第二十八話 時の狭間
どこにも光源らしきものが見当たらないのに、周囲の風景が見えている。不思議な感覚だ。
俺は立ち上がり、改めて周囲を見渡す。時の狭間と魔王は言っていたが、ここがそうなのだろうか。前後左右に目を向けても、荒野が続くのみ。俺が入ってきたはずの入り口のようなものも見当たらない。一体どういう構造になっているのだろう。
と、俺が思考に
「おりょ、こんなところに人がいるとは珍しい」
先ほど俺に語りかけて来た懐かしい声とは違う、同年代の女性のものと思われる声。それほど声を張っている訳ではないのに、ハキハキした口調のせいか、妙にすんなりと耳に届く。
振り返ると、そこにいたのは甲冑を着込んだ少女の姿。甲冑は見た感じかなり古いデザインだが、手入れの行き届いたいい装備である。何より目を引くのは、腰から下げた剣だ。鞘の上からでも神々しいまでのオーラが感じ取れた。
「助けに来てくれた……って感じではないよね? 君もジールレヒトに堕とされた口?」
「ジールレヒト?」
「外にいたでしょ? いけ好かない魔族の男」
魔王のことだろうか。もちろん魔王にも名前くらいはあるだろうが、その名を知っているこの少女は何者なのか。
アグヌスベルカでは珍しい黒髪。一見華奢に見えるものの、その身からは不思議と力強さを感じる。これが覇気と呼ばれるものなのだろうか。俺自身が感じ取るのは、初めてのことだ
「ああ、あたし? あたしはミコト。ミコト=アマガサキ。こんなだけど、勇者やってるよ。ああ、いや。やっていた……が正しいかな」
勇者。と言うことは、彼女が魔王に敗北したという先代の勇者なのだろうか。そう言えば、先代勇者の生死に関しては聞かされていない。俺と同じように、魔王によってこの場所に送り込まれたのだとすれば、生死に関する伝承が残っていないのも頷ける。
「ここにいるってことは、君が新しい勇者? 外ではどのくらい時間が経ってるのかな? ここにいると昼も夜もないから、時間感覚が狂っちゃって」
どうやら外界での出来事は全く知らない様子だ。少なくとも、外の世界では二百年経っている訳だが、ここではどのくらいの感覚なのだろう。勇者を名乗る彼女の様子を見るに、とても二百年の時を過ごしているとは思えない。
「俺は勇者ではないです。勇者パーティーの一人ではありましたけど。ちなみに外では二百年経ってますね」
「か~っ。二百年か~。そりゃ随分経っちゃってるな~。アグヌスベルカの人類、よく生き残ってたね」
「少なくとも、そちらが想像しているよりずっと平和な二百年だったと思いますけど」
「ん? どゆこと?」
俺は自分が知っているこの二百年の歴史を、彼女に伝える。先代勇者が魔王を倒したことになっていること、魔王軍が使っていた魔法技術を研究し日々の生活に生かしていること、最近になって魔王が復活し再び戦乱の世が訪れていること。彼女は黙って聞いていたが、最後まで聞き終えると我慢が聞かなくなったのか、大声を上げた。
「何だよ、それ~! 事実と全然違うじゃんか~!」
彼女は頭をかきむしりながら、
「あたし達は負けた。あたし達に力を貸してくれていたアルヴェリュートが、魔王ヴォーガン=エルディロットの罠にはまって、その力を奪われてしまったから」
頭をガツンと殴られたような感覚に陥る。女神アルヴェリュートが力を奪われていたということと、先に挙がったジールレヒトですら魔王でなかったという事実ももちろんあるが、最も衝撃だったのは魔王の名前だ。
ヴォーガン=エルディロット。エルディロットは我が家の家名なのに、何故それが魔王と同じなのか。
「って、君。顔色が悪いよ? 大丈夫?」
ミコトと名乗った少女が、俺の顔を覗き込んで来た。彼女の顔を直視出来ない。もし仮に、二百年前に勇者を破った魔王が、そのまま人類の支配を
浮かび上がる予感が確信へと変わって行く。女神の力を手にした魔王は、その力で人類を陰から操り、支配して来たのだ。偽の歴史をでっち上げ、自分達に都合のいい魔法文明を発達させ、魔力に依存した生活を当たり前にする。そうして人類の生活水準が一定以上になったら、魔界から同胞を呼び出し、人類を一掃して住処を奪うのだ。ジールレヒトが器と呼んでいたのは、神となった魔王を再びこの世に舞い戻るための肉体。そのために魔王は、わざわざ女神の振りをして魔力適正の高い人間を集めていた。
恐るべき計画。これが事実なら、俺達が魔王に勝てないのは道理である。何せ相手は神の座に至った存在。自分達に有利な、魔力に依存した戦い方を一般的にしたのも、この時のための布石だったのだろう。俺はがっくりとその場に両膝をつく。
「何だかよくわからないけど、そのマイナス思考待った!」
ミコトが俺の頬を両側から手で
「君の様子を見て、何となく事情は察した。その上で言うよ」
彼女は俺の瞳を真っ直ぐに見据えて言った。
「君はちゃんと選ばれたんだ。私達の女神、アルヴェリュートに」
「え?」
「君からはアルヴェリュートの気配を感じる。実際に連れ添ってたあたしが言うんだから、間違いない」
つまり、俺やラキュルの夢に出てきたアルヴェリュートは本物と言うことか。ラキュルはともかく、もしかしたら魔王の直系かも知れない俺を、アルヴェリュートは選んだ。そんなことが起こりえるのだろうか。
「力を奪われたアルヴェリュートがどんな姿になっているのかはわからないけど、夢に出てきてない?」
