第20話 心理テスト結果

 次の週の診察はあっという間に来た。今日も診察は榊さんだった。

「はい、これが先週受けた心理テストの結果よ」

 そこで先週受けた心理テストの結果を受け取る。

「・・・」

 私は渡された紙を見た。私の心が棒グラフになっていた。

「あなたは協調性があるわね」

 榊さんがコピーされたもう一枚の紙を見ながら言った。

「・・・」

 見ると、協調性の部分の棒グラフが、他のグラフに比べて突出して高くなっている。

「ここまで高い子はなかなかいないわ」

 榊さんが少し驚くように言った。


 ――小学校に入ったその日だった。私はもう、そこに馴染めずに孤立していた。

「どうしたの?」

 家に帰り、一人暗く沈む私に、母が心配そうにそう声をかけたのを今も覚えている――。


「・・・」

 私は小学校に入った当初から周囲となじめず、教室内でずっと孤立していた。自分の何が悪いのかさえ分からず、自分がどうやって級友の中に入って行っていいのかさえ分からなかった。それが私の現実だった。それは、上級生になっても、中学に入っても、高校に入っても変わらなかった・・。

「・・・」

 私は、その突出して高くなっている協調性を表す棒グラフの一点を見つめた。

「大丈夫、あなたは、学校に戻ってもみんなとうまくやっていけるわ。もちろんここでもね」

 榊さんは、私を励ますように言った。

「・・・」

 私はどうこの目の前のグラフを、結果を、受けとめていいのか分からず、ただ黙ってグラフを見続けた。


 ――小学校二年生の時だった。社会科の郵便のシステムを学ぶという授業で、同級生の誰でもいいから好きな相手に手紙を書いて出すという授業があった。みんなは手紙を書き、郵便配達役の子が次々と、受け取った手紙を同級生たちに渡していく。しかし、私には誰からも手紙は来なかった・・。

 授業の最後、先生が誰も手紙が来なかった人、と訊いた。私は手を上げた。他に手を上げたのは山田君という、いつも不潔でクラスでみんなから嫌われている男の子だけだった。

 その授業が終わって、今まで授業以外でまったく口を利いたこともないクラスの優等生の何人かが、お情けで私に手紙をくれた――。


 私はいつしか、いつもおどおどし、同級生たちの顔色を伺う子になっていた。多分、そういった中で生き抜く術として培われた、周りに何でもかんでも卑屈に合わせてしまう心の部分が、協調性として出ているのかもしれない。

「あなたはやさしいわね」

 そして、榊さんが続けて言った。

「人のことをとてもよく考えている。でも、少し考え過ぎているかもしれないわね」

「・・・」

 私は再び棒グラフを見る。共感性の部分が確かに高い。

「もう少し我がままでもいいのかも」

「・・・」

 ただでさえ教室で嫌われ者の私が我がままになったら、私は同級生たちの中で生きていけなかった。我がままになる余地など私にはまるでなかった。それがそこでの私の生きる術だった。

「あと、少しマイナス思考が強いわね」

 榊さんが私を見る。

「・・・」

 強いというか、私の中にはマイナス思考しかなかった。私にはマイナス以外の何ものをもなかった。自分を肯定的に捉えることのできる要因が何も見いだせなかった。自分はバカで間抜けで醜くて・・。

「そこは気をつけないとね」

「・・・」

 どう気をつけたらいいのか、まったく私には分からなかった。 

「まあ、心理テストの結果はいいとして、カウンセリングを受けてみない?」

 榊さんはにこやかに言った。けっこう、設問に答えるのに頭を悩ませ、大変だった割に、あっさりと心理テストの話しは終わった。結果がよかったからなのか、問題ないと判断したのか、しかし、実態とあまりに乖離するその結果に私は困惑する。

「カウンセリングですか」

 心理テストの結果に意識が向いていた私は、ふと我に返り、顔を上げ榊さんを見る。

「そう、ここにはいいカウンセラーもいるし、一度話をしてみたらどうかな。摂食障害にも詳しいわよ」

「はあ・・」

 あまり気乗りはしなかったが、そんなものなのかと今回も私は了承した。私は断るとか、自分の意見を人に言うということができない。ここでもそうだった。過剰に人の顔色を窺い、それに合わせてしまう。

「とても腕のいいカウンセラーよ」

 榊さんは、自分の思い通りにことが運んだからなのか、どこかうれしそうに言った。

「はい・・」

「じゃあ予約しとくからね」

「はい」

 その日の診察はそれで終わった。

「・・・」

 なんとなく、簡素で週一回のその診察に物足りなさを感じながら、私は悶々と診察室を出た。

「何言われたんだよ」

 美由香が、私が共有スペースのソファに力なく座ると同時に、すぐに私の隣りにやって来た。

「カウンセリングを受けろって」

「お前カウンセリング受けんの」

「うん・・」

「はははっ」

 美由香はなぜか笑った。

「美由香は受けたことある?」

 私は美由香を見る。

「ああ、何回もあるぜ」

「どうだった?」

「嘘ばっか言ってさ。適当なこと言いまくってやったよ」

「はははっ」

 私は笑った。

「そんでさ、あいつら理屈しか言わねぇから、あたしも屁理屈こねまくって言い返してたら、怒っちゃってさ、もう来るなってカウンセリングルーム追い出されたよ」

「はははっ」

 私はソファの上で笑い転げた。

「私もやってみようかな」

「ところで心理テストはどうだったんだよ」

「なんか、よく分かんない」

「ああ、あんなのいい加減だよ。あたしなんて、あなたはやさしいわねとか言われたんだぜ」

「あっ、それ私も言われた」

「なんであたしがやさしいんだよ。あたしは反社会性人格障害だぜ」

「はははっ」

「ほんといい加減だよ。なあ、宏美」

 美由香は、ソファの反対側の隣りに座っていた宏美ちゃんを見た。

「あはっ、あはははっ、あはっ」

 宏美ちゃんは、おかしそうに笑う。宏美ちゃんは、知的障害と発達障害があり、大概何があってもいつも笑っている。この病棟では一番太っていて、でも、そんなこと全然気にしている様子はない。私はそんな宏美ちゃんを、どこかでうらやましいと思っていた。

「・・・」

 私も頭がおかしくなり切ってしまえば楽になれるのかもしれない。私は屈託なく笑う宏美ちゃんを見ながらいつもそう思った。

「こいつ、カウンセリング受けるんだってさ」

 そこに玲子さんと真紀がやって来て、その玲子さんに美由香が言う。

「へぇ~」

 玲子さんが私を見た。

「カウンセリングだって、ちゃんとやればとても助けになるわ」

 玲子さんが言った。

「ならねぇよ」

 美由香が横から茶化して言う。

「そうですか」

 私は美由香を無視して、玲子さんを見る。

「そうよ。ちゃんと話をして、アドバイスをもらえばとても心の治療に役立つわ」

「ならねぇよ」

 美由香がもう一度言う。美由香はカウンセリングを完全に否定したいらしい。

「そうですか」

 しかし、今回も美由香を無視して私は玲子さんを見る。不信感もあったが、内心、どこかカウンセリングに期待している自分もいた。話しをちゃんと聞いて、理解してもらえば私は変われるような気もしていた。

「悩みを聞いてもらえば楽になるわよ」

「はい」

 私は、玲子さんの言葉に、どこか希望が持てたような気がして、少し気持ちが楽になった。

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