第4話 森での戦いと思いだした決意

「《壁作成》!」


 渓谷に手を向け念じると、スキルエフェクトが走りこちらと対岸を繋ぐように壁ができあがる。

 幅が細くて心許ないけど、即席の橋だ。


 疲労も忘れて森の中を駆け、先ほどの音がした方へと急いだ。


「この森の太い木をへし折ったんだとしたら……かなり凶悪な魔獣だぞ……!」


 早くしなければ手遅れになってしまう!


 いや、間に合ったところで俺に勝てる相手なのか?


 でも迷うことはしなかった。


 勇者パーティの一員ではなくなった。


 英雄にもなれなかった。


 けどいつか見た父のように、誰かを守る壁になる。


 その気持ちまでは捨てたくないということに、たった今気づいたんだ!


 疲れた身体に鞭打って、木々を縫うように走る、走る――




 そして、少し開けた場所に出た。


 正確にはそこいらの木が根こそぎ、破城鎚でも受けたように突き倒されてだ。


 そこにいたのは一体の魔獣。猪に似たその姿はしかし、通常のそれと比べて遥かに異様……いや異常だった。


 まずその巨体。地面から頭までの高さが五メートルはある。体長は目測十数メートルほど。

 そして普通なら上に向かって生えている二本の牙が、まるで敵を穿つために存在するみたいにまっすぐ前を向いてる。

 おまけに額と鼻先、前脚の全面には鎧のように硬化した外皮――


 勇者パーティの一員として数々の魔獣と戦ってきた俺ですら、見たことが無い大きさ、そして禍々しさだ。


 猪型は俺に気づいていないようで、まったく別の方を向いている。

 興奮してることを示すかのように鋭く息を吐き、しきりに前脚で地面を削る。


 その視線を追うと、ひとりの騎士が立っていた。

 立っていたというよりは、かろうじてと言った方が適切かもしれない。

 俺とさほど歳も変わらなさそうな、銀の鎧を身に纏う少女だった。赤色髪に縁取られた端麗な顔は泥まみれ、やや吊り気味な瞳は苦々しさを湛えて猪型を睨みつけている。


 遠目では分かりづらいけれど、片足をかばうように重心を傾けている。


 あれじゃ次の攻撃はかわせない……!


「それなら――《壁作成》!」


 今にも少女騎士に向かって駆けだそうとする猪型の眼前に、ありったけの力を込めて今の俺に作れる最大の壁を作る。


 ただ岩と土を寄せ集めただけの壁とはいえ、その幅は五メートル、高さ四メートル、厚さは実に一メートルだ。


 突然現れた障害物が猪型を驚かせるだけではなく、壁を突き破ろうとするなら一度下がって距離をとる必要がある。

 もし回り込もうとしてきたらもう一度同じことをすればいい。


 この隙にあの子を連れて身を隠せば――


 と目論んで少女のもとへ駆けだした俺は、次の瞬間には目を疑う。


 なんと猪型は突き出た牙を壁に刺すと、そのまましゃくり上げただけで、つまり首と前脚の力だけで、俺の渾身の壁を粉々に打ち砕いだのだ。


「そんな……!?」


 これまでどんな魔獣を相手にしたって、一撃で壊されるなんてことはなかったのに……!


 破壊された壁の欠片がそこら中に降り注ぐ。


 猪型自身にも多少なり降りかかったそれを、身体を震わせ煩わしそうに振り払う。

 そしてその眼が、少女騎士に駆け寄る俺をハッキリと捕らえた。


 敵意と、殺意に満ちた眼――


 このままだと殺られる!!


「君、大丈夫!? いや大丈夫じゃなくても走って!!」

「貴方は……!?」


 駆け寄った勢いそのままに少女騎士の手を取り、できるだけ木々が密集している方へ走る。


 少女騎士は突然の闖入者に驚いた様子だったけど、おとなしく引かれるがままついて来てくれた。

 けどその足どりは重く、息も絶え絶え。やっぱりどこか怪我をしているんだ!


 その時、背後からブモオオオオッ!と空気を震わせる咆哮が轟き、ついに猪型が動き出した。

 頭を下げ、牙を突き出すように俺たちに向かって突進してくる!


 早い。人間の足じゃ逃げきれない……!


「うおおおぉおぉっ……《壁作成》!!」


 迫り来る猪型と自分たちのあいだに先ほどと同規模の壁を作る。

 同時に、走る方向を九十度変えた。


 直後、作り出した壁が粉々に粉砕され猪型が姿を現す。


 猛烈な勢いはまったく削がれず、その巨体が俺たちの走るすぐ後ろを駆け抜けて行った。

 視界を塞ぐと同時に方向転換してなかったら、そのまま曳き潰されていた。


 突進した先で巨木に激突する猪型。その木はあっけなく地面から引きはがされ、枝葉の折れる音を響かせながら地面へと倒れていく。

 猪型は軽く頭を振るったのみ。ダメージを受けている様子はまったくない。


 ゆらり、と緩慢にも思える動作で再び俺たちに向き直る。


 まずい……さっきみたいな避け方は何度もできるものじゃない……!


 怪我をしてる少女騎士はもちろん、俺の方も限界が近い。すぐに逃げ回ることも難しくなる。


 俺たちが助かる方法はたったひとつ。

 一か八か、タイミングを見計らって壁に激突させるしかない――


 猪型は先ほどと同じように前脚で地面を掻いている。


 地面が抉られる音がやかましく響いているはずなのに、不思議と俺の耳にはなにも届かない。

 相手の動きに神経を研ぎ澄まさせる。


 集中しろ――!


