ある無関係者

日奈久

夏休み前

外はすっかり夕暮れで、野球部の声がグランドに響く。

夏休み目前のこの時期は夕方でも蒸し暑かった。

窓際の席に人影が見える。

眼鏡をかけた長い髪の女子生徒は、何かを必死に書いていた。

「あれ、椎菜はまだ帰らないのか?」

「今作業してるからな。」

「大変だな。」

「ん、もう少しで終わる。サッカーの練習サボってていいのか?夏は大会あるんじゃないのか?」

「二軍や三軍なんて練習試合さえ出てれば問題ないよ。夏休みも練習なくて暇なんだ。」

席の近くに来ても、椎菜こちらを見向きもせずに電卓を打ちながら必死に計算していた。

「何しているんだ、課題?文化祭の用意?」

「いや、お金の計算。やりたいことがあるからやり繰り考えているんだ。」

口数は少なくが、手先が器用で真面目だった。

行動力も決断力あるし、いつでも冷静だ。

他の皆とは何かが違う。

高校生なのにどこか大人びていて、俯瞰している感じがする。

俺はそんな彼女が好きだ。

告白どころか2人きりになることがほとんどない。

どんな風にすれば彼女に振り向いてもらえるかわからなかった。

要するに恋愛経験のない俺はただ彼女を作る方法がわかっていない。

「はい、終わった!」

パタンとノートを閉じて、鞄にしまうと椎菜は席を立った。

「今から帰るけど、九薬はどうする?」

「うん、俺も帰るよ。」





だいぶ日が落ちてきた。

さっきまであんなに蒸し暑かったのが、嘘みたいにひんやりとした冷たい風が吹く。

人通りのない路地をを歩く。

今、2人きりなのは予定を聞くチャンス。

俺は勇気を持って切り出した。

「それよりさ、夏休みに空いている?よかったら一緒にはなーー。」

花火見ない?というより先に椎菜が

「ごめん、夏はバイトするんだ。住み込みで10日ほど。」

一緒に花火見ない?と言い切る前に椎菜ははっきり拒絶した。

「え?」

悲しみのあまり天を仰ぐ。

夏休みを期に椎菜と距離を縮めたかったな。

花火キレイに見えるスポットをせっかく調べたんだけど。

もし着てくれるなら浴衣とか見てみたかった。

青春の実態とはこんなものなんだ。

俺は深く絶望した。

「ああ、勘違いしないでくれ。知り合いの家で片付けや掃除を手伝ってお小遣いもらうだけだから。校則は遵守している。夏休みのしおりにも、ほらここに家庭や地域の行事など勉学以外にも目を向けましょうって。」

突然、鞄から夏休みのしおりを持ち出して、真剣な顔で該当箇所を指でなぞる。

「……えっと、そういうことじゃなくて。」

きょとんとして俺を見る。少し考えてから、何かを閃いたように目を輝かせた。

「もしかしてバイトしたいのか?」

「なんでそういうことになった?」

一体どこからその発想になったんだろうか?

でも、これはチャンスだ。

バイトとはいえ椎菜と2人きりでいれる時間が増えることになる。

「夏休みにお小遣い稼げるならそのほうがいいや。俺も行きたい。」

「わかった、知り合いに連絡する。」

立ち止まって椎菜は携帯を取り出し、どこかに電話をかける。

「もしもし、私だけど。ああ。こないだ話していた件だけどーー。」

その場で話をつけた。時折冗談を言ったり、笑ったりする声は相手との親密さを表していた。

彼女は普段あまり自分の表情をここまで表に出すことはない。

そう思うと、電話の相手が疎ましいと感じてしまう。付き合ってもないのに勝手に嫉妬心を感じた。

ただの知り合いのはずなのに。

「ぜひ来てくれって。」

「う、うん。ありがとう。」

俺は煮え切らない感情を抱きながら礼を言った。

そんなことを話していると椎菜の家の前にたどり着いた。

「あ、母さん。」

「椎菜、おかえり。待ってたわ。」

車椅子の女性は穏やかな表情で庭にある草花に水をあげていた。

色とりどりの花や香りの高いハーブにうさぎのオーナメントや小さなアーチに赤と茶色のレンガで出来た花壇があった。

小さいけど洗練されたイングリッシュガーデン風の庭は彼女の母親がすべて手作りをし、世話をしているらしい。

「あら?椎菜のお友達?」

俺のほうに気がついたらしい、とりあえずお辞儀をした。

「うん、クラス同じなの。」

「椎菜と仲良くしてくれてありがとう。この子をよろしくね。」

丁寧に女性もお辞儀をする。

「……え、あ、はい。」

ここまでされると逆に気恥ずかしい。

向こうからしたらただの子供のクラスメイトに、ここまで優しく接してもらったことがない。

「じゃあね、詳しいことはまた連絡するから。母さん、行こう?」

椎菜は手を振って母親と家に入っていった。

「仲いいなあ。」

遠くせみの声が響く中、俺は1人椎菜の家をあとにした。






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