第4話





 ライネリカの一言に、フィーガスは悪びれもせずに笑みを深めた。


「そりゃそうさ、僕は神の子だ。侵入なんて可愛いものだろ。このまま君を攫って手篭めにして、気に入らないから打首なんて事をしないだけでも、お優しい部類だと僕は思うがな」


 物騒な言葉を平然と並び立てる彼は、やはり人外なのだろう。強がってみたが、彼女は今すぐにでも泣きそうだった。そしてあろうことかライネリカが勧める前に、彼はライネリカが座っていた椅子に腰を下ろし、彼女が使っていたカップを手に取って口をつける。

 これには流石に、彼女は真っ青な顔で素っ頓狂な声を上げた。


「ななななにをなさってますの! わたくしの飲みかけでしてよ、はしたない!」

「ヒトの尺度で考えるなよ。いいだろ、別に。君は僕の婚約者殿なんだ」

「よくありませんわッ! 節度というものがございましてよッ!?」


 バラに新しい紅茶を淹れ直すように命じ、しかしライネリカは困惑してその場に立ち尽くす。

 白馬が人の形になっただけでも驚きだが、婚約者と言えども異性がいきなり部屋に侵入してきて、彼女の脳内はパニック寸前であった。おまけに相手は神の国の王だという。ライネリカは王族だがまだ姫だ。気丈に振る舞ってはいるものの、おいそれと向かい側に腰を下ろせるほど、彼女の神経は図太くない。


「それにしても、君、強いな。君ほどの実力者が、この城にはあと何人いるんだ?」


 機械的な動作で紅茶の用意をするバラに、フィーガスが気さくに声をかけた。しかしバラは一言も返さず、軽く頭を下げる。それに気分を害した様子もなく、彼は礼を述べてから新たなカップに口をつけた。


「……レディ。そんなところに突っ立ってないで、こちらに来たらいい」

「………………失礼いたしますわ」


 一応の許可が出たことにほっとし、ライネリカはようやく足を動かす。少し距離を取りながら腰を下ろすと、緊張で強張った身体をそのまま、膝の上で両手を握り締めた。


「……オージオテラサス弟王殿下、発言の許可を」

「フィーガスがいい。長い名で好きじゃなくてな」

「………………フィーガス弟王閣下。淑女の部屋に手順も踏まずにいらっしゃるほど、どのような火急の用件がございますのでしょう」


 視線をテーブルに向けたままの彼女に、彼は片方の眉を器用に上げて一瞥を寄越す。そしてカップを静かにソーサーに戻し、席を立った。

 俯くライネリカの視界へ入るように、彼は床に膝をつく。王族としてそんな簡単に膝をつくなど、と思わなくもなかったが、その思考回路は彼に両手を掴まれたことで、木っ端微塵に弾け飛んだ。

 震え上がる彼女の目下で、フィーガスが口角を緩ませる。あまりにも整った容姿は、逆に恐怖心を煽るのだと、ライネリカは初めて身に染みた瞬間だった。

 長身の彼は膝をついても、小柄なライネリカにとっては大男だ。下から彼女を覗き込む双眸は愉快げで、なにがそんなに楽しいのか、皆目見当もつかない。

 吐息すら触れそうなほど、彼は彼女と額を合わせる。そして何かを知らしめるように、あくまで優しくライネリカの手の甲を撫でた。


「……愛しの婚約者のところを訪ねる理由なんて、そんな野暮なこと、聞くか?」


 限界だった。

 ライネリカは金切り声を上げ、両手を振りかぶって椅子を蹴り立ち上がり、臨戦態勢になりかけたバラの胸に飛び込んだ。ぼろぼろと涙を零して泣きじゃくる少女に、侍女長も普段はほぼ動かない表情筋を困惑に染めて、両腕に彼女を抱きかかえる。

 呆気に取られたフィーガスが背後で何かを呟いたが、ライネリカの耳に入ることはない。

 怖い、恐ろしい、気持ち悪い、助けてほしい。心に浮かんだ言葉をそのまま喚き散らす。王族であり、淑女にあるまじき振る舞いだが、もうライネリカの幼気な心は限界だった。

 ただでさえ突然、大国に一人で呼びつけられて心細かった中、翼の生えた白馬なんていう訳もわからない婚約者を紹介されて、挙げ句の果てに部屋まで押しかけられて、これで対応を間違えて失礼な態度だ打首だなんて言われたら、その方がマシだと思うほどだった。


「いやだ、やだ、もうやだ、やだよ、怖いよ、助けて……ッ」


 強く自身を抱きしめるバラの腕の中で、彼女はか細い声で髪を振り乱す。フィーガスは目を見開いた後に表情を歪め、指を鳴らした瞬間、ライネリカの身体は宙に投げ出された。

 突然の事態に悲鳴を上げる少女を、フィーガスがしっかりと抱き止める。


「きゃぁッ」

「悪いが、君、少しの間、主君を借りる。部屋から出ていてくれ」


 再度指を鳴らす音がしたかと思えば、バラの姿が掻き消え、辺りが鎮まりかえる。意図せぬ事態で表情を歪ませたまま硬直する彼女に、彼は長く息を吐き出して横向きに抱え直した。


「……悪かった、レディ。悪戯が過ぎた」

「っ、っ……っ」

「君があんまり可愛くて可憐だから、意地悪をしたくなった。……って言っても、気持ち悪いだけか。……降ろすぞ、レディ」


 彼は半分独り言混じりに呟いて、ライネリカを椅子に降ろす。不快な体温が離れて人心地つく彼女に対し、彼は指を鳴らして乱れた髪やドレスを整え、最後に青い花のコサージュを、手を触れずに短い髪に編み込んだ。

 呆然とするライネリカに、彼は満足げに目尻を下げると、片手で口元を覆いつつ微笑む。


「……怖がらせた非礼は詫びる。少し君の周囲を確認したかった意図もあったが、君がボロ泣きするとは想定外だった。まぁ、泣いた顔も可愛いが」


 くつくつと喉の奥で笑う姿に、ライネリカの心情は恐怖を通り越し始めていた。一度泣いたおかげで、冷静になれたのかもしれない。彼女は愉快げな目の前の男を見上げ、徐々に花の顔を怪訝に変えながら眉を吊り上げた。

 どうやら自分の婚約者は、変態らしい。




 


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