第3話

 遊太も伊織もそばからいなくなった一希はため息をこぼす。

 正直なところゆっくり腰を下ろして休みたい。一希の頭は次々に起こる出来事のせいでパンク寸前だった。

 地面に座り込むのはさすがに憚れたため、近くの店先の柱に背を預ける。

 これがもし夢だったら、なんて店先に吊るされた赤い提灯を眺めながら考えていると背後から怒鳴り声が聞こえてきた。

 声の方へ振り向くとここは飲食店だったようで、店の中で白い服を着た図体のでかい男性とマントを羽織った虚弱そうな男性が言い争いになっていた。


「おい! どう言うことだ、これはよう!」

「ち、違うんだよ! 私もそんなつもりはなくてだね」

「うっせぇ!」


 ひゅ、と一希の眼前をそこそこ早い速度で大皿が通過した。図体のでかい男性が投げたようだ。


「あ、ぶね」


 もしもう少し前に立っていたら一希の顔面に直撃していたことだろう。

 あの速度で物がぶつかったとなるとただでは済まない。おそらく血が出るレベルの怪我をしていただろう。

 自身の不運が皿にギリギリ当たらない程度のもので良かったと胸を撫で下ろしていると、虚弱そうな男性が逃げるように店から出てきて一希の影に隠れた。


「おい、兄ちゃん。そいつをこっちに渡しな」

「えっ」


 未だ興奮冷めやらぬ男性は肩で息をしながら一希に詰め寄った。


「あの、俺関係ないんすけど」

「旦那! この坊やが言ったんだ! 私は坊やの言う通りに動いただけだ!」

「はっ⁉︎ なんの話ですか⁉︎」


 一希が面倒ごとに巻き込まれないように自分は関係ないですアピールをしようと、背後の男性は一希にしがみつきながらそう言った。

 当然のことながら意味がわからず一希は困惑して男性たちを交互に見た。


「おいおい、俺様を騙そうなんていい度胸じゃねえか」

「ちょっと、俺マジで関係ないですから!」


 必死で弁明する一希だが、男性にはその言葉は届かなかったようだ。一希に向かって今にも振り下ろさんとばかりに拳を上げている。


「ちょ、不運すぎる!」


 すんでのところで拳を躱し、腰に抱きつく男性を振り払って走り出す。振り返らなくとも背後にあの男性が追いかけてきている気配を感じていた。

 行き交う人々をかき分けながらただ走る。

 飛んできた皿に当たらずに済んだかと思えば、知らない人の喧嘩に巻き込まれてしまうとは思わなかった。

 自分より歩幅のでかい男性に追いつかれないように必死で走り、一希はわざと人の多いところに紛れ込んだ。

 しゃがみ込んで人を壁のようにして見つかりにくいようにしてから近くの店の中に隠れる。


「ちっ! あいつどこ行きやがった!」


 一希は男性のものと思われる雄叫びを聞きながら店の端でうずくまっていた。息を潜めて縮こまっていると次第に男性の声が遠ざかっていく。


「んん、変わったにーさんだにゃあ」

「あっ、すみません」


 男性の声が完全に聞こえなくなると一希はほっと胸を撫で下ろしたが、この店の店主らしき男性に声をかけられて慌てて顔を上げた。


「わっ」


 店主らしき着物を着た男性の頭からは猫のような耳が生えていて思わず動きが止まる。

 先程までの道にも同じように耳を生やした人はいたが、こんなに近くで見るとやはり気になってしまう。


「すごい、マジで猫耳だ……」

「な、なんだにゃあ」


 店主の耳は小刻みに動いており、カチューシャなどの作り物ではないことがわかる。

 まじまじと耳を見ていると店主は恥ずかしそうに耳を隠した。


「たまに変わってるって見てくる子はいるけど、そんなに見られると恥ずかしいもんだにゃあ」

「すみません、つい……」


 一希が素直に謝ると店主は耳を押さえていた手を下ろした。


「聞けば人間界にはわっしみたいな耳が生えた者はおらんそうだにゃあ。そんなに珍しいもんかねぇ」

「俺の周りには一人もいませんでしたね」

「ほーん、変わってるにゃあ」


 一希からすれば彼の存在の方が変わっていると思うのだが、それが普通な世界で過ごしてきた店主からするとたしかに一希たち人間の常識の方が変わっているのかもしれないな、と思う。


