【第一部】第十章 “妖狐”稲姫

「何か言い残すことはあるかしら?」


 エリスさんがアレンに問う。


「生きていたいです」


 やはり人は生死の境に直面すると生を望むのかもしれない。アレンの口から生への渇望がこぼれた。



「ふにゅぅ……う~る~さぁ~い~!」


 アレンの部屋から女の子の声がする!


 いてもたっても居られなくなったエリスは、鍵のかかったドアをこじ開けて部屋への侵入を果たした。


 ちょうど折り悪く少女がアレンに抱きついてるのを見た瞬間、激情に駆られたエリスは、おのれの限界を突破し<ファイアボール>の無詠唱化に成功する。


「死ぬ! それ、死ぬからっ!!」


 と、かつて見たことのない規模の炎球を見たアレンは恐怖し、現実逃避気味に、


(今デバイスがあったら“練度S”も夢じゃないな)


 とか、今はどうでもいいことを考えてしまっている。


 あわや、こんがりお肉の出来上がり! になるかと思われたが――



「めっ!」


 アレンに抱きついている少女がエリスをにらんだかと思ったら、炎球がたちまち霧散した。


 構成していた魔素が少女へと流れ込む。何度も見た力に、アレンは『やっぱり……』となるが、今はそれどころじゃない!


 ハッと我に返る――無意識だったのかよ!――エリスは、少女を苦々しげに見つめ一言。


「アレンから離れなさい」

「やっ!」


 短い拒絶の言葉。だが、決意は固そうだ。アレンに抱きつく少女の力がより一層強くなった。


 室温が急激に下がったような錯覚を覚え、あわやハルマゲドンかと思われたその時、救いの神が現れた。


「何があった!? アレン、無事か!?」


 エリス侵入時のドア破壊音を聞きつけ、『すわ、何事!?』と、近くの部屋のカールが部屋に飛び込んできたのだ。

 

 カールはぐるりと部屋を見渡す。状況を察し、『はぁ~~~っ……』と、額を手で押さえながら深いため息をつく。


?」


 とんでもない爆弾を投下して出ていこうとする。「少しは痛い目を見ろ」とのつぶやきも聞こえてきた。――神じゃなくて悪魔だった!


「それ! シャレになってないから!! ――エリスッ! 違う! 気付いたらこうなってて……信じてくれ!」

 


 また走馬灯を見ないよう、アレンの必死な弁明が続いた。



 時は冒頭に戻る。


 なんとかエリスへの釈明を終え、アレンは少女にお願いして離れてもらった。少女は不満そうだったが、命がかかってるからね。


 カールもなんだかんだで部屋にいてくれている。


 なお、ドアの応急処置は急ぎ済ませた。エリスは弁償すると言っているが、やんわりと断った。これは誤解が生んだ不幸な事故なんだ。


 また、『この子の服、どうしよう……』と相談していたら、どうやって用意したのか、可愛らしい、色鮮やかな着物を身に付けており――はじめから着ていて欲しかった!――ちょっとエリスがうらやましそうに見ている。


 落ち着きを取り戻したエリスは、少女を見てからアレンに視線を戻した。


「この子ってやっぱり……」


 エリスも同じことを考えているようだ。


 アレンは少女に向き直った。


「名前、聞いてもいいかな?」


 アレンがそう聞くと、少女から予想外の反応が返ってきた。



 少女は一瞬ショックを受けたようにビクンと硬直し、今にも泣き出しそうに目尻に涙をためた。


「わっちの名前は、主様ぬしさまがつけてくれたでありんす……」


 俺もそこまでにぶくはないつもりだ。不覚にも地雷を踏んでしまったけどな……。アレンはすぐさまフォローを試みた。


「主様っていうのは、俺のことかな……? ごめんな。俺、ある時以前の記憶が無いんだ」


 ケモ耳が垂れ、しゅんとする狐ちゃん。いじけてしっぽをいじいじ。


 やっぱり狐ちゃんは過去の俺と繋がりがあったのだ。アレンは罪悪感にさいなまれた。


――いや、諦めるな! 今の俺にできることをするんだ!



「昔には戻れないけど、これから一緒に思い出は作っていける。新しい名前をつけさせてくれないかな?」


 うなだれていた少女のケモ耳が立った。……これはOKってことかな?


 アレンはしばし黙考する。うつむいた彼女の鮮やかな髪色に目が惹かれた。


――その時、ふと、知らないはずの光景がアレンの頭によみがえった。



 辺り一面いっぱいに黄金色の作物が実っている。そんな中、まぶしい笑顔ではしゃいでいる少女がいた。


 作物と同じキレイな黄金色の髪をしており、元気にこちらに手を振っている。こちらからも少女に手を振り返し、名前を呼ぶ。



……?」


 アレンがそう呟いた途端、少女がアレンに抱きついてきた。胸元に顔をうずめて泣いている。


「主様。主様主様主さまぁ……」


 直感する。


 これが、以前の俺が名付けた彼女の名なのだ。「寂しい思いをさせてごめん」と、アレンは彼女の髪を優しくいた。


 また、自分の中に、失っていなかった大切なものがあることをアレンは嬉しく思う。


 一度思い出すと、芋づる式に記憶が甦ってくる。ここより東方の地でアレンと彼女――“いなひめ”は出会った。


 黄金色に輝く作物と同じ髪色、天真爛漫てんしんらんまんなあどけなさから、アレンが彼女を“稲姫いなひめ”と名付けたのだった。


 

――大事な大事な、初めての仲間だった。

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