はぐれの央一と鷹頭の丈夫

上田きつら

第1話 はぐれの央一

――ともあれ彼には、金が必要だった。


しかし当世、まとまった金を手にするには立身出世するより他に方法がなかった。

そうであるから、彼は都の連中から「陰陽くずれ」だなどと陰口されても、ひたすらに「除穢衛(はらえ)」の術の体得に身を削って来た。


今、都のお偉方もそうそうきれいごとばかり言ってはいられまい。奴らが「除穢衛」を求めるからこそ、この術は金になる。


だからこそ、他の何にも目もくれずこの術の体得にすべてを懸けた。そうしてやっと、お偉方にも認められた。“一大任務”を仰せつかるにも至った。しくじるわけがない。何せこの術の研鑽にあらゆるものを捧げて来た。彼は今やその筋の天才だった。

しくじるはずはなかった――その、はずだった。


「くそッ」


ぶちぶちと内心で恨み言を繰り返しながら、その青年――央一は軋むあばら骨を押さえるように呻き身体をよじった。


――こんなはずじゃなかった――


何度も何度も呪いの言葉のように内心でそればかりを繰り返した。想定外の激突と屈辱的な敗北。その結果、今こうして彼は冷え冷えとした草むらに転がされている。


「くそッ、くそッ」


僅かに動く腕を振るわせて口惜し気に冷たい地面を叩く。びりびりと振動が頭にまで伝わって、それは彼の身体に這いまわる痛みの感覚を後押しした。全身の関節に宿る、骨のずれるような痛み。しかしそれにも増して彼の内心は屈辱感でいっぱいだった。


「おい、おっさん!」


誰にでもなく、紺碧の空に向かい怒鳴りつける央一。


「聞こえてるんだろう、おっさん、応えろよ!」

「どやかましいのう。そない怒鳴らんでもよう聞こえとる」

「……」


ぬ、と。仰臥して動けない央一を上から覗き込むようにしたその姿。その眼はぎょろりと剥かれた猛禽のそれで、口にあたる部分にある鈍色の嘴もまた人のそれではなかった。


「ほんでええ加減慣れたやろがいや。ワシゃ都でも名の知れた男前やさかい」


そのように、顎にあたる部分の羽毛を撫でる指は辛うじて人間のそれに近かったが

手の甲にあたる部分からは大きな羽根が伸び広がっており、全体像は一層奇怪だった。央一は苦々しく歯噛みをして、諦めたように目を閉じる。


鷹の頭を持った大男は呆れたように目元を歪めてみせた。


――この大男こそ、今央一が抱える屈辱感の因となるもの。冗談のような容姿をしたこの鷹頭の男により、央一は一瞬にしてずたぼろにされてしまった。


果たしてなぜ、そのようなことになったか。それを語るには時を少しばかり戻す必要があろう。央一がこの“怨叉庭(おんさのにわ)”へ入りこむことになった当日へ、場面はさかのぼる。




その日、央一は時の将軍へ謁見するはこびとなっていた。

都随一の「除穢衛士」として将軍直々に任を与えられるなどということは、たっての名誉といって良い。立身出世を信条として除穢衛の術を研鑽してきた央一にとりこの日は大いなる飛躍の契機の日となるはずだった。


そのはずだったのだが。央一がかぶり慣れない烏帽子を支えながら御所へ入ろうとした矢先、その歩みは差し止められた。


「そこな男。止まれ」


声をかけられた央一は立ち止まる。振り返ると、そこには大振りの長刀を持った僧兵のような男と、その後ろにやんごとない身分の者を乗せるつくりの車を引く大きな牛の姿があった。


「そなた、津守央一なる除穢衛士で違いないか」

「は。いかにも」

「寮に属さぬはぐれ除穢衛士という噂だが。それも相違あるまいか」

「事実にございますれば」


半ば居直るような央一の不遜な態度に、僧兵の男は何か考える素振りを見せて牛車の窓に顔を寄せて何やらこそこそと囁いた。そしてすぐにまた央一の方へと向き直ると、今少し彼へ近づいてまた口を開く。


「此度そなたへ役目をお伝えくださるは奉行衆がおひとり、土岐実靖様と相成った」

「えッ」

「ここまではるばるご苦労なことであったが、これよりあらためて実靖様の館へ参られよ」

「しかし」

「実靖様の館には“華ノ寮”の灯篭のあるゆえ、そなたも除穢衛士なれば感応して向かうこともできよう」

「……は」

「然らばそのように。では、これにて御免」

「……」


型通りの言葉を平坦な調子で告げて、僧兵の男は数歩後ろに下がり意識を集中させるように目を閉じた。すると牛と車を包み込むようなつむじ風が渦を巻いたかと思うと、その風の中で僧兵も、牛も車も光の粒子のようになって弾け、そして消えた。


「……ふん」


央一は面白くなさそうに鼻から息を吐く。僧兵のようななりのくせに、あいつも除穢衛士のようだった。それが判明した今、央一にとって今しがた聞かされた諸々は一層面白くない。


時の将軍から直々に大役を任じられると聞かされて来たのに――それは早々に取り下げとなり、相対するは奉行衆の一人となった。当然将軍直下の親衛隊ともなれば実力者ではあろうが、央一にとってはそれは格下げもいいところだった。それに加えて、

