第2話 『死霊の盆踊り』の恐怖

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 こんにちは。ようこそお越しいただきました。

 ここはダラダラと映画のイメージを述べていくエッセイです。大抵映画の感想ですらない。


 だらだら映画エッセイ流れ第2弾は「死霊の盆踊り」です。

 大半の人には「何それ!?」って感じだろうけどあえて書こう。

 何故これになったのかというと前回の『死霊のえじき』の某所コメントに『死霊の盆踊り』とは違うんですか? と聞かれたので今回は『死霊の盆踊り』になりました(雑。

 こういうほわっとしたレスはとても好きなので適当にリク下さいね! このエッセイのために新たに観るつもりはないのだけど、見たことがある奴ならなんか書いてみようと思う。


 さて『死霊のはらわた』自体も、今にしてみればホラーファン以外はあまり認知度はないような気はするが、『死霊の盆踊り』はさらにない。自ら沼地に突進していく者たち以外にその名を知るものは皆無である。つまり名もなき沼。

 だから知っていなくても当然で、この映画は界隈ではカルト映画と評されている。そして監督のエド・ウッドは世界最低の監督として有名だ。


 『死霊の盆踊り』はそのエド・ウッドの代表作と思われている。でも実際は脚本を提供しただけで、監督自体はA・C・スティーブンという別の人なのです。この監督はこの後ポルノ映画で一斉を風靡するのだけど、おそらくコメントの方に期待されているのはエド・ウッドの話だろうから、そちらの話をする。

 そして『死霊の盆踊り』の話をする前に他のエド・ウッドの作品の話をしよう。自分がこれまで見たエド・ウッド自身の関連作品は下記の3つ。

『死霊の盆踊り』

『プラン9・フロム・アウター・スペース』

『怪物の花嫁』

 けれどもこれ以外にエド・ウッドの名前を関した映画の話を先にする。


1.エド・ウッド

 それは『エド・ウッド』だ。

 これはティム・バートン監督がエド・ウッドの人生を題材にして撮影した映画です。エド・ウッドはラジー賞の前身たるゴールデン・ターキー賞で最低監督賞を受賞しているが、ティム・バートンの『エド・ウッド』がアカデミー賞の助演男優・メイクアップ賞をはじめ数々の賞を受賞しているのはとても皮肉で示唆に富む話です(涙。

 さて映画の中ではジョニー・デップがエド・ウッド役。キラキラした目で人を次々に篭絡していく。ベラ・ルゴシ役のマーティン・ランドーも素敵な仕上がりとなっております。

 正直なところ、エド・ウッドの作品を見るよりこっちの方がよっぽど面白い。しかし題材が題材(ニッチすぎ)だけに、この映画自体すら面白いと感じる人は限られる。そしてこれは監督を題材とした話なので、エド・ウッドが撮影した映画自体にはあまり触れられてはいない。

 けれども。

 こここそが強調すべきポイントだと思うのだけれど、エド・ウッドの作品を見たことがある人こそ是非見てほしい作品である。またこれからエド・ウッドを見ようとする奇矯な人も、事前の知識として見ていた方がエド・ウッド作品を生暖かい視線で見られるという利点がある、かもしれない。

 いや、なんていうか本当につらいんで。エド・ウッドは。


 前フリはここまでにして、エド・ウッドの話に戻りましょう。

 エド・ウッド自身はプラン9を含む4本の作品を監督し、盆踊りを含む5本の作品に脚本を提供した。そしてどれもこれも興行に失敗し、1978年の12月10日に貧困の中でアル中で亡くなった。

 色々な本をよむと、エド・ウッド自身はおそらくとても魅力的で、一部のタイプの人間に強烈に好かれるタイプの人間だったのだろうな、と思う。そうでなければこの監督が映画を撮り続けられるとは思えない。

 さてそれでは少し『死霊の盆踊り』に近づくために『怪物の花嫁』と『プラン9・フロム・アウター・スペース』の話にうつりましょう。


2.怪物の花嫁

 まずは『怪物の花嫁』かな。こちらの方が古い。

 あらすじはこうだ。

 沼地で起こった惨殺な殺人事件をジャネットという記者が取材する。ところがジャネットは沼の近くで何者かに襲われ、気が付いたら近くに住むヴォーノフ博士(ベラ・ルゴシ)の家にいた。


