期待外れ聖女は追放同然に追いやられた北の辺境領で美貌の魔霊と恋をはぐくむ ~このたび『聖婚』により魔霊伯爵に嫁ぐことになりました~

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

1 期待外れ聖女は『聖婚』を命じられる



 秋の爽やかな陽射しが降りそそぐ大理石で造られた壮麗な白亜の神殿。


 聖都の中心である大神殿の隣には、光神ルキレウスの聖なる力をその身に宿す聖女や神官達が祈りの日々を過ごす宿舎が併設されている。


 塵ひとつなく掃き清められた廊下を、レニシャは大きな荷物を抱えて歩いていた。


「あら、期待外れの落ちこぼれよ」


 レニシャの姿を見つけた聖女のひとりが、くすくすと嘲笑を浮かべる。応じたのはもうひとりの聖女だ。


「聖女の力があると言っても、まったく発現できないものねぇ。あんな大荷物を抱えて……。ついに大神官様に見限られて、聖都を追い出されるのかしら?」


「やだぁ。大神官様はお優しいもの。違うわよ。でもそうねぇ。追放に近いわよね。これから辺境の魔霊伯爵に嫁がされるんでしょ?」


「いくら光神ルキレウス様の御力を知らしめるための『聖婚』とはいえ、伯爵位を持つといっても魔霊なんかに嫁がされるなんてねぇ……。まあ、聖女でありさえすればいいんだから、落ちこぼれにはうってつけじゃない?」


「ねぇ、知ってる? 昔、『聖婚』で嫁がされた聖女は、魔霊の妻でいることに耐えられなくって、気鬱きうつになった挙句、病死したらしいわよ? 失踪した聖女もいるんだとか……。恐ろしいわよねぇ」


「やだ怖い! でも、それって本当に病死や失踪だったのかしら。本当は魔霊に喰われてたり……」


「いくら光神ルキレウス様の御力の前に膝を屈したといっても、なんせ相手は魔霊だものねぇ。ああ、よかった。辺境なんかに追放される落ちこぼれじゃなくって」


 くすくす、くすくす、と聖女達の嘲弄がレニシャの耳に忍び込む。


 レニシャはきゅっと唇を引き結んで自制すると、一礼して足早に聖女達の前を通り過ぎた。


 つい先ほど、大神官様から成人となった祝いの言葉と、『聖婚』の命を受けたばかりだが、すぐに魔霊伯爵・ヴェルフレムが暮らす辺境領ラルスレードに出立することになっている。


 レニシャが『聖婚』の聖女として魔霊伯爵に嫁ぐことは何年も前に決まっていたので、すでに荷造りは済んでいる。


 のんびりしていては、一緒に辺境に赴く神官のスレイルに叱られてしまうだろう。聖女達の嘲笑を振り払うように、レニシャは荷物を抱えて足早に玄関へ向かう。


 宿舎の玄関を出ると、そこにはすでに神殿の紋章がついた馬車が停まり、扉の前に旅装姿のスレイルが立っていた。


「遅い! いつまで待たせる気だ!」


「す、すみませんっ! 着替えるのに手間取ってしまって……っ」


 なんせ、聖女の正装である装飾過多のドレスを着たのは、今日の成人の儀が初めてだったのだ。辺境領では自分ひとりで着替えなければいけないため、帯の結び方や装飾品をつける位置など、宿舎付きの侍女に教えてもらいながら着替えていたら、予想以上に時間がかかってしまった。


 御者に大きな布袋に入れた荷物を渡しながら詫びると、スレイルに「はぁぁっ」と特大の溜息をつかれた。


 今日、成人を迎えたばかりの十八歳のレニシャより、六歳年上だと聞いているが、冷徹な印象を与える切れ長の目のせいか、もっと年上にも見える。


 神官服に包まれた身体は痩せ型なものの、小柄なレニシャより頭ひとつ高いので、高圧的に睨まれるとつい反射的に身をすくめてしまう。


 『聖婚』の支度のために何度か打ち合わせをしたことがあるが、スレイルにとって、辺境行きの神官として選ばれたことは不本意極まりないらしく、顔を合わせるたびにイライラととげのある言葉ばかり投げつけられる。


 神殿にまつろわぬ魔霊の中には、人を害する者もいる。魔霊伯爵は神殿の傘下にあるはずだが、スレイルは「けがらわしい魔霊めが!」と侮蔑を隠そうともしない。よほど魔霊を嫌っているのだろう。


