第5話 嘘も方便


 防音性に優れているのか扉を閉めた途端、喧嘩の声はぴたりと止んだ。


(本当に残念です)


 つい、ため息をこぼすとレオナールの耳にも届いたようで真っ青な顔で頭を下げられた。


「姫、その、息子が失礼を……。姫は不細工では、えっと」

「いえ、私は気にしてはいませんわ」


 最初はあの言動に腹を立てていたが、アランのおかげで今は胸がすく思いだ。気にしてることといえば、もっとあの兄弟喧嘩をそばで見ていたかった。


「レオナール様が前に言っていた辺境で暮らす王子様ってあのお方だったんですね」

「あ、いえ……。いえ、アランも、私の息子です。けれど、王子ではありません」


 一瞬だがレオナールの顔が曇った。ぼそぼそと小さな声で言葉を紡ぎはじめる。


「私がまだ王太子であった頃、シヴィル辺境伯の娘と恋仲になりまして、その時、生まれたのがあの子です」

「ヴィルドールでは、北の方――えっと、奥様以外の女性との間に生まれた子は母親の身分を継ぐと聞きました。だからアラン様はシヴィルを名乗っているのですね」

「ええ、そうです。……本当なら、結婚するはずだったのですが、父が、前の国王が許してくれなくて。あの子にはいつも迷惑をかけています」

ですか……。ジェラルド様は私の夫になると言っていました」


 びくり、とレオナールの肩が跳ね上がる。額からはだらだらと汗が吹き出し、滝のように頬や顎を流れて、衣服にシミを作る。

 その反応で、春子の再婚話はジェラルドの独り決めではなく、レオナールも噛んでいると分かった。


「今日、アラン様がお越しになられたのは私を迎えにきたためだと」


 春子が喋るたびにレオナールの顔色は徐々に青から白へと変わっていく。息継ぎも忘れているのか先程から呼吸も止まっている。図星を指されたからなのは一目瞭然なので、春子は気付いていない無垢なふりをすることにした。


「シヴィル領はどんなところですか?」


 は? とレオナールは顔を上げると目を大きく見開いた。忘れていた呼吸も思い出したようで、ゆっくりとだが息を吸って吐く動作を何回か繰り返すと「今、なんて?」と聞き返されたので一字一句、同じ言葉を口にした。


「自然が豊かで、民も穏やかな者が多いです。魔獣はよく出現しますが」


 魔獣という言葉にレオナールは渋面じゅうめんを作る。きっと、春子に聞かれたくない言葉だったのだろう。


「魔獣とは鬼のことですよね?」

「ええ、鬼無でいう鬼に該当します」

「楽しみですね。鬼はご先祖様が全て倒しっちゃったので見たことがないんです」


 春子が両手を合わせて微笑めば、レオナールはあんぐりと口を開けた。その目には「何いってんだ。この女」と書かれていた。

 噂に聞くと鬼はとても恐ろしい存在のようなので、春子の言葉は不適切だった。実際に多くの被害がでているのに楽しみと言われたら不愉快に思われても仕方がない。


「お父様から鬼の生態を調べろと言われたので、現地に行けるなんてありがたいですわ」


 嘘だ。父親からはに大人しくしていろ。他の将軍家の姫君を見習え、と何度も言い聞かせられた。ヴィルドールの目的が鬼を根絶やしにするためでも、春子には関係ないから余計なことはするな、としつこいぐらい。


「聞けば、四方の守り手の方々が鬼の侵入を防いでいるとか」

「ええ、ええ! 特にシヴィル領は魔獣が数多く攻め入る土地です」

「それは早く対処しなければ……。その地に暮らす民も不安でしょうに」


 取り繕うように言えば、レオナールは安心した様子を浮かべた。春子がシヴィル領へ行くのを嫌がっていないのと、鬼無の武力を借りれることに不安より安心が勝ったようだ。


(まあ、鬼無の武力を借りれるかは分かりませんけれど)


 春子を溺愛する三人の兄は妹が暮らす国を平和にするため援軍を寄越す気でいたが、父はあまり気乗りしていなかった。他の十二将軍家と同じように他国と必要以上の友好は築くべきではないと考えている。

 卯野家の家督が父である以上、春子がお願いしても武力は借りれないだろう。

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