 端的にいうと駄作だ。でもこれはあえて語るべきことでもない。

 何故ならエド・ウッドの作品は全て駄作なのだから。念のため他の意見があることは否定しない。

 駄作の駄作たる所以がよくわかる。英語なのにわかるレベルの見事な棒読み、予算の欠如の帰結と思われる細切れのシーン。タコのアップ映像(???)。沼でタコと格闘する話というの自体はシュールなんだけど、映像は見事に浮いている。

 基本的に支離滅裂な作品だ。そして支離滅裂なのはいつものことなので、あえて書くことでもないかもしれない。


 けれどもその背景事情はとても興味深い。

 これはルゴシが完成まで生きていた最後の映画だ。

 ベラ・ルゴシという人はとても特徴的な俳優さんで、恐ろしく目力が強い。大好き。もともと1931年の『魔人ドラキュラ』のドラキュラ役で映画界のトップに躍り出て、その後さまざまなモンスター系の役どころを演じた人物だ。

 エド・ウッドと仲良しで、生きてる間はエド・ウッドの映画に出続けた。逆にいうと、エド・ウッドが映画を続けられたのはベラ・ルゴシのおかげといえる気もする。そしてベラ・ルゴシは自分が薬中であることをカミングアウトした初めての役者だ。そしてそれによってルゴシの周りに人はいなくなった。


 それでね、ベラ・ルゴシは薬中なんですよ。

 エド・ウッドはスポンサーから金を集める。その金で撮影用のフィルムを買ってルゴシの報酬を払う。ルゴシはその金でモルヒネを買ってフィルムが続く限り撮影する。金がなくなったら金を集める。カオス。

 どうやらこのころのルゴシは死への憧憬があって、エド・ウッドはこれを止めるためにルゴシの映画をとっていたという話もある。

 それでルゴシの健康状況が悪化する度に撮影は中断され、モルヒネを一発打って撮影再開。恐怖のデスマーチ。

 そんな細切れの撮影を続けた帰結としてできあがったのが『怪物の花嫁』。

 中身はカオスだけれどもそんな背景事情を知ってみると、ルゴシの卓抜しつつも薬中で何が何だかわからなくなっている演技と、その他の隔絶されたレベルの大根演技の対比がなかなか心に刺さるのである。

 まあ他にもキャスティングとかシュールな部分は色々あるけど。


 そしてルゴシは『怪物の花嫁』の公開から3週間後、心臓発作でこの世を去り、ドラキュラの衣装で埋葬された。だが、これはルゴシの遺作ではない。


3.プラン9・フロム・アウター・スペース

 次はいよいよ『プラン9・フロム・アウター・スペース』。

 これは自分的にはSFでもホラーでもなく、#エド・ウッド、というジャンルだと思う。駄作界の金字塔、これほど有名な駄作はあろうか。

 いつも通り資金繰りは厳しい。今回のスポンサーはパプテスト教会。資金を得るためにエド・ウッドは関係者全員をパプテスト教会に帰依させた。特にプロレスラーのトー・ジョンソンは洗礼用の桶にはいれなかったものだからプールに入って洗礼を受けた。

 教会よ、何を考えてこれに資金を出したんだ。

 これは宇宙人が墓荒らしする話だぞ?


 とりあえずあらすじ。

 地球人の戦争を見かねた宇宙人が、戦争を止めるためにやってくる。了。


 特撮はまじで空飛ぶ灰皿レベル(吊ってる糸が見える)、荒らす墓石はダンボール製、コックピットは板に椅子。演技はルゴシ以外学芸会以下、何度も流れる同じ映像と5秒毎に逆転する昼夜。地雷と知って覚悟して見れば案外笑えるのかもしれないが、普通に見ると我慢比べです。

 展開が早いと感じるのにまだ20分しか経ってない事に気づくその衝撃。いったいこれをあと何分見なければならないのかという自問自答。時間の感覚が侵される。

あ・・・ありのまま 今起こった事を話すぜ! というやつだ。


 この映画はあまりに酷すぎて誰にも上映権を買われなかったため映画館で放映されず、日本でいうところの昼ドラ枠的なところでテレビ局に安く買いたたかれ、延々とお茶の間に流されて晴れて米国民に広く駄作として知れ渡り、最低映画の名を冠したのであった。ちゃん。


 なんでこんなことになったのか。

 さっきエド・ウッドの映画はベラ・ルゴシで保ってるって書いたじゃない?

