十年ぶりに好きだった子とデートしたら、知らない間に結婚してて子どもまでいた件

南川 佐久

第1話 ボクの好きな沙耶香ちゃん

 ボクは、恋ができない。


 今年で二十八歳になるクリスマス。

 ボクはひとり、街を彩る灯りの中をポケットに手を突っ込んで歩いていた。


 街中は、手を繋ぎ、互いの視線で寒さを埋め合うカップルで溢れかえっている。

 それをボクは、自分には縁遠い世界……というか、どうにも共感しがたい感情で眺めていた。

 吐く息が白く夜空に吸い込まれていくのを見て、ボクも一緒にあの星の傍まで飛んでいけないものかと、胸のうちで何度目かわからないため息を吐いた。


 人と付き合ったこと――交際経験は一応、ある。

 あれはボクが大学生のときだったか。

 だが、どうにも「これじゃない感」がして、数か月と経たずに別れてしまった。


 交際中のボクはどうにもうわの空で、それが相手にも伝わっていたのだろう。

 ボクらは自然消滅的なかたちで、お互い連絡する機会が減っていって、気が付いたら別れていたのだ。あとになって思い返せば、原因は間違いなくボクにある。……と、思う。相手の方には悪いことをしたなぁと、歳をとった今ではそう思うものだ。


 なぜ、恋ができないのか。


 それは多分、ボクにとっては青春と呼べるあの頃に、すべてを置いてきてしまったからだと思う。


 十年前。高校生の頃、ボクには好きな人がいた。


 中学から六年間続けていた部活。吹奏楽部。

 ボクは、同じ部活に所属していた沙耶香さやかちゃんのことが好きだった。


 ボクの学校は私立の中高一貫校だったから、正確には、部活を始めた十三年前からだ。

 だが、沙耶香ちゃんへの好意をなんとなく自覚したのは十六歳の頃だったろうか。

 ボクと沙耶香ちゃんはすごく仲のいい友達で、一緒にいると心地が良くて。部活の帰りも休日も、頻繁に行動を共にしていた。

 沙耶香ちゃんは素直で明るくて優しくて、周囲の皆に可愛がられる小動物的な生徒だった。一方で、ちょっとダークな雰囲気の漫画を好む子で、そこでボクらは意気投合して、お気に入りの漫画を貸し合ったり、劇場版を一緒に観に行ったり。

 でも、当時のボクらはただ仲がいいだけで、沙耶香ちゃんとどうこうしたいという思いはなかったんだ。本当だ。


 高三のとき。元来コミュ障だったボクが成り行き的に副部長に選ばれてしまった際、ボクは部活を辞めようと思った。長く続けている部活とはいえ、薄情なボクは吹奏楽にこれといったやりがいなどを感じていなかったからだ。

 なのにいきなり、副部長とかいう責任ばかり重たい役目を押し付けられて。部活に行くのが本当に嫌になってしまった。だってあの人選は、顧問がボクのことを『実力と信頼がそこそこあって、尚且つ押しに弱い』という傀儡にぴったりな人物だと思っての決定としか思えなかったから。それがわかっていて部活に行くバカがどこにいるって話。


 だが、ボクは部活をやめなかった。やめたくなかったんだ。

 そうして気がついた。

 ボクにとって部活とは、あくまで沙耶香ちゃんとの繋がりを得るための場に過ぎなかったのだと。


 でも、ボクにはそれで十分だった。

 『沙耶香ちゃんと、最後まで部活を続けたい』

 ボクはその後もいやいやながら副部長を続け、そりの合わない部長や顧問の愚痴を沙耶香ちゃんに聞いてもらいながら、その責務を全うした。


 そして、それが恋だったんだと後悔したのが十八の春。

 ボクは沙耶香ちゃんに想いを伝えることなく、卒業を迎えた。


 それ以来ボクは、心の底から人のことを好きになることができていない。


 どうして高校生の頃、思い切って沙耶香ちゃんに告白しなかったんだ?

