第42話 ヴァームフス奪取①

(三人称視点)


 ウルリク率いる部隊は特殊な化粧を施し、見事にヴァームフスの兵士に偽装した。

 どこからどう見ても命からがら、逃げてきたヴァームフスの敗残兵にしか見えない。


 これも全て、龐統の立案した策によるものである。

 龐統はかつて周瑜が赤壁の戦いで用いた計略にさらに趣向を凝らすことを考えた。




 赤壁の戦いにおいて、孫権・劉備の連合軍は曹操率いる大軍勢の前に数的不利な状況にあった。

 百万を号する曹軍に対し、孫権・劉備の連合軍は十万にも満たない。

 周瑜はこれを打破すべく、曹操の大船団に火計を仕掛け、焼き討ちにすることを思いつく。

 だが、策を完璧に実行するにはいくつかの前提条件が必要だったのだ。


 それこそ、諸葛亮が予測した東南の風であり、龐統の仕掛けた『連環の計』も条件の一つであった。

 もっとも重要なのは何をもって、曹操軍の船団に火をかけるのかということである。

 これを実行するには投降を偽る必要性があった。

 船団に近付けたところで火をかけ、火だるまの軍船をぶつけるのがもっとも効果的だからだ。


 しかし、並みいる武将の中でもそれなりに名声のある人物でなければ、適任ではない。

 一流の用兵家である曹操は疑い深い。

 どうにかして、信用させる必要があった。


 そこで周瑜が抜擢したのが、孫権の父・孫堅の時代から仕える剛毅な老将・黄蓋だ。

 質実剛健な人柄で知られており、何よりも孫家に対する揺るぎない忠誠心の固まりのような男だった。

 主君に勝利を捧げんが為に世紀の奇策が、実行に移された。


 本陣において、年老いた黄蓋はいけすかない若き大都督・周瑜に事あるごとにたてつく。

 周瑜は周囲への見せしめとばかりに黄蓋を鞭打ちの刑に処す。

 老骨にも鞭は容赦なく振るわれ、何とも痛ましい姿になった黄蓋は不満を隠そうともしない。

 この様子は曹操が送った偽りの降将によって、逐一報告されていたので黄蓋が曹操に通じたいという申し出は、さして怪しまれることもなかったのである。


 これが後の世に苦肉の策として、伝えられることになる。

 かくして周瑜が立案した策は黄蓋という立役者によって、大成功となったのだ。




 しかし、今回のモーラ防衛にあたって、状況がいささか異なる。

 既に接敵しており、戦端が開かれているのだ。

 降伏する振りをして、内部から敵陣を画策するような時間の猶予はない。


 それならば、どうするべきか?

 逆立ちした龐統の顔が真っ赤になり、いよいよ限界が近づいたと思われたその時、彼は唐突に閃いた。

 投降する兵である必要はあろうか? いや、ないということに気付いた。

 そこでヴァームフスを急襲可能な機動力を備え、敗残兵の振りが可能なスキー部隊が編成されたのである。


 そして、龐統ですら想定出来なかったことがある。

 敗残兵に化ける特殊な化粧を施す技術が殊の外ことのほかに高かったのだ。

 まるで本当に傷を負ったように痛々しい様子の兵士達の様子。


 美男子で知られるウルリクの出来栄えは特に格段と違いを見せるものだった。

 痛々しく、悲壮感に溢れながらも毅然とした彼の面構えはヴァームフスの人々の興味を引いた。

 彼らは獅子身中の虫を自ら、引き入れたとは露ほども思っていない。




 ウルリクが龐統から、授けられた策は三つ。


 一つ、敗残兵の振りをすること。

 二つ、首尾よく、侵入に成功した暁には「お館様より奥方に大至急伝えたき事案あり」と申し出ること。

 三つ、謁見の際、「内密のことゆえ」と傍に近付いてから動くこと。


 これだけだった。

 容貌が整っていることばかりが取り沙汰されるウルリクだが、実力で騎士団の副団長にまでのし上がった男である。

 単に武芸に秀でているだけではないと証明される時が刻一刻と近づいていた。


 ヴァームフスの民で領主オラフの夫人と娘への溺愛を知らない者はまず、いない。

 物心ついた子供ですら、知っていると言われるほどなのだ。

 あの領主から奥方への伝言であれば、それを妨げることはあってはならない。


 どんなにくだらないことであってもオラフの愛を止めるな。

 これがヴァームフスの常識となっていた。


 かくして、第二の策を実行したウルリクはすんなりと館の中にまで侵入に成功する。

 ウルリクと随行を許された十余名――いずれも腕の立つ者が抜擢されていた――は謁見にこぎつけたのである。


「お母様の代わりに私がお話をうかがいますわ」


 ところが謁見の場に現れたのは領主夫人のアグネスではなく、娘のロリだった。

 まごうことなき、噂に違わぬ美しさにこれまで容姿を誉められることしかなかったウルリクですら、たじろぐほどに……。


 さすがに光が差すという形容は誇張であったものの壁掛けの照明に照らされ、煌く豪奢な金髪は驚くほどに長い。


「姫様。内密のことゆえ、お耳を拝借したく」

「許します。近くへ」


 警護の兵や控える侍女が色めき立つ中、ロリは毅然とした態度を保っていた。

 しかし、彼女の心の中で密かな葛藤が行われていたことに気付く者は誰もいない。


(この人、かっこいい)


 ロリは可愛らしいもふもふだけでなく、かっこいいものにも弱かったのである。

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