 そんでベラ・ルゴシは撮影開始から2週間後に亡くなった。そしてエド・ウッドの映画には良い点が全て失われたのだ。

 本当にないんだよ! ルゴシしか!!

 だからね、ルゴシの映像がひたすら使いまわされた。

 脈略のなく多用されるルゴシの登場シーン。ルゴシの登場シーンには必ず背後に白い車が通行している。それしか映像がなかったからだ(遠い目。繰り返される同じ映像、印象に残るけど映画的になんの意味もない白い車。まさにエンドレスエイト。

 やむを得ない代役の時は顔を隠した大根が登場する。ルゴシの一番の魅力は目力なのに。


 それにストーリーも酷い。

 そもそもSFやろうというのに外宇宙は大気の状態が悪いとか、気体を蒸発させて水爆を作るとか、太陽光線を爆発させるとか、せめて理科くらいは勉強してほしかったりはする。

 そんなわけで、プラン9はベラ・ルゴシの遺作である。そして先のティム・バートンの『エドウッド』ではエド・ウッド役のジョニー・デップはこの映画の完成時に「最高傑作ができた!」と呟く。

 ……闇は深い。

 自分も自分の本についての客観的な視点、というのが必須であることをここで心に刻む。_φ(・_・。


4.死霊の盆踊り

 さてようやく『死霊の盆踊り』だ。

 これは実に恐ろしい映画である。全部見た。確実に見たんだ、傷む頭と泳ぎそうになる目線を精神の力でねじ伏せて。なのに、なんかお姉ちゃんが踊ってたな、という以外、欠片も記憶にない。

 きっと何か神秘的な力が働いたに違いない。

 ああだがこの映画は確かに冒頭に一つの示唆を置いている。

 無駄な尺で冒頭に夜の帝王が画面に現れ、カンペを見るような目線でプロとはなんだろうと思える棒のような表現で語るのだ、「この話は気を失うほど恐ろしい」と。

実際に起きていたにもかかわらず、気を失ったかのように記憶が飛んだ。


 とりあえず、あらすじ。

 車が崖から転落して気がついたら多分悪魔の宴会中。次々とお姉ちゃんが現れ、トップレスで踊る。


 だけなんだよね、ほんとに。

 ねぇこれに脚本が必要なの? と疑問に思うレベルでただお姉ちゃんが延々と、1人づつ順番にドラマも何もなく踊ってるだけだ。踊りに芸術性も何もない。演技は酷いけど、そもそも演技というほどの演技はなく、お姉ちゃんが胸を揺らしてだらだら踊る。

 それに1時間半耐える映画だ。


 でもね、これはそもそも映画だとみるのが間違いなんだ。

 この映画が撮影された時代、ポルノは解禁されていなかったんだ。そして監督のA・C・スティーブンはこの後ソフトポルノ路線を歩む。つまりこの映画はホラーにかこつけて、ポルノを描いている作品なんだ。だからストーリーもなにもなく延々とお姉ちゃんがトップレスで踊ってるので間違いではない。

 ただしこれはエロ系BGM的に流すのに適する映像であって、映画のように凝視し続けるものではないのですよ。だからこれを映画として凝視するのがそもそも間違いだと思う。当時の人がエロいことしながらエロビ流してたくらいのノリでちょうどいいんじゃないかな。今見ると失笑ものでしかないけれど。

 だが自分はこの映画を単独の映画として凝視することにたった1つだけ価値を見いだしている。

 この映画を全て観終えることができたならば……世界に少し優しくなれる、気がする。


 なおこの映画のビデオスルー化、日本でのフェス参戦の経緯はとても面白い逸話があるのだけど、これを書くと江戸木純という方の記事を丸パクな形になるので控えます。とても面白残念エピソードなので気になればググると面白いです。


 死霊が2個続いたわけだけれど、別にホラー縛り映画エッセイなわけではないので、次は明るい映画のエッセイにしてみようかな。と思ったら、ダリオ・アルジェントのリクエストが来た。

 アルジェント監督も大好き。やっぱサスペリアのシリーズとムーディ感かな。

 当該エッセイは常にリクエストを募集しております(見てなければリクエストに添えないすみません。)。

 See You Again★

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