銀色ネコの憂鬱

ねじまきねずみ

第1話 一澤 蓮司

川井かわいさんはデザイナー志望だから、デザイナーの気持ちをお客さんに伝えられる良い営業になれるよ”

すみれの胸にずっと残っている言葉だ。



「私も好きです、一澤いちざわ 蓮司れんじの作品。」

川井かわい すみれが嬉しそうに言った。

「やっぱ人気出てきてるよな。このデザインで手帳とかノート作ったら売れると思うんだよね。」

明石あかしあまねが言った。

ステーショナリーメーカー・株式会社ミモザカンパニーでは、冬から春にむけた新商品の企画会議の真っ最中だ。

菫はミモザカンパニーに入社して4年目の28歳。営業をしている。明石はこの会社の社長兼営業だ。

「じゃあ声かけてみるか。急がないと他の会社がもう声かけてるかもしれないよな。」

「社長、あの…」

菫が言った。

「一澤 蓮司に声かけるの、私にやらせてもらえませんか?」

「川井さんが?」

「はい、そろそろそういう事もやってみたいです。」

明石は少しだけ逡巡した。

「契約のことだから結構面倒ごともいろいろあるけど…そうだな、この人のデザインが好きならやってみても良いかもね。契約決まったら相間そうまさんと連携してもらって、って感じで大丈夫?」

「はい、大丈夫です。」

ミモザカンパニーのデザイナー、相間そうま 香澄かすみが答えた。

「まあ揉めたら俺に振って。」

「揉めないように気をつけます。」


株式会社ミモザカンパニーは文房具と雑貨を取り扱う小さなメーカーで、どちらかというと女性向けのレターセットやマスキングテープ、ペンケースなどを企画・販売している。設立されてまだ5年、従業員は9名の新しい会社だ。

ミモザカンパニーで扱う商品のデザインは大まかに2種類に分かれる。相間のような自社所属デザイナーがイラスト作成から行うものと外部のイラストレーターやデザイナーの作品を使用したものだ。

外部の人間はむこうから作品応募がある場合もあれば、こちらから声をかけることもある。今回は後者だ。

菫は明石が資料として持参した雑誌をめくった。


一澤 蓮司・26歳・イラストレーターでグラフィックデザイナー。

POPな色づかいで花やフルーツを大胆にレイアウトした作品で若い女性を中心に徐々にファン層を拡げている。



1週間後

昼下がりのカフェで、菫は少し緊張しながら待ち人が来るのを待っていた。相手には菫の服装を目印にするように伝えていた。クルーネックのシャツにグレーのパンツ、ゆるくパーマのかかった髪は一つに結んでいる。

(一澤 蓮司かぁ。どんな人なんだろう?)

「あの…」

知らない男が菫に声をかけた。

「はい。あ、もしかして…」

「え?」

「今日約束してる…」

「ああ、そうそう。座ってもいい?」

男は一瞬戸惑ったような仕草を見せたが、席に座った。

「もちろん。」

(想像よりも普通の人っぽいな。)

「お姉さんめちゃくちゃ美人だね。今ヒマなの?」

「え…?あの…」

なんとなく会話がおかしい気がする。

「そこ俺の席なんだけど。どいてくんない?」

頭上から声がして、見上げると背の高い男が立っていた。ふんわりとパーマがかかったようなやや長めの銀髪ぎんぱつに丸いサングラス、ゆるいシルエットの柄シャツという風貌で妙な迫力がある。

菫のテーブルに座っていた男はそそくさと席を立って去っていった。

「あんた川井 スミレって人でしょ?」

男は立ったまま言った。

「え?私の名前…?え?今の人は…」

「マジかよ。ナンパされそうになってたの気づいてないわけ?すっげー無防備。」

「てことは、あなたは…一澤 蓮司さん?」

男は無造作に腰を下ろした。

「つーか俺があんなダッセー男だと思われてたのショックなんだけど。」

「はぁ…」

(…質問に答えてない…)

「でもたしかに美人だよね。ナンパされるのもわかるわ。」

「あの…」

「え?」

「一澤 蓮司さんなんですよね?」

「うん。」

「座ったままで失礼しますが、株式会社ミモザカンパニーの川井 菫と申します。」

菫は名刺を蓮司に差し出した。

「知ってるよ。メールで聞いた。」

「………。」

「俺の絵で文房具つくりたいんでしょ?」

「はい…」

「ごめんね、無理。」

「え!?そんな、まだ何もお伝えしてないんですけど…」

「だって俺今スランプで何にも描けないんだもん。」

蓮司はあっさりと言った。

(もん…)

菫は自分が想像していた人物とだいぶ違う蓮司にやや圧倒されていた。

「あの…そういう理由でしたら…弊社としては描き下ろしはしていただかなくて大丈夫なので、ご検討いただけませんか?」

「新しく描かなくていいってこと?」

菫はうなずいた。

「最初なのですでに発表されている作品で人気のものを教えていただいて、それを中心に商品化させていただきたいです。」

「へぇ。」

「デザインの編集…えっと…レイアウトとかトリミングとか、そういうパソコン作業は弊社のデザイナーが行うこともできますし、一澤さんのご希望があればご自身でやっていただいても…あ、まず先に今回の契約の条件ですが…」

菫が契約の内容も含めて一通り説明して、クリアファイルに入れた契約書類を蓮司に差し出した。

「弊社の印鑑はもう押してあるので。内容をよく読んでいただいて…」

「んーなんか俺そういう話苦手で頭入ってこない。とりあえずアトリエいこっか。作品見ながらの方が話しやすいでしょ。」

蓮司が言った。

「アトリエ?」

「うん。すぐ近くだから歩いて行けるよ。」

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