あの僧兵のような男が逐一、央一が寮に属さないことに触れたことがまた彼の癇に障った。


確かに、都の中央機構には、所謂「陰陽術」の流れを前時代から汲んだ陰陽寮とともに、より呪詛や化生、怨霊対策に特化した除穢衛寮が設立されて久しい。大多数の者はこの寮に所属し、その中で訓練や知見の継承を行うが、央一はそれをしていない。

彼の除穢衛術は粗削りの独学であり、そうした意味からもある種特異ではあった。


その特異性は多くの場合嘲笑のタネとなっていたのだが、今回、都の中央機構は央一の型にはまらない除穢衛術に目を付けた――と少なくとも央一は考えていた――らしい。それは今まで日陰に追い遣られていた央一にとり天祐以外の何ものでもなく

だからこそ彼は今日のこの時を心待ちにしていたのだ。それなのに。


央一は、また人知れず唇を噛み締めた。しかしこうなれば、言伝に従わないわけにはいかない。けれども、土岐実靖というのがまた気に入らない。央一はそう思った。

土岐氏のうち、実靖は古来の陰陽術に関する知見が深く、その後枝分かれして発展した除穢衛術についても詳しい男だ。


除穢衛寮の設立にも多くの財を投じ、複数の除穢衛士の後ろ盾にもなっている。そんな男の屋敷だ。それは“華ノ寮”の灯篭も建てられるのも頷ける。


“華ノ寮”とは、除穢衛寮の中でも指折りの実力者が集められた寮でありこの灯篭は屋敷に“華ノ寮”所属の除穢衛士がしばしば集うことを示す。灯篭そのものそのものは特殊な術式によって組み上げられた紋様が刻まれた呪具のようなものでもあって陰陽術、乃至除穢衛術を体得したものはその位置情報を意思感応により読み取ることで同じ地上座標へ自らの実体を転移させることが可能になるものである。


央一は口惜し気に御所の奥へ視線を向けて、こぶしを握り締め歯噛みをした。

あと数歩で、最高権力者と僅かながらでも繋がりを持てたやもしれないのに――

しかし央一は同時に、このような場合に心持の切り替えが重要であることも理解していた。そうであるので、先ほど僧兵の装いの男に言われたことを思い越しながら目を閉じて、意識を平らかに保ちながら自身の足元を起点に地理情報を脳と目の後ろに読み込んでいく。すると都の地形が閉じた視界の中に広がっていって、その中にぼんやりと光る点を見た。“灯篭”だ。これが“華ノ寮”の灯篭であるかどうかの確証はないながらに、意識の中に点在する他の点よりも強い光を放っているため、恐らくそうであろうと思われた。央一は目を閉じたまま更に眉間のあたりに意識を集中させ、該当座標への転移へ移る。最短の距離を計算し、大まかな時間を割り出して、その空間を超える。陰陽術と算術の発展の脇に生み出された除穢衛術は、これはこれで便利なものだった。


足先から少しずつ、央一の身体は粒子状になって空気の中に融ける。彼自身の実体が一瞬消え失せるやもしれない感覚は不思議なものだったが、やはり慣れてしまえばどうということはない。頭のてっぺんまでが中空に融ける心地がして一切が闇に閉ざされたかと思う次の瞬間には、央一の姿は、仰々しい“灯篭”の前にあった。


「……」


当たり前だが、転移は成功した。思うほど長距離でなかったこともあろうが、丁寧な発現を行わなければ稀に中空で五体がばらばらになるなどといった惨事もあるという。央一はそのような下手を打つことはしない自負もあったが、ともあれ言伝られた土岐氏の館に辿り着いた。


門を潜り、砂利を踏みしめて主殿に向かおうとすると、そちらの方向から数人の除穢衛士の集団が歩いてくる様子が見える。疑いようもなく、“華ノ寮”の連中だ。央一は一瞬顔を伏せそうになったが、何を恥じることがあろうか。此の度彼はこの館の主に呼び立てられて参るに至っている。堂々としていればよいのだ、と。かえって胸を張るような姿勢になって、央一はその集団とすれ違った。

しかしその刹那――軽佻な吐息交じりの嫌味な笑みがいくつも零れ、彼らは央一を一瞥して顔を見合わせた。


「ご覧、“はぐれ”だ」


「否否“みなしご”であろう」


数人が囃し立てるような言葉を口にすると、更に嫌味な笑いが重なる。あたかも珍奇な動物でも眺めるような悪意のある視線を、央一は敢えて受けた。いずれの顔も覚えたぞ、やがて喉笛を食いちぎってくれる、とそのような眼で受けた。しかしそれさえもまた、嘲笑に一掃された。


「……」


やがて連中は通り過ぎ、乾いた風が央一の両脇を吹き抜ける。ちくしょう、と央一は思った。自分は、辱めを受けにここを訪れたわけではないのに。誰もかれもが、央一が寮に所属しないことを嗤った。あいつは我流の除穢衛術しか使えない。人に師事することのできない半端ものであると。しかし央一は、そのような陰口こそが的外れであると思った。

央一は他人を師と仰げないのではない。既に師をもっているために、他の者に師事する必要がないのだ。それは齢間もなく二十歳になろうとする男の考えることとしてはやや幼いものがあったが、しかしそれは央一の本心だった。央一には、既に尊敬してやまぬ師がいる。そうではあれども央一はもはや、その師から新たな教えを受けることができないのだ。

央一はそれが悔しかった。ただ、悔しかった。


言葉もなく、立ち尽くすことしかできない央一。そんな彼の前に、ひやりとした気配がふたつ、突然に現れた。

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