第10話 忌々しい赤色


 ——恵嵐の不幸は生まれた時から決まっていた。


 斎帝国では女尊男卑の傾向が強く、王位継承権も女児が優遇される。先代は男児しか恵まれず、いずれも早逝するか病弱で国を統べる器量を持たなかったことから、先代の弟にあたる人物の総領娘を立太子とすることが決まった。

 それが恵嵐の父である。父は朝廷の命令で同じ皇族身分の娘を嫁に迎え、三人の子宝に恵まれた。その三人目が恵嵐であり、生誕してすぐに王座を与えられた。


「女帝たるものは毅然きぜんとした態度を忘れてはいけません」


 世話役の女はそう言って、恵嵐がはしたない言動をすると鞭で手の甲を叩いた。嫌がって逃げ出しても追いかけられて、王座へと引きずられていく。


「女帝陛下に拝謁できたこと、光栄に存じます」


 初めて会った父と二人の兄は、まるで他人のように接してきた。恵嵐が子供らしく手を握ろうとしたらやんわり拒絶された。


「陛下のご家族はこの国でございます。子を思う母のように振る舞いなされ」


 幼い恵嵐に代わり、垂簾すいれん政治を行う老骨はいつも恵嵐を監視した。彼の理想を演じられなければ、耳を塞ぎたくなる罵声を浴びせられた。


 誰もが恵嵐を操ろうとした。

 誰もが恵嵐に不自由を強いた。

 誰もが恵嵐を愛さなかった。


 それが、斎帝国の幸せに繋がると言い聞かせた。



 周囲の望むままの言動を心がける。

 周囲の期待に答えるべく振る舞う。

 万民の母として女帝らしく生きる。


 移り変わりのない灰色な幼少期が終わる頃、周囲は恵嵐の伴侶を選抜し始めた。伴侶に選ばれた男は地方の豪族であったり、異国の王族であったり、斎帝国と繋がりを得たい者達ばかりだった。

 最初に選ばれた伴侶は斎帝国の重臣の子息。彼との間には二人作るように命じられた。


 一人目は女児。

 ——次の女帝として育てることが決まった。


 二人目は男児。

 ——政略結婚の駒として育てることが決まった。


 続いての伴侶は同盟国の王子。彼との間には一人作ることとなった。


 三人目は女児。

 ——第一子がだった時の駒として育てることが決まった。


 次から次へと周囲は伴侶を与えてきた。顔も名前も覚えてない相手との間に四人、五人、六人と子供を産み続けても周囲は子供を産み続けることを強要する。嫌だと文句を言っても「それが女帝のつとめ」と跳ね除けられた。


 年齢ももう高齢。子供ができただけでも奇跡といっていい年齢になっても周囲は子供を産めという。

 全てを諦め、傀儡かいらいとして生きる恵嵐に、朝廷が最後の伴侶選んだのは赤い髪の男だった。

 男は辺境の地の部族出身であり、恵嵐との婚姻は斎帝国と部族の結びつきを強くするためのもの、例に違わず政略結婚だ。


 しかし、男は恵嵐を利用しようとはしなかった。一回りも歳上の自分を、大国の女帝である自分を、甘言かんげんでそそのかすことはせず、いつも優しく接してきた。

 最初は疑心暗鬼に囚われていた恵嵐も気づけば惹かれていった。通常ならば女帝の伴侶となれるのは子が生まれた時まで。それ以降は元いた場所へと返されるのがおきてだが、恵嵐は男を元の場所へ返すつもりはなかった。周囲の反対を押し切って男と共に生きることを求めた。


 やっと不幸が終わる。その希望が潰えたのは、男が恵嵐に近づいた事実を知った時——。




「——……夢か」


 ゆっくりと瞼を持ち上げた恵嵐は、気だるい体に鞭打ってしとねから体を起こした。ふきでた汗が夜着を濡らし、不愉快だ。このまま二度寝するもの嫌なので、隣室に控えているであろう侍女に湯殿ゆどのの準備を命じた。

 うやうやしく了承の意を示してはいるが、恵嵐には侍女が抱く苛立ちをしかと感じ取っていた。


(傀儡に命じられるのは嫌か)


 侍女は、かつて恵嵐の世話役だった。自分を鞭で叩いた女だ。今も腕に残る傷痕を撫でながら、恵嵐は口角を持ち上げる。


(妾は誰の下にもつかぬ。妾は女帝。お主よりも偉いのだ)


 あの男に裏切られた時に恵嵐は女帝として生きる決意をした。斎帝国のためではなく、これからは自分のために。


(……狗は常世に着いた頃だろうか)


 夢見が悪かったせいか、ふと四日前に献上した娘のことが頭をよぎる。

 あの男の面影を強く受け継いだ色は宮中では目立っていた。視界に入れないようにしても存在感が激しい色はすぐさま入り込む。その色を見るたびに身の奥で渦巻く黒い何かが口から出そうになった。

 やっと、あの色がいなくなったというのに恵嵐の心は晴れない。それどころかあの娘がいた頃よりも気分が重く、沈んでいく。


(親子そろってほんに憎たらしい)


 無意識についたため息は、静かに宵闇に吸い込まれた。

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