ごった煮、同舟

Joi

異世界レビューRADIO 第1回(オールエリアフリー)

 駅前大型商業施設の8階に入っている地方ラジオ局『KITA-FM』の専用ブースで、俺は台本をくしゃりと握りしめる。


 透明なアクリル板を介して向かい合っている『異世界転生した元ニート』さんがビクリと肩を震わせた。


 「あの……ボク何かしましたか」


 「いえ、あなたは何もしてませんよ。何も」


 「なんかすいません……」


 『異世界転生した元ニート』さんはボサボサの髪をちまちまといじりながら肩を縮こませる。無精髭だらけの顎と色あせたパーカーを見て、俺は目を細めた。


 ブースの外の録音スタジオから、ディレクターのマッちゃんがハスキーな声を上げる。


 『はい、本番準備ー。カウント10、9……』


 俺は台本をテーブルに置き、頬を両手でペチンと叩く。生放送に入る前のルーティンだ。


 『3、2、1……』


 ブース内にリアルタイムで流れているラジオが、23時の時報を告げる。直後に番組のオープニングサウンドが予定通りに流れ、俺はそっと息を吸い込んだ。


 「10月1日、土曜日。時刻は23時を回りました。お聴きの放送局はKITA-FMです。こんばんは、若松太市です。今日からこの時間は、『異世界レビューRADIO』を23時から23時30分まで、中倉駅前第一門司ビル8階のKITA-FMラジオブースから生放送でお送りします」


 普段は月曜日から木曜日の午後、トークラジオでナビゲーターを務めている。土曜日の23時から生放送なんて地獄だ。仕事をいただけるのは大変嬉しいけれど、正直こんな需要の分からない謎番組は潰したい。


 「異世界レビューRADIOでは、番組プロデューサーの知り合いの異世界人さんたちをゲストにお迎えし、皆さんのお悩みやら今後の抱負やら異世界のトレンドやらを聞き出して、僕が一刀両断したりアドバイスしたり諭したりします。……リスナーさん、聴くの止めないで!僕も自分で言っててこの番組の需要が分からないんだけど、目の前のゲストさんはたぶん本物だから!」


 マッちゃんのツッコミがイヤホン越しに届く。俺がこれに打ち返して、自然と進行を繋げていける。


 『たぶんって。プロデューサーが連れてきたんでしょ』


 「そうそう、うちのプロデューサーさんの知り合いなんですよ。プロデューサーさん何者だよ!って感じなんですけどね。なんか次もその次もゲストさん用意してくれてるらしいですよ。誰だっけ?ドワーフ?ハーピー?吸血鬼?……自分で言っててホント大丈夫かなってなりますけど、早速記念すべき第1回のゲストをお呼びしたいと思います」


 俺は正面の『異世界転生した元ニート』さんに視線を移す。彼の前髪は脂ぎった汗で額にべったりくっついていた。


 「本日のゲストは『異世界転生した元ニート』さんです!」


 「こ、こここ、こんばんは。異世界転生した、元ニートです」


 恐らく、俺よりも年上の30代前半といったところだろう。緊張で裏返った声に、思わずマッちゃんを見る。録音スタジオの彼女は険しい表情ながらグーサインを出した。


 「プロデューサーさんからも『異世界転生した元ニート』としか教えてもらえないんだけど、名前長くない?もし良かったら異世界での名前でお呼びしても良いです?」


 もちろん台本通りだ。俺が正面の元ニートを見やると、彼のテンションが切り替わった。


 「じゃあボクのことを『カムイ』と呼んでいただきたい」


 「か、カムイ?それはどういう」


 「ボクが異世界転生して勇者として名乗ったときの名前です。一応ボク、向こうの世界では4人の妻と結婚してレベルオーバーのドラゴンを倒した勇者でして。あ、でもカムイって名前は好きな漫画から取っただけで全然細かい設定はないんですけどねハハハ」


