第27話 仕事

——— 本当は行きたいんじゃないの?ニューヨーク。


菫の質問に、蓮司は一瞬固まった。

「いや、俺は…」

「行きたいから、私に話したんじゃないの?」

「………」

「なんで断るの?私にはよくわからないけど…ニューヨークで実力を試せるって、すごいチャンスなんじゃないの?」

「……うん、それはそう。」

蓮司はうなずいた。

「じゃあ…」

「………」

「蓮司?」

「…スミレちゃん、一緒に行ってくれる?」

「え…」

「やっぱり。一緒に行くなんて、全然考えなかったでしょ?」

「………」

「正直、自信ないんだ…」

「え?」

「スミレちゃんがいない場所で描ける気がしない。」

「え、そんなわけ…」

蓮司は首を横に振った。

「サクラがいなくなって…いや、弱り始めてからだから…あの頃、3ヶ月くらい本当に何も描けなかった。だけどあの日、スミレちゃんに会って…久しぶりに描きたいって思った。」

「………」

「あの日からずっと、スミレちゃんが近くにいたから描けたんだ。」

「………」

「スミレちゃんがいない空間で、絵なんて描けない。」

「…じゃあ…私も…ニューヨークに行ったら描けるの?」

蓮司はうなずいた。

「なら…」

「ダメだよ。」

菫が言いかけたのを、蓮司が遮った。

「最近、仕事が楽しいんでしょ?大きな商談も任せてもらえて、出張に行くのだって楽しいって言ってたじゃん。」

「…私の仕事なんて…蓮司の仕事に比べたらちっぽけだよ。代わりなんていくらでも…」

「スミレちゃん!」

蓮司がまた遮る。

「スミレちゃんの仕事はちっぽけなんかじゃないし、代わりなんていない。いつも真剣に絵を見てくれたし、あんなに目を輝かせてレターセットのこと話されたら、俺だって買いたくなるよ。」

「でも…」

「この間…俺が暴力沙汰を起こしかけたとき、冷静になって本当にゾッとした。スミレちゃんから大事な仕事を奪いかけたんだ…って。4年前…俺の個展で仕事頑張ろうって思ってくれたのに、今度は俺がそれを無くそうとしたんだって。」

「………」

「スミレちゃんがニューヨークに行くなんて考えなかったのは、仕事が充実してるからでしょ?」

「そう…なのかな…」

「だから、ニューヨークなんて行かなくていい。」


『………』


しばらくの間、沈黙が続いた。

「この話は終わり。」

蓮司が言った。

「帰ろ。」

「………」

歩き出す蓮司に、菫はついていこうとしない。

「スミレちゃん?帰ろ?」

「…そんなのおかしいよ…」

菫が言った。

「だって蓮司は行きたいんでしょ?」

「………」

「なら、我慢しないで行きなよ。」

「我慢じゃなくて…」

「私の仕事のためにニューヨーク行かないとか、私の親に会うためにサクラとお揃いの銀髪やめるとか…そんな風に“スミレちゃんのため”って大事なこと我慢されたら、余計辛いよ。」

「スミレちゃん…」

「私は…ごくごく普通の会社員だけど、たしかに自分の仕事を“ちっぽけ”なんて本当は思ってない。誇りを持ってやってる大好きな仕事なの。デザイナーやイラストレーターの気持ちを届けられる営業になるって目標だってある。だから辞めたくないよ。」

「でしょ?」

「だけど…私は一澤 蓮司のファンだから、勝手に…蓮司の力になれてるって思ってた自分が、いつのまにか蓮司の足枷あしかせになってるって思ったら…辛くて、苦しい…」

菫の目が潤む。

「………」

「蓮司、ニューヨークに行って。」

「スミレちゃんは?」

菫は首を横に振った。

「行かない。」

「じゃあ無理…」

———ペチッ

菫が蓮司の頬を両手で挟むように軽く叩いた。

「遠く離れたって、私はここにいるよ。いなくなるわけじゃない。」

菫は蓮司の目をとらえて言う。

「………」

「2年も離れるって、本当は寂しくてたまらないし、不安だよ。だけど…蓮司がニューヨークに行って絵を描くって考えたら…新しい一澤 蓮司が見られるかもしれないって考えたら…楽しみで仕方ない。」

そう言って、菫は蓮司にキスをした。

「だから蓮司、頑張ってよ。私のために。」

「スミレちゃん…」

蓮司は観念したように微笑んでうなずいた。

そして、菫を抱きしめて、何度もキスをした。

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