 猪型と睨み合うこと数分。いや、そう感じただけで実際には一秒もなかったのかもしれない。

 巨体が、再びこちらへ動き出した。


 圧倒的な速度と質量、すなわち死が迫って来る。

 でも、まだだ。激突の衝撃を最大限に高めるために、ギリギリまで引き付けろ――!


 両者の距離は目測二十五メートル、まだ遠い。


 二十メートル、まだだ。


 十五メートル、あと少し……。


 そして十メートルの距離まで猪型が近づいた時――


「ここだぁぁぁぁああ!!」


 俺は自分たちと猪型とのあいだに渾身の壁を作り出す。


 それは高さ四メートル、幅一メートル……そして厚さ五メートルの壁だ。なんてことはない、先ほどまでと同規模の壁を、向きを変えて置いただけである。


 でも厚さ五メートルもの壁だ。さすがに突破はされないだろうし、激突の衝撃はそのまま猪型へと跳ね返る。


 はたして――目論見通り、猪型は縦の壁に頭から突き刺さった。

 そして、まるで掘削機のごとく五メートルの厚さをそのまま貫いてきたのだった。


「えっ?」


 驚く間もなく、衝撃が腕を伝わり全身を駆け抜ける。


 世界が回る。森の木々が上から生え、足元には薄曇りの空が広がっている。


 それが数回入れ替わった後、ぬかるんだ地面に背中を打ち付けられ、肺の中の空気が絞り出されるように逃げていった。


「か――はっ――」


 痛みに一瞬気が遠くなりかける。

 でもここで気を失ったりしたらそれまでだ……!


 もはや本能だけで身体を起こそうとして――そこで初めて、自分が剣を握っていることに気がついた。


 刀身は柄の根本から断ち切られたように折れている。どうやら腰に下げていた剣をとっさに抜き放ち、それで猪型の牙を受けたみたいだ。


 そのおかげで体を貫かれることもなく、また多少なりとも勢いが削がれて、こうして生きていられたんだろう。


「無意識に身を守ってたのか……」


 戦闘力はクライスたちに遠く及ばないまでも、これまで彼らとの旅で得た経験が活きたのかもしれない。


 周囲を見ると、わずかにくぼんだ場所に落ちたようで、猪型からは視線が遮られている。


 近くに少女騎士も倒れていた。どうやら一緒に飛ばされてきたらしい。

 すぐに状態を確かめるが、幸いしっかり息をしていた。気を失っているだけみたいだ。


 でもこのままじゃ俺もこの子も助からない――。


 縦置きも通用しなかった以上、俺の力であの猪型を倒すのは無理だ。

 体力の限界まで逃げ回ったところで、誰が助けに来るわけでもない。


 それに鎧を着こんだ少女騎士を担ぎながらあの猪型の攻撃をよけるのは不可能だ。



 選択肢は二つ。


 気を失った少女騎士に猪型が気を取られている内に、自分だけが逃げるか。


 それとも――。


「…………」



 考えるまでもない。


 俺は深く大きく息を吸い、吐き出す。

 それで少しだけど心が落ち着いた。



 もう俺は勇者パーティじゃない。


 英雄でもない。


 けどいつか見た父のように、誰かを守る壁になる。


 その気持ちまでは――


「絶対に捨てない!!」



 俺は気を失っている少女騎士を窪地のすみに移動させると、手早くその辺の落ち葉をかぶせて、できるだけ目立たないようにする。


 正直に言えば死ぬのは怖いし、今すぐにでも逃げ出したい。


 今だって気を抜けば足が震えだしそうになる。


 でも今、この子を助けられるのは俺だけだ。


 なら放り出して逃げることはしない。父はもっと絶望的な状況でも逃げ出さなかった。


 それに、今ならはっきりと言える。



 もしクライス、あるいはジオディン、スティーナ、マリン。

 四人のうちの誰かが俺に代わってこの場にいたとしても、同じことをしただろう。


 もちろん彼らは強い。もしかしたらこの猪型くらい倒せてしまうのかもしれない。


 でも……例え勝ち目がない戦いだったとしても、生きて戻れないとわかってたとしても。


 それでも彼らなら、自分のために他人を見捨てることは絶対にしない。


 彼らは四人ともすごいやつだ。


 そんな彼らを失望させてしまった俺だけど……。


 認めてもらえなかったかもしれないけれど……。


 それでも俺は、俺が彼らの仲間だったことを、彼らが恥じることがない……そんな俺でいたい。


 そんな俺になりたい。



 少女騎士を隠し終え、窪地の端から少しだけ顔をのぞかせる。


 猪型はじっとこちらを睨んでいた。


 たぶん出てきたところを一気呵成に仕留めるため、距離を保ってるんだろう。


 頭をひっこめ、呼吸を整える。


 次に猪型との追いかけっこが始まったら、今のように上手く身を隠すことも難しいかもしれない。


 じき体力がつき、動きを止めたときが俺の最期だ。


 でも大丈夫、覚悟はできている。


 最後に、俺に勇気をくれる仲間たちの顔を頭に思い描き――


 あらん限りの力で地面を蹴り、窪地から飛び出した。

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