 「急にめっちゃ喋るじゃん!でもこっちの方がやりやすいんで、よろしくお願いしますねカムイさん」


 「カムイさん、じゃなくてカムイ様かな。一応、ドラゴンが狙ったジョーノ城の姫も救って、姫の両親からも将来を見据えた関係を築いてるくらいなんだよねボク。ほら、エメラルドグリーンの指輪見て下さい。姫とお揃いなんです」


 「はっはっは、冗談きついなあ」


 「いや、冗談なんかじゃ……」


 俺はテーブルの下からカムイの足を思いきり踏んだ。「ひぃんっ」と気持ち悪い鳴き声を出したカムイを睨みつけると、彼は元の恐縮した態度に戻った。


 「は、はい……カ、カムイさんで結構です」


 「カムイさんが常識人で良かったです!ここ、現実ですからね!ではカムイさんをお迎えして、本日の異世界レビューRADIOもレッツゴー!」


 CMに入り、俺はテーブルのミネラルウォーターを一口飲む。キャップを閉めてテーブルに置き直すと、カムイさんが再び肩をビクつかせた。思わず溜め息を吐く。


 「俺のこと怖いですか?」


 「いや、あの、すいません。全然、はい。全然です」


 「異世界の話ばかりするんで、肩の力抜いてさっきみたいに喋って下さい。調子に乗ってんなーって思ったらフォローしますから安心して下さい」


 「気を、つけます」


 「ええ、ぜひ気をつけて下さい」


 再び番組のサウンドが流れ始め、俺は台本に視線を落とす。


 「若松太市がお送りしています、異世界レビューRADIO。記念すべき第1回は『異世界転生した元ニート』ことカムイさんをお迎えしています。カムイさん、よろしくお願いします」


 「はい、よろしく」


 カムイと呼ばれた瞬間、元ニートが澄ました顔で答える。調子乗るの早過ぎだろ。


 「番組では異世界人のお悩みやらトレンドやらをお聞きするんですが、カムイさんから僕に話したいことは何でしょうか?」


 「ズバリ、モテすぎて困っているのが目下の悩みです」


 脛を蹴ろうか迷ったが、我慢した。俺は台本を睨みつけながら言葉を無理やりこしらえる。


 「なるほど、モテているんですか。それは先ほどお話にあった4人の奥さんとお姫様のこと?」


 「ええ。異世界では職業勇者として、クエストにクリアして手に入れた武器や購入した装備で新たなミッションをクリアして、冒険の最中に女性とも出会えました。しかし、いかんせん出会ってしまう!なるべく城下町の広場や村の中心部は避けるのですが、噂とは怖いもので。どこに行っても女性に囲まれてしまうのですよ」


 「なるほどなるほど、囲まれてしまうんですか」


 おい、第1回から放送事故じゃないのか。俺は内心で冷や汗をかいていた。こんなクソみたいなお悩み相談を聴かされて、何が楽しいんだ。リスナーの引きつり顔が目に浮かぶ。

 マッちゃんの低い声がイヤホンから聞こえる。


 『仕事なのに無精髭も剃ってこない奴がモテるわけないじゃん』


 全くもってその通りだった。


 俺が黙っているのを良いことに、カムイはその後もベラベラと話し続けた。その半分以上を聞いていなかったが、悩みに対する回答は端から決まっていた。


 「カムイさんのお悩みは分かりました。現実世界に住む僕は、カムイさんのお悩みに対して、こうお答えしましょう」


 カムイが「答えられるなら答えてみろ」というような自信たっぷりな顔でふんぞり返っている。俺はカムイの目を見て、優しい声音を努めた。


 「現実を見ましょう」


 「……え?」


 「異世界転生が仮に本当だとして、現実の貴方に還元できるものはありますか?履歴書に書けますか?友達に言えますか?貴方が異世界転生している間にも、周りは現実を生きているんです。元ニートと最初お伝えしましたが、今もニートでしょう」