 当時、沙耶香ちゃんに恋人らしい恋人はいなかった。

 でも、他でもないボク自身が、この想いをだと自覚できないまま、ただ青春を過ごしてしまったばっかりに。ボクは後悔を抱えてその後十年を生きてきた。


 大学生になってしまえば、高校の友達と会う機会はめっきり減ってしまう。

 それに、大学に入れば新しい恋が見つかるはず……などと甘いことを考えていたらこのザマだ。


 ボクの胸には、未だ沙耶香ちゃんよりも輝く存在が現れない。


(……で。今日が十年目のクリスマスか……)


 ……懐かしい。

 十数年前のこの日は、沙耶香ちゃんや他の部活の仲間とクリスマスパーティを開いて。そんな陽キャなイベントなんて柄でもないのに、プレゼント交換なんてしたりして。


 年末年始を目前に、駆け込みで風邪薬をもらいにやってくる患者の対応に追われていたら今日も残業五時間(ほぼサビ残)。十二月に入ってからはそんな毎日で。恋人なんて当然いないし、家族と過ごすあったかいクリスマスなんて無縁な寂しい医者のボクには、あの日々が遠い星のように脳裏に瞬いていた。


(沙耶香ちゃん、今、何してるんだろう……一般企業に入社したとは聞いているけど、ボクみたいにブラックな職場じゃないかな? 大丈夫かな? きちんと定時で帰れているのか? だとしたら、今頃はきっと恋人と……)


「…………」


 考えるの、やめよう。


 そう思って駅前のクリスマスツリーを素通りしようとしていると、ふとポケットのスマホが揺れた。

 ボクは、驚きに目を見開く。


(……え。これ……)


『レイちゃん、久しぶり! 沙耶香だよ、覚えてる? あのね、冬休みにそっちに帰省するんだけど、久しぶりに会わない?』


 文面だけで、あの屈託のない笑みが浮かんでくるようだった。


「……あ。えと……」


(どうしよう……!)


 なんで!? 急にどうして帰省なんて……

 この十年、こんな誘いまるでなかったのに!

 まさか、仕事やめた? それで実家に?

 病院ウチの事務でいいならいつでもボクの独断コネで入れてあげるけど……


 あああ! とにかく……!


 ボクは慌てて近くのカフェに飛び込んで、空いていたひとり席に陣取った。

 震える手でスマホを持って、なんと返信しようか閉店まで思い悩む。


 そうして、年末――


  ◇


「久しぶりだね、レイちゃん!」


「沙耶香ちゃん、久しぶり……」


 待ち合わせの駅改札で、お化けかってくらいにあの頃と変わらない沙耶香ちゃんが、愛らしい笑みを浮かべて駆けてきた。

 遠慮がちに早足でヒールを鳴らして、ちょっと空気が読めないくらいの距離の近さまで来ると、ぎゅ~っと胸元に抱きつく。

 相変わらず背が小さくて、こげ茶の髪がふわふわしてて可愛い。それにいい匂い。


「レイちゃん、ちょっと痩せた?」


「まぁ、十年ぶりだしね。ははは……」


 感動の再会に浸るにしても、いい歳して駅前でハグは周囲の視線が痛い。

 でも、こんな空気の読めないところも沙耶香ちゃんらしいといえばらしいな。

 照れを隠しながら肩を掴んで遠ざけると、その足元からひょっこりと、よく似た大きな瞳の男の子が覗いていた。


 そうして――


「ママぁ~?」


「…………ママ?」


 ボクは、固まる。


「ああ、言ってなかったっけ? 私、六年前に結婚したんだよ。この子は蒼太そうた!」


「…………」


(…………結婚、してたの?)


 いつの間に。


 結婚式呼ばれてないですけど?

 ボクと沙耶香ちゃんの仲だよねぇ?


 てか息子……


 極寒の地に置き去りにされたボクの心に気が付いたのか、沙耶香ちゃんは慌てて、否定するように手を振った。


「あっ、結婚式は海外でしたんだよ! 海外って旅費もかかるし、友達とかは皆仕事で忙しくて来れないだろうから、親族だけでやったんだ!」


「……で。子ども」


「今年で二歳だよ! ほら蒼太、こんにちわ~」


ぉんにちゃぁこんにちわ!」


(……言えてない。くそ可愛い……つか、見れば見るほど沙耶香ちゃんに似てる。旦那の面影がない……ザマァ)


