第3話

ワインに酔ってしまったのか、いつの間にか浅い眠りに漂っていた。


煌びやかなシャンデリアに照らされて、思い思いに着飾った女性たちが泳ぐように優雅なダンスを楽しんでいる。


私は光沢のある淡くも鮮やかなブルーのドレスをまとい、貴族令嬢に囲まれて輪の中心になっていた。


「リヴィアお嬢様、私に記念すべきファーストダンスの相手を勤める栄誉をくださいませんか?」


声をかけてきたのは、銀色に近いプラチナブロンドの髪に、吸い込まれそうな青い瞳の美しい男性だった。


切れ長の目に薄い唇が涼やかさを引き立てる。鼻筋も整っていて高く、周囲の令嬢たちが憧憬の溜め息をついて彼に見入っている。


「さすがはリヴィアお嬢様ですわ、あの皇太子様にダンスを申し込まれるだなんて」


ムオニナル皇太子──その名を知らぬものはないほどの有名な人物だ。皇太子でありながら国政に参与して市井の民の生活水準を高めた実力ならば誰しも認める。聡明で文武両道、非の打ち所のない殿方として貴族令嬢はみな憧れていた。そのような高名な人物からダンスに誘われるとは思いもよらず、彼の美しさも相まって私の心臓は早鐘打った。


「レディ、いけませんか?」


「あ……光栄に存じますわ、ムオニナル皇太子殿下」


いけない、つい見惚れて返事が遅れた。ほんのりと笑みを浮かべて頷くと、皇太子様は嬉しそうに手を差し伸べてきた。おずおずと手を重ね、フロアにエスコートされる。履き慣れない高いヒールの靴を思いやって下さっているのか、足取りはゆっくりとしていた。


「手が冷えていますね、緊張されているのですか?」


話しかけてくる声は落ち着きがあり、柔らかい。


「私、社交界の公の場は初めてですの……皇太子殿下の足を踏んでしまう非礼がありましたら……不安ですわ」


思わず正直に言ってしまう。皇太子様は面白そうに笑って「レディの細いお身体です、踏まれても鳥の羽根が靴に舞い降りたようなものですよ。それより夜会を楽しみましょう。私がリード致しますので、レディは身を任せて下されば大丈夫です」と優しく言葉を返して下さった……。


──そこで、まどろみから目が覚めた。夢にしては全てが生々しく、咄嗟に夢と現実の区別がつかなかった。


初めての夜会に気持ちが昂って夢にまで見てしまったのだろうか?


けれど、夢の中の皇太子様は素晴らしい紳士だった。あのような方とお話ししてダンスを踊れたら、それこそ夢見心地になるだろう。


華やかだった夢を反芻していると、ドアをノックする音が聞こえた。


「リヴィアお嬢様、よろしいでしょうか?」


声はウィルドのものだった。私が「ええ、いいわ」と返すと、静かな所作でドアが開いて、まるで今朝のように大きな包みを持ったウィルドが一礼して入ってきた。


「旦那様より、今夜のドレスでございます。こちらをお召しになりますよう」


「ありがとう、お父様は本当に私を大切にして下さるのね」


「それは、リヴィアお嬢様のたゆまぬ努力をご覧になっておいでですから」


「嬉しいわ、開けてみてもいいかしら?」


「もちろんでございます、お嬢様の魅力を存分に引き出すためのドレスでございますので」


ウィルドが柔らかな笑みで応える。私は包みを受け取り、さっそくドレスを取り出して──驚愕にドレスを凝視した。


それは、光沢のある淡くも鮮やかなブルーのドレスだった。上半身はシンプルに、下はゆったりとしたフリルが全体を優雅に見せるドレス。見覚えがある。確かに夢で見たドレスと同じだった。


反応のない私を訝しむように、ウィルドが「お嬢様、お気に召しませんでしたか?」と訊ねてくる。我に返った私は咄嗟に笑みを作り、「いいえ、とても素敵で驚いただけよ。本当に美しいドレスね」と取り繕った。


