第2話 悪役、の専属メイド


 ◇


 

 とある貴族領である噂がまことしやかに囁かれていた。


 自分の思い通りに物事が進まないと周りや他人のせいにし、暴君の如く癇癪を起こす人物がいると。

 家柄、血筋、血統全てにおいて素晴らしい自分こそがこの世で最も偉大だと思っている――勘違い乙のがいる、と。


 その人物は何よりも――



「――如きが、ぼくに近寄るな!!」



 ――がどうしようもなく嫌いだった。



 本邸の建物内からいつものようにの罵声が聞こえてくる。

 罵声は建物の外まで到達し、窓から見える木々に止まって休憩をしていた小鳥達がその声に驚き慌てて飛び去るほどだ。


「も、申し訳ありません――!!」


 罵声が聞こえてきた建物内の一部屋。

 その一部屋にてメイド服に身を包む女性は赤く豪華な椅子にふんぞりかえる屋敷内で今話題の人物、金子豚……もといアース公爵家次男フィリップ・アースに全霊を込めて土下座を行使していた。


「ふんっ」


 フィリップは目の前で自身に向けて土下座を行うメイドを見下ろし鼻を鳴らす。その時にでっぷりと太った体を震わせながら。


「――ッ」


 女性はフィリップの態度に背筋を強張らせて、頭を上げることができずに震えていた。

 その女性は肩まで伸ばした手入れが行き届いていない燻んだ灰色の髪に紺色と白色の小綺麗なメイド服というアンバランスな格好に身を包むアース公爵家お抱えの――


 奴隷メイドに唯一、目がいく箇所は首に嵌め込まれている鉄製の首輪と閉じられた両瞳。


 アース公爵家は元々奴隷をメイド・執事使用人として扱う風習がある。ただそれは他所の貴族としても同じく、奴隷を買っていたぶる、また卑劣な行為を行うためでは決してない。

 一人でも多くの奴隷を助け、解放するための優しさからだ。多少なりに自分達に順従に従う人材が欲しい、という思惑はあるかもしれないが善意からくるものが大半を占める。


「亜人の奴隷如きが、一端に人間様の衣服を着て人語をしゃべるとは……ただただ不快だ」


 このフィリップ・アースという少年を除いては。


「そ、その――」

「あぁ、いい。口を開くな。耳が腐る」

「――」


 メイドはフィリップ主人の発言に反応を見せるが、自分が逆らっていい相手ではないことを理解しているため決して顔を上げず、黙り込むしかない。


「――ハァ、もういい。出ていけ。お前の存在自体が目障りだ。ぼくをこれ以上不快な気持ちにするな」

「――!」


 フィリップ主人の言葉を聞いたメイドは反射的に立ち上がると声を出さずに一礼をし、部屋を後にする。

 自分が「仕事」という名の「お世話」をしにきたことを忘れて。


「――どうして父上はあのような奴隷をぼくの側使いにつけるのか、理解に苦しむ」


 確実に奴隷メイドが自分の視界から消えたことを確認したフィリップは椅子から立ち上がる。近くの窓辺に近づき、汚染された部屋の空気を入れ替えるべく開け放つ。


「ぼくが兄様と姉様を出し抜きアース公爵家の跡取りになれば丸く収まる話だ。ぼくの手で古臭い風習を消してやるよ」

 

 齢10歳の少年は窓から見えるを眺めてほくそ笑む。


 フィリップ・アースという男は両親や王族という自分よりも階級立場が上の人物を慕い。自分よりも下の階級立場の人物達を一纏めに下に見る。

 嫌われ者、悪者――という名が最も相応しい忌み嫌われる悪役貴族の代表的な思想の持ち主だった。


 これが本来あるべく姿のフィリップ・アース。


 だが、それがもし中身が違う人物だったら? IFの世界線があったのなら?



 ◇◇◇



 一、二年前アース公爵領である噂で持ちきりだった。それはアース公爵家の次男坊フィリップ・アースに対してだ。


 一歳もいかぬ幼児が親の名前を口にし、言葉を覚え、二歳になる前に一人で歩けるようになった。

 二歳になり読み書きをマスター。それも子供ながら大人顔負けの知識と落ち着きさを持ち合わせている。

 自分には常に厳しく、しかし家族や周りへの気配りが既に出来、手のかからない子供、と。


 年齢からして普通の子供としてもましてや貴族の子供としても到底信じられない状況、その行動から周りは初めフィリップを"異端の子"と呼び恐怖を覚えた。

 ただそれは直ぐに解消される。周りから気味がられようが、怖がられようが、避けられようがフィリップは自分から歩み寄った。

 天性からの人の良さからかフィリップと対面した人々はその素朴な内面の優しさを知り、また触れ。そして信頼を勝ち取り齢三歳にして家族や使用人、アース公爵領の領民から可愛がられ、慕われるようになっていた。


 そんなフィリップのことをいつしかみな「神童」などと称して呼ぶようになっていた。



 ◇◇◇

 