 「な、悩みの解決になってないんじゃ」


 「じゃあ言い方を変えます。異世界を卒業すればモテすぎる悩みから解放されます。貴方の悩みは悩みにすら到達していませんから」


 絶句するカムイに打って変わって、俺の口が止まらなくなっていく。


 「だいたい僕、異世界ものって大嫌いなんです。平日午後のトーク番組を聴いて下さっているリスナーさんはご存じかもしれませんが、僕は元々ライト文芸の作家志望だったんです。でも、異世界ものを書けばだいたいウケる近年の風潮が気に入らなくて諦めました。異世界転生したら最強だったりイケメンだったり基礎能力がチートだったり、意味分からねえよ。物事がトントン進むほど、現実も物語も甘くねぇよ。転生前まで冴えない中年だった奴に美人がホイホイ声をかけてくるわけねぇから。でも読み手と書き手の需給が一致しているうちは本も売れるから、ライト文芸は異世界ものを推しまくってる。みんな、よっぽど現実に飢えてるんだろうけど、だからこそ現実見ろよって言いたい。間違っても良いから一歩踏み出してみろよ。今さら間違えたって失うもの何もないだろ?何もしないで理想に夢見てたら、目の前のニートみたいに情けない妄想野郎になっちまうぜ」


 気づけばエンディングのBGMが流れていた。俺はハッとなり、慌てて台本に目を通す。


 「……というわけで、あっという間に30分経ちまして『異世界レビューRADIO』第1回はお開きとなります!ゲストにきて下さいましたカムイさん、ありがとうございました!最後に一言、もらえますか?」


 カムイは赤い目からボロボロと涙を流し、しゃっくりを上げながら「ずみまぜん」と嗚咽を漏らしていた。完全な放送事故だった。これは俺もただじゃ済まないかもしれない。平日のトーク番組にも響きそうだ。


 尺はちょうど良かった。このまま最後を締めようとしたところで、カムイが唾を飛ばしながらコメントを放った。


 「ボク、この番組に出て良かったです!正直、鬼畜過ぎる言葉でお漏らししてるけど、もう逃げません!異世界の妻にはお別れして、今度こそ頑張ります!」


 俺は頭に手を当てて、溜め息を吐いた。


 「……カムイさん、熱意は嬉しいけど途中で番組終わってたよ」


 プロデューサーに怒られるのを覚悟して、俺はブースを後にした。お漏らしの処理は、本人に任せよう。

 現実に生きる大人なんだから、自分の処理くらい自分でしてもらわないと困る。


*****


 翌朝、ラジオ局の会議室に入った僕は、珍しく焦った様子のマッちゃんに肩を掴まれた。


 「ちょっと若松くん、ヤバいって」


 「何がヤバいんです?昨日の番組なら俺も怒られる覚悟で」


 「『異世界レビューRADIO』、ツイッターでバズってる」


 「は?」


 マッちゃんにツイッターのコメント欄を見せてもらうと、番組の感想が列挙されていた。


 『ナビゲーターさんが辛辣過ぎて怖かったけど、熱量は伝わった』『勇者さん乙。でも異世界ものって理想だから麻薬なんだよな』『俺も夢ばっかり見てないでクラスメイトの女の子にデート誘おう』『やらせじゃね、って思うけど素で笑った。面白いから来週も期待』『近年稀に見る強烈ラジオだった。BPOに引っかかるまで視聴は必須だな』『異世界嫌いなのにどうして異世界もののラジオパーソナリティやってんの?謎の矛盾でワロタ』


 地方のローカルラジオ番組でも、今はスマートフォンのアプリで課金すれば全国で視聴できる。ツイッターを見ている限り、他県のリスナーも多かったようだ。


 「俺、来週どんなテンションで出れば良いんですか?」


 マッちゃんは化粧で隠しきれていないクマの辺りに笑みを滲ませる。


 「面白いなら、それで良いんじゃない?」


 それもそうか。俺は俺の言いたいことを言わせてもらおう。


 でも、異世界ものはやっぱり嫌いだから、あんまり長寿番組になってもらうのも困るのだが。

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