夢という単語にピクリと反応する。確かに、俺やラキュルに加護を与えたアルヴェリュートは夢に出て来た。見た目が幼かったのは、魔王に力を奪われたからだったのだろう。そう言えば、俺が魔力を極限まで練り上げようとしていた時に止めに入った声。あれは夢で見た女神アルヴェリュートの声だった。残り少ない力の限りを使って、俺が器として完成するのを阻止してくれたのかも知れない。
「その様子だと心当たりがあるようだね。だったら話が早い」
ミコトは俺の手を取って立ち上がらせると、にこりと笑って見せた。
「実はね、ここから抜け出すための準備があるんだ。あたし一人じゃ出来なかったけど、君がいればたぶん可能だよ」
「いったい何をするんですか?」
「私達に宿っているアルヴェリュートの力を使うんだ」
俺達に宿っている女神アルヴェリュートの力。加護のことを指しているのだろうか。使うと言っても、ここは何もない荒野のど真ん中。何をしたところで、効果があるようには思えない。
「アルヴェリュートの力には、魔力を打ち消す効果があるのは知ってる?」
「魔力を打ち消す……。封印術みたいですね」
俺の言葉に、ミコトは目を輝かせた。
「封印術を知ってるの? さっきまでの君の様子だと、封印術師は滅んでるかも知れないって思ってたんだけど。もしかして仲間に使い手がいる?」
「はい。封印術師の里出身の女の子が一人」
「それはよかった! いくらアルヴェリュートの力でも、全ての魔力を消し去るのは容易じゃないからね!」
彼女の言い方を
「でも、その方法で負けたんですよね? だったら不可能なのでは?」
「あの時は魔王ヴォーガンに加えて、魔王軍四天王が勢ぞろいだったからね。数で押されたって感じかな」
同時に五人を相手にしていたと言うことか。一人ですら驚異的な強さだというのに、よくそんな無茶な戦い方をしたものだ。
「つまり、四天王の一人――
しかし、配下であるヴェスカーナですら圧倒的な力を持っていた。その
「という訳で、これから君には
「しんきこうじゅつ?」
「そう。あたしがアルヴェリュートに貰った力。たぶん君の中にもあるはずの力」
そんな名前も聞いたことのない術を、どうやって扱えというのか。俺が混乱していると、ミコトは「ふん!」と鼻を鳴らした。
「とりあえずあたしの神気功術で、君の中の神気功を揺さぶるから。ジッとしてて」
ミコトが構える。重心を低くした打撃の構え。それ自体は特別変わったところはないが、次の瞬間。ミコトの身体が強烈な光を放った。
「動かないでよ? 当たりどころが悪いと死んじゃうから」
当たりどころが悪いと死ぬ。彼女はそう言ったのか。俺は途端に不安になり、身構える。
「力も抜いて。身体に力が入ってると、たぶん滅茶苦茶痛いよ?」
無茶を言うものだ。当ったら死ぬかも知れない打撃を、無防備に受けろというのだから。しかし、それしかここを脱出する方法がないというのであれば、やるしかない。俺は大きく息を吐いて、極力身体から力を抜いた。
「そうそう。いい感じ! そのままね!」
ミコトの身体から溢れる光が拳に集中して行く。光は更に強さを増し、最早直視できないほどの輝きを放っていた。
「行くよ!」
刹那。ミコトの姿が揺らぐ。それが踏み込みの予兆であったことは言うまでもない。次いで訪れたのは衝撃。地面が彼女の踏み込みに耐えられず、大きく崩れた。そしてやって来る打撃。踏み込みと腰の捻りを最大限生かした一撃が、俺のへその上辺りを貫く。実際、身体そのものを貫かれたかと思った。しかし現実には、拳は俺の身体に触れるか触れないかのところで止まっており、拳から放たれた光だけが、俺の身体を通り抜けたに過ぎない。何が
全身に走った激しい痛み。まるでそれまで眠っていた何かが、身体の内部を駆け巡っているかのような、そんな感覚。頭の天辺から、手足の指の先まで。ありとあらゆる箇所が激しい痛みに襲われ、俺は立っていられなくなった。このままでは身体の内部を駆け巡る何かが、皮膚を突き破って外に溢れ出してしまいそうだ。
「もう少し耐えてね。これまで眠ってた神気功の循環回路が、今急激に目覚めているところだから」
俺は悶え苦しむことしか出来ない。とにかく、彼女の言っていることを理解出来るだけの余力がなかった。
どのくらいそうしていただろう。この場所には昼も夜もないし、時間の流れを感じられるものが一切ない。唯一変化するのはミコトの姿勢だけ。最初は立って俺を見下ろしていたが、徐々に姿勢は崩れ、今ではその場にしゃがんで退屈そうにしている。それでも俺から目を離さないのは、恐らく万が一に備えてのことなのだろう。痛みが治まって来たことで、幾分思考の余地が出て来たのがわかる。痛みが引くのと入れ替わるように、身体が妙に火照っているのを感じるようになった。
「そろそろかな。調子はどう?」
痛みが完全になくなった頃、ミコトが声をかけて来る。
「痛みは完全に消えました。代わりに、身体が火照っているように感じます」
「うん。なら成功だね」
彼女は安心したのか、ふにゃりと表情を崩した。
「ところで、身体から力を抜いていれば痛みはないはずでは?」
「それは、まぁ、あれかな。それだけ循環回路が凝り固まってたってことだよ」
今一納得が行かないが、他に情報がある訳でもない。今は彼女の言い分を信じる他ないのだ。
「それじゃあ。早速だけど、ここから抜け出す手段を伝えるね」
そう言って、ミコトは説明を開始する。彼女の口にする理論は何故だか「バーン!」とか「ズドーン!」といったような擬音語ばかりでよくわからなったが、要はこういうことだ。まずは神気功術の扱いに慣れろ、と。
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