第15話 トクベツ

菫の身体は、背の高い蓮司に抱きしめられてすっぽりと包まれていた。

以前に、泣いている蓮司に肩を貸していたときは小さく感じた身体が、今はとても大きく感じる。

(あったかい…)

菫のひたいから、まぶたまなじりほほ、と順番に蓮司の唇が触れる。

「あ、だめ…」

次に触れられるところを想像し、菫は思わず顔をそむけたがすぐに蓮司の手に捕らえられる。

「ダメじゃない」

蓮司は蠱惑的こわくてきな声で言うと、菫の唇に触れるようなキスをした。

「ん…」

キスが深くなる。菫の手が、不安げに蓮司の服をぎゅっと掴む。

「かわいい…」

そう囁いて、蓮司は何度も何度もむさぼるようにキスを重ねる。

「息、できな…」

「しなくていいよ」

蓮司が艶っぽい声で言うので、不慣れな菫は崩れ落ちそうになってしまう。

(…頭がふわふわする……)

「そんな表情かおされたら、止められないよ」

「一澤さ…」

「蓮司」

「…」

「蓮司って呼んで。スミレちゃん、下の名前で呼び捨てとかしたことないでしょ?」

「…れんじ……っ…さん…」

「ダメ、“蓮司”」

菫の往生際の悪さが蓮司を煽る。またキスを繰り返す。

「…ん…蓮司」

「よくできました」

蓮司がいたずらっぽく笑った。

「これから、そういうスミレちゃんの“トクベツ”は全部俺にちょうだい。」

菫の顔は真っ赤になっていた。

「俺のものになってよ。」

蓮司が菫の瞳を覗き込んで言った。

菫の心臓はこれ以上早くならないだろうというくらいの鼓動を繰り返していた。

「蓮司…のトクベツ…は?」

「え?」

「私も…蓮司の…トクベツが欲しい…」

菫の潤んだ瞳を見て、蓮司は優しく微笑んだ。

「スミレちゃんにしか触れない。」

「……もっと…」

「スミレちゃんにいっぱい、絵描くよ。」

「………足り…ない」

「わがまま。」

蓮司は笑った。

「そうだなぁ…スミレちゃんにだけ、サクラの話聞かせてあげる。」

「…蓮司の泣き顔もついてくるなら、それで勘弁してあげる…」

菫は蓮司にぎゅ…と強く抱きついた。

お互いの心音が混ざり合うのを感じた。


翌朝

菫は蓮司のベッドで目を覚ました。蓮司は先に起きたようで、もうベッドにはいなかった。アトリエには何度も来ていたが私室に入るのが初めての菫はキョロキョロと部屋を見回した。

(パソコンとかカメラとか、ここにあるんだ…)

菫は蓮司の匂いを感じながらゆっくりと部屋を出た。

蓮司はアトリエで朝の陽光の中、キャンバスに向かっていた。足元ではスマイリーがオモチャで遊んでいる。

(銀色の髪…朝日に透けててきれい…)

「おはよ。」

菫に気づいた蓮司が言った。

「おはよう…ございます…」

菫が頬を染めながら言った。

「あれ?敬語に戻ってる。」

「え」

「敬語禁止。」

「無理……」

真っ赤になって手で顔を隠す菫を見て蓮司は笑った。

「朝ごはん食べる?パンくらいしか出せないけど。」

菫はコク…っとうなずいた。

蓮司が絵を描いているのを見ながら、菫は長机でスマイリーを膝に乗せてジャムトーストをかじった。

「…こんな…朝から描くんだ。」

「日によるけど、朝はあんまり描かないかな。」

蓮司が答えた。

「スミレちゃんといると描きたくなるんだよね。」

蓮司が目を細めた笑顔で言った。

「今日はとくに。寝顔もかわいかったから。」

その一言で、菫の顔は耳まで真っ赤になった。

「……そういうの、言わないで。」

スマイリーが菫の方を見てニャアと鳴いた。


菫はあらためてアトリエを見渡した。

蓮司が鼻唄まじりに絵を描いていて、スマイリーがいて、自分がジャムトーストを齧っている。

初めて来た日に感じたこのアトリエの寂しさは、もう感じなかった。


「個展はやらないの…?」

「え?」

蓮司もひと息つくために、菫と机の角を挟んだ席に座っていた。

「こうやって壁に飾られてるとこ見ると、やっぱりカラフルで大胆で気持ちいいなって思うよ。」

アトリエの壁には昨夜見た絵が飾られたままだった。

「原画でしか感じられない迫力みたいな…やっぱり元気になるから、個展やったらみんな喜ぶと思う。」

「個展…ね。」

蓮司は4年前の個展を思い出して、何かを考えているようだった。

「正直、あの時の個展はあんまり良い思い出じゃないんだ。」

「え」

「だからあの一回しかやらなかったし、やるつもりも…ないかな。」

「そう…なんだ…」

なんとなく蓮司の聞かれたくないことを聞いてしまった気がして、菫は気まずさを覚えた。そんな菫の気持ちを蓮司は表情から読み取った。

「今は、個展やって良かったと思ってるよ。あれがなかったらスミレちゃんに逢えてないから。」

そう言って蓮司は菫の頭を撫でて、優しく微笑んだ。

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