「わっしのことを珍しがるからにはにーさんも人間なんだろうけど、どうして一人なんだ? 散歩でもしてるのかにゃあ?」

「あ、いや……俺は自警団の本部に案内してもらってる最中だったんですけど、ちょっとトラブルに巻き込まれて」

「ほーん。自警団の本部はあっちにゃあ」


 店主の問いかけに答えると事情を察してくれたのか、店主は店を出て自警団本部の方向を指差して場所を教えてくれた。


「ありがとうございます!」

「べつにいいにゃあ。わっしはミケ。ここで菓子を売ってるしがない商人にゃあ。今度はお客さんとして来てくれたらそれでいいにゃあ」


 ミケは店先まで手を振って見送ってくれた。

 一希はミケに聞いた情報を頼りに自警団本部を目指すことにした。

 伊織に待つよう言われた場所すらどこにあるかわからなくなってしまったので、先に自警団本部に向かって事情を説明しようと思ったのだ。

 一人街を観察しながら歩く。

 最初に一希が悪鬼に襲われた灯りの少ない住宅街とは違い、街は煌びやかで活気を感じる。

 先程のミケの店以外もいろんな店が通りに立ち並んでいて、客も店員も賑わっているようだが、やはりその光景は元の世界とは違うものだった。

 ちらり、と時折肩をすれ違わせた者が一希の方を見るが、何事もなかったかのようにすれ違っていく。

 人間がいるのは珍しいが、べつに見かけたからといって気に留めるほどではないようだ。


「あれ、ほんとにこっちなのか?」


 ミケに言われた道をまっすぐ歩いてきたが、あるのは煌びやかな店だけで自警団本部らしき建物が見つからない。

 このまま前に進んでいれば街の明かりのない方に向かってしまうことになる。


「案外街の外にひっそりとあったりして……」


 そう思い、一歩街の外に踏み出した。

 灯りの溢れる街から少し外れると、先程までの賑わいが嘘のように辺りは静かになる。

 趣ある建物を横目に歩いていると前方から物音が聞こえた。


「うっわ、やべっ!」


 なんの音だろうと疑問に思うより早く、遊太が倒した悪鬼より幾分か図体の大きい鬼二体が姿を現し、一希に襲いかかった。

 とっさに逃げ出した一希だったが、悪鬼たちは一希の後ろをぴったりと付き添うように追いかけてきて離れない。

 土地勘のない一希はいとも簡単に行き止まりまで追い詰められた。


「またこの状態かよ!」


 背後は行き止まり、目の前には悪鬼二体。遊太と出会ったときと似た状況だが、どう考えても今回の方が絶望的だろう。鬼の図体が大きい上、二体に増えているのだから。


「また都合よく助けが来たりは……しないよな!」


 一希の顔よりもゆうに大きい鬼の手が頭上の空を切る。一希がタイミングを合わせてしゃがんだのだ。


「俺の不運が絶好調すぎ!」


 間髪入れず訪れるもう一体の鬼の攻撃を得意の瞬発力で躱す。


「とりあえず、死にたくねぇ!」


 巨体の鬼が二体。狭い空間ではお互いの存在が邪魔なのか動きが急に鈍くなる。その隙をついて一希は鬼の足元を滑り抜けた。

 急に一希の姿を見失った鬼はきょろきょろと視線を動かす。また見つかってしまう前に逃げようと立ち上がった一希の目の前に煙管を持った随分と派手な色の着物を着た男性が立っていて、驚いて一希の動きが止まる。


「邪魔したかの」

「あ、え?」


 狐らしき耳の生えた男性は一希を一瞥すると悪鬼に視線を向けた。

 周囲を見渡していた悪鬼が一希と男性の姿を捉える。途端、今度こそは逃さないというばかりの勢いで二人に襲いかかった。


「うわっ!」


 一希は反射的に顔を逸らして目を閉じる。しかし、いつまで経っても痛みが襲ってこない。


「大丈夫かの?」

「え、えっ?」


 声が聞こえ、目を開くと鬼と一希の間に男性が立っていて、眉ひとつ動かさずに先程と同じく一希のことをじっと見ていた。


「あ、すみません」


 目を閉じていたせいで状況が分からず目をぱちぱちとさせていると男性が手を差し出したので、慌てて一希は立ち上がった。

 手を引いてくれた男性の後ろには粒子のように小さくなっていく悪鬼が二体並んで倒れていた。

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