「それはよろしゅうございました。合わせるアクセサリーはこちらでございます」


差し出された箱には、大粒の真珠で作られたネックレスと、揃いのイヤリングが入っていた。なめらかな輝きは間違いなくドレスを引き立てるだろう。


「素晴らしいわ、私にはもったいないくらいよ」


お父様のお心遣いを無駄にしたくない気持ちから、さも無邪気に喜んでいるようにドレスを広げ、真珠を手に取る。


「お喜び頂けましたようで何よりです。旦那様もご満足なさることでしょう」


「ええ、とても嬉しい贈り物ね。着替えたら、まずお父様にお礼を言いに行かなくては」


「それは旦那様もお喜びになりますでしょう。お嬢様の成長をご覧になれれば、きっとご満足なさります」


「ええ、ありがとう。メリナを呼んで身支度を整えるわ」


「ちょうどよろしいお時間ですからね、では私めは席を外しましょう」


「ウィルドもお父様のお仕事で忙しいでしょうに、ありがとう。お父様には後ほど伺うと伝えてちょうだい」


「かしこまりました」


ウィルドが慎み深く退室する。私は改めてブルーのドレスを見つめた。何度見ても、まどろみの中で見たドレスと同じだ。


予知夢かと、一瞬脳裡をよぎった。けれど、確証が足りない。儀式で飲んだワインの作用で一時的に起こったものかもしれない。けれど、力を増強するとは言われたものの、それは生命の樹を呼び出すための力のはずだ。


「どういうことかしら……」


分からない。だが、きっと偶然に起きた出来事だろう。ワインの力にせよ、作用はイレギュラーな事には続かないはずだ。


今は着替えて支度を整えなければ。私は呼び鈴を鳴らしてメリナを呼んだ。


「リヴィアお嬢様、お目覚めですか?」


「ええ、支度を手伝ってちょうだい」


「はい、……まあ、なんて素敵なドレスなのでしょう。今朝のドレスもお嬢様に良くお似合いでしたけれど、こちらも更に素晴らしいですわ。リヴィアお嬢様が今宵の主役になりそうですね」


「主役だなんて大袈裟よ。侯爵のご令嬢もヘルデラ公女様もご参加なさるのですもの、そちらが夜会の華だわ」


ドレスに興奮を隠せない様子のメリナに苦笑しながら謙遜する。メリナはそれでも「お嬢様よりお美しいご令嬢はおりませんわ、──そうです、アクセサリーに合わせて結った髪には小粒の真珠を散りばめましょう。真珠のヘアピンを出しますわね」と、熱心に私を着飾る方法を提案し始めた。


「お化粧の紅ですが、頬紅は必要ありませんわね、口紅も赤ではなく清楚なピンクがよろしいかと思うのですが」


「そうね……あまり派手派手しいのも好きではないし。せっかくのドレスにも合うようにしたいわ。白粉も薄めにしてちょうだい」


「かしこまりました、リヴィアお嬢様ならば最高にお美しいお姿になられますわ」


「もう……」


何を言っても賛辞が止まらない。メリナは幼い頃から私に仕えてくれているからか、私への傾倒ぶりは本物だ。


「ではリヴィアお嬢様、お食事後に緩めたコルセットを締め直して、パニエも新しいものを出しますわね」


「ええ、お願い」


メリナの仕事は確実なうえに早い。私はメリナに任せて、夜会に想いを馳せた。


夢の中ではムオニナル皇太子様が出てきていた。事前に聞いた話では夜会に参加するとは聞いていない。もしムオニナル皇太子様が夜会に現れなければ、あの夢は本当に偶然になる。


未来を見てしまう力だなんて、もしあれば少し恐ろしい。私に敵対心を燃やすマリアライトが何かを万が一企んだ時には便利かもしれないけれど。


でも、それこそ万が一にも力を知られたら悪用や利用をされる恐れもある。だいたい、新人類で予知能力が発現したという前例は文献でも読んだ事がないのだから、杞憂にすぎないとは思うけれど。


「──それにしても、リヴィアお嬢様はお身体が細いですわ、本当にコルセットが必要かと思うくらいです」


「そうかしら、そんなに細くはないと思うのだけれど」


「いいえ、十分細いですわ。一度だけマリアライトお嬢様のお着替えをお手伝いしたのですが……それはもう、コルセットを二人がかりで締めて……」


「メリナ、マリアライトは仮にも私の妹よ。悪く言ってはいけないわ。それにあの子は成長期だもの、これから体型も大人びてくるわよ」


「申し訳ございません、お嬢様。マリアライトお嬢様は使用人に厳しく当たるので、つい」


「それについては折を見て私かお父様から注意しましょう。……コルセットは締まったかしら」


「はい、これ以上締められないほどです。次はドレスを着て頂いて、髪を結い上げて仕上げにお化粧です」


夢の中で見覚えのあるドレスに袖を通しながら、姿見を見やる。そこには、まだ15歳とは思えない面差しの自分が映っていた。顔立ちこそ初々しいけれど、瞳はとても少女には見えなかった。


理由は分からない。私は伯爵令嬢として恥ずかしくないよう努めてきただけだから。


年相応と言えばマリアライトの方がよほど多感な女の子らしさを持っている。


──愚かにも、私はそう思っていた。


マリアライトの心根の恐ろしさも知らず気づかずに。


その思い違いに気づくのは、まだ先の話だ。この時の私が第一に考えるべきは今夜の事だった。

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