第14話 四龍帝


 早く帰ってくれ! と願うのは今日で何度目か。六度目以降、数えていないので細かい数字はわからない。恐らく二十は超えている。


「そのような険しい顔をするな。父君のような皺ができるぞ」


 つたない声色ながら、どこかくたびれた口調。龍帝である藍影にこのような言葉を投げかける人物は一人しかいない。


「心配してくれるのならば、帰ってくれないか?」


 藍影は不機嫌を隠さず、目の前の人物を睨みつけた。

 北方の統治を任された四龍帝が一柱、黒龍帝——玄琅げんろう。齢八百を超えるがその容姿はあどけない幼児そのもの。まろやかな頰は林檎のように赤く、黒衣から覗く手は紅葉のよう。子供が好きな藍影は見た目だけは好ましく思っていた。中身は老骨なのは知っているので暁明のようには接しない。絶対に。


「お前は本当に失礼なやつよの」


 藍影の心を読み取ったのか玄琅はむっと唇をつきだし、ありもしないひげを整える仕草をする。


(歳と見た目を考えろ。老耄おいぼれ爺)


 どうせ心を読んでいるのは予想していたので、思いつくままに悪態をつく。父や母が聞けば卒倒するか叱りつけるほど酷い内容だが、玄琅はくつくつと喉を鳴らすだけ。藍影の悪態に気を悪くした様子はない。


「儂がわざわざ顔を出したのは、が泣きついてきたからよ」


 玄琅は小さな指先で藍影の、腰にまとわりつく人物を指差した。


「君もいい加減、離れてくれ。白慈はくじ


 今日の気分は男性体なのか白龍帝、白慈はその精悍せいかんな顔をぐしゃぐしゃに歪めながら泣きじゃくる。顔の穴という穴、全てから透明な液体を垂れ流して。


「だってー!! まさか、あたしが作ったお菓子で花嫁ちゃんが倒れるとは思わなかったの……!!」


 口調は女性的なのに容姿が勇ましいため、ちぐはぐだ。


「それは君のせいじゃない。私のせいだ」

「あたし、たくさん神気注いじゃったんだもん! 藍ちゃんが喜ぶかなーって!!」


 剛腕が藍影の柳腰を締め上げた。


「痛い! 君は今、男なのを忘れるな!」


 内臓が潰れる痛みにうめきながら藍影は叫んだ。


「ご、ごめんなさい」


 申し訳なさそうに白慈は謝罪すると両目の瞼を下ろした。すると筋肉質な肉体が徐々に柔らかな肉体へと変化する。

 数秒後、肉体の性別は完全に女性のものへと変わった。


「力加減が下手でごめんなさい」


 藍影としては性別よりも腰に回した腕をどうにかして欲しかった。拘束されたままは不愉快だが、言えば白慈がまた泣くので我慢する。


「花嫁ちゃんに謝りたいんだけど、どこにいるの?」

「あの子は出かけている。謝罪なら私から言っておくよ」


 白慈は感情を抑制できない。感情のおもむくままに行動するため、紅玉に合わせたら絶対に泣き叫びながら謝罪をするはずだ。

 見ず知らずの女性、それも龍帝の取り乱す様を見れば紅玉は恐れるに違いない。


「お主は感情的だから合わせられぬと言っておるぞ」


 藍影は玄琅を睨みつけた。


「心を読むな」


 読まれていることは分かっていたが、言葉にだされるとは思わなかった。藍影が眉間の皺を更に深めると玄琅は妙な笑い声をあげる。


「会話するよりも心を読んだほうが早いからのぅ。癖になっておるんじゃ」

「ならば、意識してくれ」


 無理だろうけど、と藍影は諦める。自分や白慈が他者の心を読む際は目に神経を張り巡らせて、集中しなければならないが、読心術の達人である玄琅は呼吸するかのように読み解いた。八百年もそんな生活を送っていたのだ。今更、治すことは難しいし、本人も治す気はさらさらないのは理解している。


赤斗せきとはどこにいる?」


 藍影は赤毛を探した。歌流羅は四龍帝が集ったと言っていた。あの寡黙な常識人なら、年齢詐称の若作り爺と感情直上の女男の暴走を止めてくれるはずだ。


「赤龍は夏国かこくに残っておる」

「声はかけたんだけどね。くだらんって言われたの」

「あやつは火なのに氷のような奴よのぅ」


 冷たくあしらわれたのが傷付いたのか白慈は藍影の腰に顔を埋めた。布越しに湿り気を感じて、藍影は慌てて白慈を引っぺがした。


「藍ちゃん、ひどい!」


 顔を埋めていた部分の布が変色している。その正体を、白慈のぐちゃぐちゃになった顔から察した藍影は深く息をはき、怒りを鎮めようとした。


(紅玉を迎えに行く前に着替える必要があるな)


 これ以上、時間をかけるわけにもいかない。直ちに帰宅するよう促すため、口を開いた時、玄琅が奇妙な笑みを浮かべているのに気がつく。


「赤龍の代わりに参ったのはあれのせがれだぞ」


 赤龍帝の倅——その言葉を聞いた藍影は立ち上がると房室から飛び出して行った。




 ***




 残された二人は顔を見合わせた。


「走っていっちゃった。神術を使えばいいのにねぇ」


 藍影の慌てように涙も引っ込んだのか白慈が呟いた。


「玄ちゃん、どう思う?」

「どうとは?」

「意地悪ね!」


 白慈は思いっきり玄琅を小突く。


「藍ちゃんと花嫁ちゃんのことよ」


 勢いよくながいすから転がり落ちた玄琅は腰に手を当てて痛みに耐える。


「儂が老体なのを忘れるでない」

「ごめんね。で、どう思う?」


 藍影の時とは違い、玄琅が痛みにうめいても白慈は特に気にする素振りはみせない。心を読んでも一寸たりとも気に留めていなかった。


「あれは、青龍の倅じゃ。人間を気にかけるのも血筋なのだろうなぁ」


 玄琅は立ち上がると周囲に気を巡らせた。藍影と思われる物体が凄まじい勢いで回廊を駆けており、更に離れた場所では赤龍帝の倅がのんびり歩いているのが見え、口角を持ち上げる。


「あやつ、花嫁に隠遁の術をかけたな」

「花嫁ちゃんの気が感じないのってそういうこと? でもなんで?」

「儂らに会わせたくないのだろう」


 なんで! と白慈は声を張り上げた。


「あたし、花嫁ちゃんに会いたいのに!!」

「お主は落ち着きを覚えろ。白龍よ」

「でも」

「会っていけばいいではないか」


 ぱちり、と白慈は瞬きをする。


「あやつには『会うな』と言われておらんだろ。赤龍の倅が花嫁を見つけるのが先か、青龍が倅を見つけるのが先か賭けるか?」

「玄ちゃんったら悪い子だぁ。もちろん、あたしは藍ちゃんに賭けるわよ」

「ふふっ、では儂は赤龍の倅にでも賭けるかのぅ」


 玄琅は笑う。こんなに楽しいのは先代青龍帝が花嫁に殴られた時以来だ。


「人間とはほんに面白い生き物よな」


 今回の花嫁はどのような嵐をもたらしてくれるのだろうか。想像するだけで笑いは止まらない。

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