第18話 ほとんど他人、でも母子

 着替えをさせられ、メイクをされる。その間に、監督から泣きの入りそうな勢いで説明がなされる。

 ミュージカル仕立てのこのドラマのワンシーンで、ただ俺はバイオリンを弾いていればいいらしい。そのまわりで主演の母と相手役の俳優が踊るそうだ。

 よくインドの映画でいきなり歌い踊るシーンがあるが、そういうものだろうか。

 そもそも地味な俺としては、ミュージカルなんてものが理解できない。まあ、そういう演劇だから現実とかけはなれているのはわかるが、あまりにも離れすぎて、やれと言われても、たかが学芸会でも恥ずかしくて無理だ。あれをやれる人は凄いと思う。

 俺はひらひらした赤いブラウスと黒いスラックスという服装で、髪の毛をこれでもかといじられ、ふわりとさせられた。自分では絶対にできない。顔も化粧され……じっくり確認する暇も興味もない。

「こう、周りを回ったりするけど気にしないで、ただただ弾いててくれればいいから。

 ああ、助かった。これも運命だね。流石親子だよ」

「たまたま遠足で来てただけです」

 そして逃げられなかっただけです。俺は監督にそう心の中で言った。

 母は支度をし、調弦をする俺を温度のない目で眺めていた。

 俺と春弥の物心が付いた頃には母はいなくて、長い間母というものは死んだのだと思っていた──流石に遥さんが産んだのだとは思わなかった。それがたまたまテレビで母の再婚を扱う番組を見て、母が親父と短い結婚生活を送ったこと、双子の息子がいてそれは親父が育てていることを知り、どう考えてもそれは自分と春弥のことではないかと親父に訊けば、

「知らなかったのか」

とあっさりと言われたのだ。

 その後、一度だけ母を偶然親父の授賞式で遠目に見たが、父と目が合っても会話するそぶりも全くなく、よほど憎み合って別れたのかと想像したものだ。

 しかし、お互いの利益のために結婚し、人工授精で子供を産んで別れたと聞かされ、俺も春弥も、言葉もなかった。

 ただ、親父が俺たちをかわいがって育ててくれたことはわかっているので、母親はいないもの、遥さんだと思ってこれまで来たのである。

 指慣らしをしているのを母は見ていたが、ぽつりと言った。

「私の子にしては華がなくて地味ね」

 弓が危うく滑りそうになった。

「春弥の方が華はありますよ」

「でも、蒔島だって華がある顔だわ」

「……何ででしょうね」

 緊張するのがばからしくなった。

「やめたのかと思ってたわ」

「え?」

「行くわよ」

 母はそれきり背を向け、俺は言われたとおりの位置でバイオリンを構えた。

 合図を待って弾き始める。曲は『カルメン変奏曲』。ねちっこく情熱的に、ダイナミックかつ繊細に。その周囲で母と俳優が、情熱的に見つめ合って周り、母が誘うように逃げて俳優がそれを追い、ぐるぐると俺の周りを回り──その時にはちょっと目で追いそうになった──、母が俺の肩に手を置いて踊り出し──た時は、音程が狂いそうになるから触るなとヒヤヒヤした──、前に進み出ると情熱的に2人で踊ってフィニッシュになった。

 これはどういう話なんだろう。これが現実社会であったら、俺はやっぱり耐えられそうにない。外出できる気がしない。

 そう思いながら視界の隅でそれを見ていた。

「はい、OKです。次、本番行きます!」

 またもう1回あれに耐えないといけないのか!?

 愕然としながらも、俺はバイオリンを構え直した。


 1回でOKになり、俺は解放されることになった。やれやれ。

 着替えて化粧を落とされながら、来た母を横目でこっそりと見た。

 年齢は見当が付きにくく、スタイルもよく、とても高校生になる子供を2人産んだ人には見えない。それに、大女優としての圧倒的なオーラのようなものがあった。

 そうか。俺にはこれがないのか。

 母は俺が元の服装とすっぴんに戻り、メイク係が離れると、無表情に言った。

「助かったわ」

「何で知ってたんですか」

「蒔島に仕事で会った時に聴かされたのよ。上手だと思ったわ。確かに地味な顔だと思ったけど」

 あっ、そう。

「たまたま知るまで、俺も春弥も母親は死んだのだとばかり思ってました」

「あら、聞いてなかったの」

 ケロリとしたものだ。

「あの頃、母親の役が来てたんだけど、どうしても母親というものが私にはわからなかった。でもその役はどうしてもやりたかった。そんな時蒔島に会って、向こうは子供が欲しいけどずっと結婚を続ける気はないって聞いたの。

 チャンスだと思ったわ。それで、一応結婚はして人工授精で子供を産んで、母乳がいらなくなった頃にちょうどクランクインになったから、別れたの。

 感謝してるわ。蒔島にも、あなたたちにも」

 それで思い出した。その映画は海外でも高く評価され、アカデミー主演女優賞をとっていた。

 もっと何か感じるものかと思ってたのに、大して何も思わず、感動も実感も何もない。有名な女優さんだなあというだけだ。

「そうですか。

 じゃあ」

 俺は目を輝かせる班の皆に合流しながら、さて何て言おうと、そっちの方が気がかりだった。






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