「立ち話もなんだしさっそく遊園地デデニー入ろうよ。いや~、久しぶりにデデニーランド行きたいなぁって思ったんだけど、息子いるし平日休みな友達って少ないしで……」


「それで、木曜が休みのボクにお鉢が回ってきたってわけか」


 どこか投げやりに答えるボクに、沙耶香ちゃんは十年前と変わらない屈託のない笑みを浮かべる。


「だってぇ、デデニーといえばレイちゃんでしょ! 学生の頃は、毎年一緒に行ってたもんね!」


「そっか……」


 これだけで、『嬉しい』と口元が綻ぶのだから、ボクも大概チョロい。


「さ! 今日は右回りでいこっか? それとも左? レイちゃんは、スペースマウンテンとビッグサンダーマウンテンならどっち乗りたい?」


「右回りとか左回りとか、懐かし……」


 ちなみに、右ならスペースマウンテンコース。左ならビッグサンダーマウンテンコースだ。


「じゃあ、子どもも乗れるやつが近い右で」


「ああ、イッツァスモールワールドね!」


 なんてことを言いながら、ボクらは当たり前のようにデデニーランドを満喫した。

 再会から五分も経っていないのに、このの空気感……これはもはや、幼馴染にも近いものがある。六年間の部活動という苦楽を共にしたがゆえの気楽さ。コミュ障のボクに、他人と共にいるということを微塵も感じさせない心地よさ……


 十年ぶりにも関わらず、ぎこちなさなどまるでない。尽きぬ話題と、笑顔と――


(ああ。やっぱりボクは、沙耶香ちゃんが好きだな……)


 三人でひとしきり遊んで、ファミレスのテラス席に腰かける。


「懐かしいね~! 高校のときは、デデニー来ると絶対このレストランでお昼食べたよね! ほら蒼太、ピザ食べる? 蒼太の好きなポテトもあるよ!」


「ポテトたべゆ~!」


 ピザと一緒にフライドポテトを頬張る二歳児を横目に、ふとした瞬間、ボクは呟いた。


「あのさ……沙耶香ちゃん、ありがとう。今日、誘ってくれて」


「こっちこそありがとうだよ~! 育児のいいガス抜きになったし、久しぶりにレイちゃんに会えて嬉しいし! 部活の皆ともよく来たよね、デデニー。でも、一番よく来たのはレイちゃんとだけど!」


(……そういう、「会えて嬉しい」とかさらっと言うところも、変わらないんだな……)


 そうやって、何も知らない男どもを何人勘違いさせてきたんだろう。

 相変わらずの天然っぷりだ。

 今の旦那も、勘違いしちゃったうちのひとりなのかな?

 でも、結婚して子どもまでいるんだから、勘違いじゃあないのか……


 でも。それでも……


「……ありがとう、沙耶香ちゃん」


「へ??」


「また会うことがあったら、言いたいと思ってたんだ。ボクは、沙耶香ちゃんがいたから部活を続けることができた。今になって思うんだ、あのとき辞めなくて、部活を続けててよかったなぁって」


「あ~、部活の経験……就活で役に立ったとか?」


「いや。ボク医者だし。親の病院だし。面接とかないし(おかげでほぼサビ残だけど)」


「あれ? そっか。じゃあどうして……?」


 その問いに、ボクは「なんとなく、そう思っただけ」と答える。


(……言えないよ。やっぱり、言えない)



 ――きみのことが、好きだなんて。



 もう子どももいるのに。今更言って何になるんだ。

 でも、この機を逃したら……


 周囲の家族連れの楽しそうな喧騒が、ざわりと耳奥で波打つようだ。

 お父さん、お母さんと、お兄ちゃんと妹と……

 沙耶香ちゃんも、夫と来ればたちまちにこの喧噪の一部になってしまうのだろう。

 ボクとは遠い、絵画の中のような存在に。


 どくり、どくりと心臓が脈打つ。

 ボクは、吐き気を催しそうなフライドポテトの香りに顔を顰めながら、息を吸い込んだ。


 そうして――


「ねぇ、沙耶香ちゃん……ひとつ、いいかな?」


「ん? ふぁに?」


 フライドポテトをもりもりと頬張る沙耶香ちゃんに、ボクは告げる。


「ボク、さ……あの頃、沙耶香ちゃんのことが好きだったんだ」


「……!」


「沙耶香ちゃんがいるから、ずっと部活を続けてた。正直合わない部長とか、嫌いな顧問とかともそれなりにうまくやって、それで――放課後に愚痴りながら沙耶香ちゃんとアイスとか食べて、それが楽しくて……」


「レイちゃん……」


「ごめん急に。でも、どうしても言っておきたくて。それで、ダメでもともと聞きたいんだけど……沙耶香ちゃんはさぁ……女の子同士の恋愛って、どう思う?」


「えっ……。へ――?」


「ボクが、今でも沙耶香ちゃんを好きって言ったら、どう思う?」


 その問いに、沙耶香ちゃんの口からぽろりとポテトが落ちた。






※突発で書き始めた短編です。二話で完結予定。

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