「まあ、来たのならよいでしょう。……もしや、『聖婚』を嫌がるあまり、逃げ出したかと思いましたよ」


「そんなことっ!」


 刺すような視線とともに投げられた言葉に、レニシャは即座にかぶりを振る。


「そんなこと、天地がひっくり返ってもありえませんっ! だって――」


 ぐっ! と両の拳を握りしめてスレイルを見上げる。


「私、『聖婚』で辺境領に行ける日を、首を長くして待っていたんですからっ!」


「…………は?」


 スレイルが虚をつかれたように目を見開く。


 他の人がどう思っているかなんて、どうだっていい。


 けれども、レニシャ自身は、辺境領のことを知って以来、ずっとずっと行ってみたいと願っていた。


 聖女と呼ばれながらろくに力も振るえぬ期待外れの落ちこぼれゆえに、魔霊伯爵の『聖婚』相手に選ばれたのなら、落ちこぼれであることに感謝したいとさえ、思っている。


 僻地へきちの寒村で、農家の長女として暮らして十二年。聖女の力を見出され、神殿に引き取られて六年。


 神殿で暮らすようになり、毎日が光神ルキレウスへの祈りや教義や礼儀作法、式典の作法などの講義で埋め尽くされるようになって以来、ずっとずっと願っていたのだ。


 ――畑仕事がしたい、と。


 故郷の貧しい農村では決して覚えられなかっただろう読み書き計算や、さまざまな知識を授けてもらえたことには、心から感謝している。


 けれど、レニシャは先祖代々、根っからの農民だ。神殿の片隅にある花壇の世話しかできなかったこの六年間、どれほど寂しかったことか。


「辺境領ラルスレードは、王国北端にもかかわらず、魔霊伯爵様の御力ですっごく農業が盛んなんだそうですねっ! しかも魔霊伯爵様の御屋敷には、何代か前の『聖婚』で赴かれた聖女様が造られた珍しい植物を集めた温室があるんだとか! いったいどんな植物が生えているんでしょう!? 見るのがとっても楽しみですっ!」


「あ、ああ……」


「お待たせして本当にすみませんでした! さぁっ! 早く行きましょうっ!」


 呆気に取られて固まるスレイルを促し、レニシャはいそいそと馬車へと乗り込む。


 『聖婚』の相手である魔霊伯爵ヴェルフレムがどんな人物なのか、不安ではないといえば嘘になる。


 けれど、神殿が下した『聖婚』の決定は、レニシャなどがどうあがこうとも、くつがえるものではない。それなら、これから始まる新生活に夢をせているほうが、よほど心の安寧につながる。


 心の奥で渦巻く不安には目を向けないようふたをして、レニシャは馬車の座席に腰かけた。


   ◆   ◆  ◆


「伯爵様。少し前に先ぶれがございました。聖都から来られた聖女様と神官様がまもなくご到着されるそうです」


「……ああ。先日、聖都から『聖婚』を知らせる手紙が来ていたが……。もう本人達が着くのか」


 家令の青年・ジェキンスの声に、執務机に向かっていたヴェルフレムは書類から顔も上げずに呟いた。


「お出迎えのためにお着替えをなさいますか?」


 気遣わしげに問われた言葉に、はんっ、と鼻を鳴らす。


「盛装して歓迎してやる必要などなかろう。聖女とて、望んで嫁いでくるわけではないのだからな」


 炎の精霊であるヴェルフレムが聖アレナシスによって北端の辺境領ラルスレードに封じられて早三百年。


 聖アレナシスがヴェルフレムに施した封印が解けぬようにという『聖婚』の名目のもと、代々、聖女と付き添いの神官が聖都から辺境領ラルスレードに遣わされている。


 だが、五年前、先代の聖女が突然失踪し、付き添いの神官も逃げるように聖都へ戻ったため、いままで『聖婚』の妻の座は空位になっていた。


 ヴェルフレムが自由になることを恐れる聖都の神官達の意図はわからなくはないものの。


「今度の聖女はまだ成人を迎えたばかりだろう? どんな甘言で言いくるめたのかは知らんが……。どうせ泣き暮らすかに違いないんだ。わざわざ出迎えて怯えさせる必要はあるまい」


 嫌悪を隠そうともしないヴェルフレムの言葉に、ジェキンスが困ったように眉を寄せる。ジェキンスにとっても、失踪した先代の聖女のことは、心に刺さったとげなのだろう。


「ですが……。聖女様も神官様も、一日も早くラルスレード領へ来られようと急がれているご様子。すでに夕食の時刻は過ぎておりますが、今夜からお屋敷に滞在されたいと……。お部屋の支度を整えるよう、侍女達に指示を出しております」


 ジェキンスの言葉に、ヴェルフレムは窓の外を見やる。いつの間にこんな時間になっていたのか。執務をしている間に、すっかり陽が沈んでおり、窓の外には深い闇が淀んでいた。


「……気に食わんな」


「はい?」


 ヴェルフレムの低い呟きに、ジェキンスが首をかしげる。


「夜は光神ルキレウスの力が及ばぬ時間だ。翌朝を待たず、わざわざそんな時間に我が屋敷を尋ねてくるとは、俺を侮っているか、はたまた、聖女が不在の五年の間に、どれほど封印が解けているのか確かめたいのか……。真意がどちらにあるかは知らんが、はなからこちらを試そうという態度は、気に食わん」


 不機嫌を隠そうともせず、ヴェルフレムは言葉を紡ぐ。


「あいつが死んで長い時が過ぎ、『聖婚』の当初の目的が形骸化けいがいかして久しいのは承知しているが……。神殿に見下されてまで、おとなしく歓迎してやる気にはなれん」


 聖アレナシスが、死の間際に勝手に定めた『聖婚』のしきたり。


 だが、その真意を知る者は、数百年の時を生きるヴェルフレムを除いて、ひとりも残っていない。いまさら、ヴェルフレムが真実を告げようと、神殿が受け入れるわけがないと理解している。


 だからこそ、神殿にあてがわれる聖女を毎回、受け入れてきたが……。


「では、お出迎えはわたくしが代わりに……」


「いや」

 ヴェルフレムはペンを置き、かぶりを振って立ち上がる。


「着替えて俺が出迎えよう。聖都から、何日もかけてはるばる来たのだ。ここはやはり、丁重に出迎えてやらねばな?」


「……ど、どうぞ、お手柔らかにお願いいたしますね……?」


 この屋敷で生まれ育ったジェキンスは、ヴェルフレムの意を覆すことは不可能だと悟っているのだろう。


 乾いた笑いを浮かべながら、それでも忠告を発したジェキンスに、ヴェルフレムは返事の代わりにはん、と鼻を鳴らした。


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