうかお許しくださいますでしょうか?」


深く腰を折って頭を垂れた私の肩に、皇太子様は温かな手をかけて下さった。


「頭を上げてください、リヴィアお嬢様。もちろんお話し出来る事のみでいいのです。──マリアライトお嬢様ですね?」


「……はい、ご明察の通りでございます」


──私は躊躇いながら、慎重に言葉を選んで昨日の出来事を話しても許される範囲に限り、かいつまんで皇太子様にお話しさせて頂いた。皇太子様は真摯に耳を傾けて下さり、私が話し終える頃には眉を顰めて指先をこめかみに当てておられた。


「……マリアライトお嬢様は……想像以上ですね。甘く見ていたようです。──けれどリヴィアお嬢様、あなたの善良さは最大の美徳でもありますが、善良なだけでは絶対的悪に倒されます。毒をもって毒を制す、と言うと言い方は良くないでしょうが」


「毒を……」


けれど、毒婦になるような育てられ方はしていない。当惑した私に、皇太子様は察して「悪に対して同様の悪になれと言うものではありません。ですが、対抗出来うる毒を持つのです。それは、時として打ち勝てば正義になるのです」と説明して下さった。


己の心に真っ直ぐに、正しさだけを尊んできた私には目から鱗が落ちる内容だった。マリアライトや、ベリアル様──私を良く思わない者達から打たれてばかりいた私は、自分を保つのに必死で反撃をした事がなかった。それを自覚するのも新鮮な出来事だ。


「……はい、殿下……」


「リヴィアお嬢様、あなたの心根は誠実です。それを変える事なく己を守り、立ててゆく術を考えましょう。──お嬢様には私がついています」


皇太子様が、ついていて下さる。


「ありがとう、ございます……」


ならば、闘うと言う事も学び、清濁飲み込んでなお皇太子様が美徳と仰って下さった善良さも守ってみせよう。


「私は、私のまま新たな私になってみますわ」


「その意気です、リヴィアお嬢様」


ようやく表情を緩めて微笑んで下さった皇太子様は眩しかった。




──その私達の話し合いの外で、物事の展開はまた意外な方向へと突入していた。それを知らされるのは、皇太子様が教会からの帰り道までも同じ馬車でお送り下さって帰宅した後、更に一週間が経った日曜日の教会でと言う事になる。


ベリアル様が、生命の樹を呼び出された。──お忍びで訪れた平民の暮らす町で、私達貴族が焼きたてのパンとお料理を頂く時、貧民は石のように硬いパンをクリームさえ使えない豆のスープに浸して食べている、その現実を知って衝撃を受けたから、と。


国と民を思う心が生命の樹を呼び出してしまった、と。


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