第2話 彼ら

 「バイティ……ドッグス……?」


 俺は、ジャック・ヴァンフィールドの言葉をなぞる。


 「うむ。エクソシスト共に噛みつく犬の如き集団である」

 「バイトドッグは、かませ犬では……?」

 「なぬ?」


 かませ犬。

 それは引き立て役という意味だ。


 「ほらー! だからそんなダサい名前やだって言ったじゃん!」

 「外国出身のくせに横文字もまともに使えんのか!」

 「噛みつく犬という意味で付けたのだが!? この国の奴らは片仮名が好きであろう!?」

 「確かにバイトは噛むだし、ドッグは犬ですけど……合わせるとかませ犬ですね」

 「何故なのだ!?」


 ジャック・ヴァンフィールドが頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 逆翻訳に失敗した感じらしい。なんかちょっと可哀想だ。


 「えと、いいんじゃないですか、犬。可愛いし……」

 「でもかませ犬じゃん」

 「それは、まあ……」


 なんのフォローも思い付かない。


 「そ、それよりも! えっと、エクソシストに噛みつくんですか?」


 話を別の方向に持って行こう。

 気になったワードを引っ張り出す。


 か弱きモンスターを守護するとか。

 エクソシストに嚙みつくとか。

 そんなことを言っていた。


 「左様!」


 ジャック・ヴァンフィールドが、元気に立ち上がる。

 この人、いや吸血鬼、一々忙しないな。


 「我々はエクソシストと戦えないモンスターを保護することを目的としている」

 「戦えないモンスターがいるんですか?」

 

 モンスターは、人間を襲ったり食べたりする悪い奴らだ。

 人間とモンスターは相容れない。分かり合えない。

 だから、排除しなくてはいけない。

 そのために、エクソシストが尽力してくれている。


 「モンスターは、人間を襲い、そして食べる」


 ヒビキさんが、綺麗な声で恐ろしいことを言った。


 「そう、学校で教わるよね」


 俺は、首を縦に振った。


 「ふむ。しかし実際に戦えなかったモンスターがおるではないかね」


 ジャック・ヴァンフィールドの言葉に、俺は今度は首を横に傾げた。


 「君のことだよ、大ヶ谷少年。余があの場に行かねば、エクソシストに倒されていたであろう」


 ああ、そうだった。


 あまりの情報の多さにすっかり忘れていたけれど。

 俺は20歳になった記念に、皆で初めてのお酒を飲みに行った。

 そして、友人に銃口を向けられたのだ。


 エクソシストも、モンスターも。


 居ることは知っていても、どこか遠い話に感じていた。

 知り合いが通り魔に殺されたことがないように。

 知り合いが殺人鬼になったことがないように。

 

 エクソシストも、モンスターも。


 どこかで起きている、俺には関係のない話だと思っていた。


 「人を襲うわけでもないのに、モンスターというだけで狙われることって少なくないんだよね」


 レオと呼ばれていた大柄の人が、苦笑いしながら教えてくれる。


 「だから、そんなモンスターたちが安心して隠れられるように、俺たちが表に出てエクソシストと戦うんだ」

 「余が表舞台に立てば、阿保共は余を追い掛けることに夢中になるからな!」


 指名手配モンスターがいうと、言葉に重みがある。


 あ、そういえば。


 「肩を打たれてませんでしたか!?」


 すっかり抜けていたが、この吸血鬼は自分の代わりに銃で打たれていた。

 エクソシストが使う銃には、モンスターに大ダメージを与える銀の銃弾が詰められていると聞いた。

 モンスターは、陽の光を溜め込んだ銀に弱いのだと、そう教科書に書かれていた。


 平然としているが、かなりの深手を負っているはず……!


