第2話

「アティカス、貴方の顔はなんて地味なのかしら!」

 美しいものが好きな母のお気に入りの兄は、神が兄を気に入り、丹念に創造したと言われてもおかしくないほど美しく、完璧な容姿をしていた。


 武闘も好んで訓練する兄は、無駄な筋肉など一つもないというような均整が取れた体つきをしている為、年頃の令嬢はすぐさま兄に夢中となる。


「猫背も酷いし、顔が陰気を通り越して苔とか黴みたいなのよね。ねえ、アティカス、部屋にばっかり閉じこもっていないで、たまにはお兄様を見習ったらどうなの?サイラスの爪の垢でも飲んだら少しはマシになるんじゃないかしら?ねえ、サイラスが切った爪をメイドにここまで持って来させましょうか?」


 あの後、本当に兄の切った爪を持ってきたものだから呆れたよ。

 兄が素晴らしいとそれほど言うのなら、俺など視界に入れなければいいのに。


「うちのアラベラは本当に根暗でしょうがないのです。まず部屋から出てこないですし、自分の部屋に引き篭もったままですの。それで部屋の中の何処に居るのかと探してみると、ベッドの下だったり、クローゼットの中だったり、まるで溜まった埃を寄せ集めて作ったゴミ屑ような娘なのですもの、本当に困ったものだわ」


 それは十二歳の時の事だった。子供たちの親睦を理由に集まった母親たちのお茶会で、そんな風に堂々と自分の娘の悪口を言うオルコット伯爵夫人は、隅の方に置かれた椅子に座って一人で本を読む令嬢をため息まじりに見つめている。


 ゴミ屑と言われた令嬢は、チャスナットブラウンの髪の毛を無造作に一つに結い上げており、着ている物も一人で着られるような白銅色のワンピースだった。

 名前はアラべラ、妹のオリビアはレースをふんだんに使ったベビーピンクのデイドレスに身を包んではしゃいで遊んでいるのに対して、姉のアラベラは本を読んでいて、部屋の隅に積もったゴミのようにじっとして動かない。


「なあ、あんな風に言われて頭にきたりしないわけ?」

 本に視線を向けたままのアラベラに声をかけると、青灰色の瞳が俺を見上げて、

「本当のことだから仕方がないわ」

あんな事を言われて心が傷ついていないはずはないのに、悲しみのカケラも見せない笑みを俺に向けたのだった。


 アービントン侯爵家は最近事業に失敗した事もあり、裕福なオルコット伯爵家に融資をしてもらったという事は知っている。

 そこで父は、俺を伯爵家に売り渡す事を決意する。売り渡すと言っても金で売買するわけではなく、俺が娘しかいないオルコット家に婿入りする形とするわけだ。


 将来、俺が家を出て行くのは決定事項だし、成人になる前に引き取り先が決まったという事で父親はウキウキ顔だ。


「ゴミクズ令嬢と黴みたいな息子だったら、二人が揃っていても、見かけ的にも丁度良いのじゃないかしら!」


 見かけにこだわる母親は、俺とアラベラは夫婦としてピッタリだと言い出した。


 あくまで見かけにこだわる母親は、最高に美しい伴侶を用意すると言っているため兄のサイラスにはいまだに婚約者がいない。

 ただ、オルコット家の次女オリビアは、顔だけ見れば、どの集まりでも1番の美しさであった為、サイラスの婚約者候補としてキープする事にしたらしい。


 結婚でお互いの関係を強固なものにしていこうと考える両家の思惑に従う形となってしまったが、俺はアラベラとの結婚を心待ちにしたのは言うまでもない。

 俺はおそらく、貴婦人たちに馬鹿にされ嘲笑われていても、気にした様子一つ見せずに明るい笑みを浮かべたアラベラに、あの瞬間、心底惚れてしまったのだろう。


 歳を重ねるうちに美しくなっていくアラベラの隣に、地味な顔立ちの俺はいかにも不適格と言えるかもしれない。


 俺は彼女の隣に居ても遜色ないようにするために努力をする事になるのだが、そうこうするうちに、アラべラと一夜の関係を持ったと証言する人間がポロポロと、まるで仕組まれたように出て来る事になる。下世話そのものの噂話は、暇を持て余す貴婦人たちへ伝播するように伝わり、あっという間に社交界に広がっていった。


 その時、俺はある研究に没頭していた為、不穏な動きに気がつくのがあまりにも遅くなってしまったのだ。


「我がアビントン侯爵家のことを考えてみろ、悪女と噂されるアラベラ嬢とお前が結婚するなど世間体が悪すぎるのは間違いない」


 執務室で葉巻をに火をつけて大きく吸い込んだ父は、純白の煙を吐き出すと言い出した。


「アティカス、お前はオリビア嬢と結婚し、オルコット伯爵家を継ぐことになった。アラベラ嬢には婚約破棄の旨はすでに知らせている状態だ」


「オリビア嬢は・・兄上との婚約が決まったようなものでしたよね?」

「サイラスはキャスリン・ダニング嬢と結婚する」

「はあ?」

「キャスリン嬢はオリビア嬢と同等の美しさがあるという事で、フランチェスカも随分と乗り気になったのでな。我がアビントン家としても、ダニング伯爵家とオルコット伯爵家、二つの家との縁が結ばれればそれで良いと考えている」


 兄の恋人が理由で俺からアラベラを取り上げるというのか?


 父の執務室を出た俺が兄からも話を聞こうと2階へと続く階段を駆け上がると、廊下の奥、扉が少し開いた兄の部屋の方から、母と兄の声が聞こえて来た。


「男遊びをしていたのは、姉のアラベラだけじゃなく妹の方もそうだっただなんて、全く信じられない話だったわね!」

「ええ、ダニング伯爵から聞くまで気が付きもしませんでした。オリビアがすでに純潔をも失っていようとは想像もしませんでしたよ」

「早いところ気がついて良かったわ!この事は向こうのご両親にも知らせたし、婚約者の挿げ替えはスムーズに出来そうよ」

「私が書いた手紙をオリビアに持たせたので、アラベラも婚約破棄に応じるしかなくなるでしょう」

「貴方は字を模するのが得意だものね、だったら安心だわ」

「私も早くキャスリンと結婚しなければなりませんからね、彼女のお腹の中には僕の子供が居るんですから」

「そこは考えているわよ」


 オリビアの不貞は許さないが、自分こそ婚姻前に、婚約などと全く関係のない令嬢と行為に及び、相手を孕ませているというのか。


 慌ててオルコット邸を訪れれば、アラべラはすでに家を出て行った後だという。


 はははっはは、俺が黴でアラベラはゴミ屑で、そんな二人であれば、自分たちの都合の良いようにいくらでも使っても良いと、人生を歪ませても良いと、そう考えているという事なのだろう。


「錬金術師(アルキミスト)アティカス様!お姉様が出て行っても私が貴方を慰めてあげますから!」


 アラベラと同じ青灰色の瞳で見上げてきたオリビアは、その美しい顔に醜悪な笑みを一瞬浮かべたのだった。


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