 子供用の赤い椅子に腰掛ける小綺麗に揃えられた茶髪に碧眼に端正な顔付きの幼児……すくすくと成長し三歳となったフィリップはそこに居た。

 転生してから丸三年の月日が流れたある昼下がり。行動の自由を与えられたフィリップは訓練所自室でいつものように訓練遊びに勤しもうと思っていた……が今回はどうやら外敵がいるようだ。


「フィー。お父さんのお仕事も終わったから遊ぼうか! 何をしようか? 外で冒険ごっこかな? それとも家の中で絵本?」


 外敵――自分の父上ことデュークに絡まれていた。


「……父様」

「あぁ! フィーの大好きな父様さ!!」


 今フィリップに笑顔を見せている男性はフィリップの父親件アース公爵家の現当主デューク・アース。

 王族の生まれにして自分の権力を鼻に掛けない才色兼備となんでもこなせる超人。

 外見は茶髪に碧眼、スリムでもしっかりと筋肉のあるスタイルで白と黄色の装飾が施された貴族服を着こなす美丈夫。

 妻子を持っている今もそのカリスマ性は劣らず領民から慕われ、周りの女性からも黄色い声を上げられる。そんな超人は現在進行で自分の息子の前で他では見せられないようなデレデレとした顔をしているわけだが……。


「……はぁ」


 フィリップは父親に聞こえないように小さなため息を吐き、遊び道具にしようとしていた魔法書を机に置き椅子から立ち上がる。


「フィー! 遊ぶ気になってくれたか!! 何をしようか!!」


 フィリップが自分の言葉に反応してくれたことが嬉しかったのか満面の笑みでデュークは喜ぶ。もはやどちらが子供なのか分からない模様。


「――旦那様。フィリップ御坊ちゃまとのお遊戯も宜しいですが、明後日に控える会談のセッテング及び相手側への招待状の準備もまだ終わっていませんが?」

「……グリノア、聞いてくれ」


 デュークの真後から突然の声。デュークはその声の人物が誰なのか分かっているようで振り向きもせずに問い掛ける。


「はい」


 グリノアと呼ばれた"少女"は感情が乏しい声を上げる。

 少女メイドの格好は従来のメイド服に身を包み、灰色がかった薄い青色の髪、枡花色ますはないろのポニーテールにしている髪に同色の猫……豹耳を備え付けた美少女。

 フィリップもグリノアと呼ばれた少女の姿を認識したようで顔を向ける。その時折動く白い豹耳が目に入る。


「何事にも優先順位という物が存在する。そして僕の優先順位は勿論フィーとの触れ合いが。立て続けの仕事でフィーとまともに遊べなかった。だから――」

「旦那様。優先順位はわかります。ですがお仕事を疎かにするそのお姿を見たフィリップ御坊ちゃまが、どう思うでしょうか?」

「!!」


 デュークはグリノアのその言葉を聞き言葉の意味を理解する。「情けない姿を見せたら最愛の息子に幻滅されてしまう」と。


「……あはは」

 

 そしてフィリップの顔を見る。その顔は苦笑いを作っていた。いや、違う。


「……」

「お分かりですね。旦那様がお仕事をしっかりと遂行すれば必ずフィリップ御坊ちゃまもを見て尊敬の眼差しを向けるでしょう」 

「わ、わかった。なら僕はフィーのカッコいい父様になるために今直ぐに仕事をしっかりと終わらそう」


 デュークの内面を悟ったように話すグリノア。

 その言葉を聞き素直に頷くデュークはフィリップに向けて申し訳なさそうな顔を作る。


「フィー、すまない。またお父さんと時間を作って遊ぼう」

「あ、うん。父様もお仕事、頑張って」

「ああ、頑張るよ!!」


 フィリップに応援され背中を押されたデュークはどんよりとしていた表情も一変。自分の部屋に戻り仕事を終わらすためにウキウキと部屋を後にする。


「……」

「……」


 後に残されたフィリップは実の父親デュークの変わりように言葉が出ず、立ち竦んでしまう。


「……」


 その間グリノアは無表情の鉄仮面を崩すことなく――フィリップの真後に無言で立つ。

 その姿はさながら主の背後に控える従者そのもの。


「えっと、?」

「……私のことは気にせず、どうぞフィリップ御坊ちゃまの御心のままに」

「……」


 俺はどう返事を返したらいいか分からず、背後に立つ少女の名を親しげに呼ぶとその姿をチラッと一瞥する。

 美しい顔立ち、そして獣人として魅力的なモフモフな獣耳、その全てを超越するかのような澄んだ翡翠の瞳に引き込まれそうになる。


 ただ、


 そう思うことにした。


「ノア、ありがとう」

「……いえ、これもお仕事ですので」


 俺の言葉にノアは簡素に返す。


 グリノアの行動理由を分かっている。自分の訓練遊びのためにグリノアが行動を起こしてくれたことを。

 そして椅子に座り直し魔法書を開いた時に見た。グリノアの白い豹耳がピクピクと小刻みに動いていることを。


 だと。


 出会ってもう約二年になる自分の専属メイド相棒をまた一瞬見て、これまでのことを思い返す。


 この少女が自分のとなりえる人物だとも頭の片隅で思いながら。



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