愛と魔法とぽんこつと~人類最強の令嬢は最弱の恋愛力で、愛する彼と幸せになりたい~

わらしさま

プロローグ

 どうしてこんなことに。

 暗い森の中を走り、何度も木々の枝や石に身体をぶつけながら、少女はそんなことを思っていた。


「はっ……はっ……」


 ぬかるみに足を取られるが、バランスを立て直してなおも走る。

 無我夢中で逃げているため、帰るべき場所である教会からはどんどんと遠ざかっている。本当なら花も摘み終わり、今頃は花束を作って、今度誕生日を迎える人に日頃の感謝を伝えていたはずだった。


『逃げろセリア!』


 息は上がり足も疲れ、これ以上走れなくなった少女──セリアは、きょろきょろとあたりを見回して、大きめの茂みに身を隠して縮こまった。腕や足は傷だらけになっていた。


(オスカーお兄ちゃん……!)


 乱れた呼吸で気付かれないよう必死に息を整えながら、自分を突き飛ばして逃してくれた、同じ教会で暮らす年長の兄を思い出す。あのあとどうなってしまったのか。彼女には何もわからなかった。

 ふと、握りしめていた花に気づく。それは萎れ、花びらはぼろぼろと崩れ落ち、ぐしゃぐしゃになってしまっていた。


『森? ダメだ、危ない。それに言いつけ忘れたか?』

『でもアンナお姉ちゃんに……』

『あー……もう、泣くなよ……』

『…………うぅっ』

『わかったって……ついていってやるから』

『ほんと!? アンナお姉ちゃんには内緒にしてね!』


 あんなことを自分が言い出さなければ。ムリを言わなかったら。

 昼前の会話を思い出して、幼いながらも強く後悔する。


 そうして涙を流して小さくなっていたセリアの耳に、がさっと草をかき分ける音が飛び込んできた。びくっと身を跳ねさせるも、泣き声を上げてしまいそうになる口に手を当てて、懸命に気配を殺す。


(女神様……!)


 大丈夫。今朝もお祈りに付き合った。今日も無事にいられますようにって。

 向こうがいなくなったらこそっと出て、森を抜ける。方角はもうわからないけれど、走っていればそのうちなんとかなる。

 教会についたら、司祭様と姉に知らせる。そうしたらきっとなんとかしてくれる。


 目を強く閉じて、自分を追いかけて来たであろう音の持ち主が通り過ぎるのを、彼女はじっと待った。

 靴音が、近づいてくる。


「へへっ、こんな所にいたのかよ」

「あっ……!」


 見上げると、にやにやと笑いを浮かべるフードをかぶった男の姿があった。


「ったく。手間かけさせやがって──ちっ」


 セリアが手元にあった石を投げつけ、また走り出す。石は簡単に弾かれた。


「おーう、逃げろ逃げろ」


 横柄な声には愉悦が含まれていた。逃げられるわけがない、そんな弱者を追い詰める楽しみを込めて。

 男は魔法を唱え始める。光が集まり、矢の形になったそれは、逃げる彼女にめがけて放たれた。

 狙いは、あえて外す。


「あっ!」


 矢はセリアの肩近くをかすめた。そのまま前方にある木にぶつかり、穴を穿って消失する。浅い切り傷は致命傷ではなかったが、痛みと衝撃で彼女は無様に転んだ。


「ううぅっ……」


 ずきずきする肩と転んだ痛みで涙が溢れるが、それでも立ち上がってまた走ろうとする。

 そこに、二度、三度と同じように魔法の矢が襲った。


「ゔあぁ!」


 腕、足、太ももと狙われ、セリアが悲鳴を上げる。すでに立つことはできなくなっていた。


「ひひ、ここまでにしておくかぁ……怒られちまうしな」

「う、あぐ……」


 うめき声しか出なくなったセリアに、男が今度こそ狙いを定めて魔法を唱え始める。


「恨むなら俺じゃなくて雇ったやつに言えよなぁ──あ?」


 魔法が発動する直前、その矢はかき消えるように霧散した。男が特別何かしたような感じではない。首を捻っている。


「なんだぁ──ああぉあっ!?」


 次の瞬間。

 猛烈な緑色の暴風が辺りごと男を飲み込み、吹き飛ばして、男の身体を木に打ち付けた。

 先ほどまでのちんけな矢とは違う、圧倒的なまでの力。セリアは魔力を持たなかったが、それでも男が使っていたものとは何もかもが違うことを、ぼんやりとした頭で理解した。


「ぐごえっ!」


 男が潰れた声を上げて、ずるずると木にもたれかかるように倒れた。気を失ったようだ。


 傷の痛みも忘れて呆然とそれを見つめたあと、顔を上げたセリアが見たのは、空からふわりと舞い降りてきた、それはそれは綺麗な女性だった。神々しいと言ってもいい。だがなぜか、その姿は修道女の服を召していた。

 そんな神気とも言える雰囲気を放つ女性は、倒れるセリアに駆けつけ、小さく呟いたと思ったら、少女の身が優しげな光に包まれた。

 逃げている時に作った、男から攻撃された分も含めて、あっという間に傷が癒えていく。疲れと痛みはすでに治まっていた。


「女神、さま……?」


 あんぐりとして呟いた彼女の声に、女神と思しき女性は柔らかく微笑んだ。

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