 そう、俺は心配した。

 しかし、それは杞憂だった。


 「ああ、あれは演技であるぞ」


 けろっとした顔で、ジャック・ヴァンフィールドが言う。

 そして肩を見せてくれる。

 傷跡の一つもない。

 しかし、服は赤く変色していた。


 「はっはっはっ! 迫真の演技であっただろう!」

 「ちなみにこの赤は、僕お手製の血糊ね。上手でしょ」

 「え、演技……?」


 怪我がないことは、よかった。素直にそう思う。

 でも、なんでわざわざやられる演技をする必要があるんだろうか。

 俺は混乱した。


 「やられた振りをした方がね、エクソシストの気が緩むんだよ」

 「わしらはエクソシストを倒したいわけじゃないさね」

 「そ。戦えないモンスターたちが逃げる時間稼ぎをしたいだけなんだ」


 時間稼ぎ。

 俺は、その言葉に目を瞬かせた。


 「左様。エクソシストを倒したくて戦っているわけではない」


 ジャック・ヴァンフィールドが、洋服を直す。


 「さて、今宵はもう遅い。君はここに泊まると良い」

 「え、いや、家に帰ります……」


 今日は夢みたいなことが起こりすぎて、なんだか疲れた。

 住み慣れた部屋に帰って、自分の布団で眠りたかった。


 「うーん、オススメしないよ?」

 「なんでですか?」


 苦笑いするヒビキさんに、俺は首を傾げる。


 「まあ見た方が早いか。それじゃあ、ちょっとだけ見に行ってみる?」


 そう誘われて、俺は帰路へ着いた。

 


 俺が一人暮らしをしているアパートの前には、人だかりが出来ていた。

 立ち入り禁止のテープが貼られて、警察が警備に立っている。

 銀の銃を腰に装着している人たちは、エクソシストたちだろう。

 近所に住んでいたと思われる軽装の人々が、何事かと見物に集まっている。


 「こちらが、人間に紛れていたモンスターの住んでいたアパートです!」


 まさかのマスコミまでいる。


 「彼らはモンスターを排除するのが仕事だからね。当然、身元がわかるなら家に張るよ」


 ヒビキさんの言葉に、俺は肩を落とす。

 こんな包囲網の中で顔を出したら、その瞬間取り押さえられるに決まっている。


 「俺、人間襲ってないですよ?」

 「知ってる」

 「俺、ついさっきまで自分がモンスターなんて知りませんでした」

 「そうだろうね」

 

 「それでも、捕まっちゃうんですか?」


 しゃがみ込む俺は、立ったままのヒビキさんを見上げる。


 「彼らにしてみたらそんな事情は知ったことじゃない。モンスターか否か。それだけだよ」

 「……俺の家族も、捕まりますか?」

 「いや、どうだろう。取り調べや検査はされるけど、そこで人間という結果が出れば解放されるよ」

 「モンスターという結果が出たら?」

 「もちろん、排除されるね」


 そんな。

 両親も、祖父母も、何も悪いことをしないで生きてきたのに。

 それとも、モンスターということを隠して人間に混ざって生きてきたのか?

 だったら俺にも、隠し通すように教えて欲しかった。

 いや、お酒を飲むまで自分がモンスターだと知らなかったけど。


 「たぶん、君は『先祖返り』なんだと思う」

 「『先祖返り』ですか?」

 「ご先祖様に、オーガの血を持つ人がいたのかもしれない。ほとんど血が薄まったのに、君だけうっかりオーガの血が現れてしまった」

 「じゃあ、両親はちゃんと人間だったってことですか?」

 「その可能性は高いよ。現に君は、今は人間の匂いがするってジャックが言ってた」

 「人間の匂い……」


 俺、匂うんだろうか。

 いやさっき吐いたから普通に臭いと思う。


 「ジャックは、モンスターと人間を匂いで判別できるんだ。その血の濃さまでね。コウモリよりも犬の方が近いんじゃないのと思っちゃうけど」


 そういえば、先程ジャック・ヴァンフィールドに匂いを嗅がれた。

 あれはそういうことだったのか。


 「でも、その鼻のお陰で、君を助けることができた」

 「え?」

 「歩いてたら急にあいつが、モンスターの匂いがするって走り出したんだよ。僕らがあそこにいなかったら、君はあのエクソシストに倒されていた」


 叶山に向けられた銃を思い出す。

 そうだ。俺は。


 「君みたいなのを安全な場所に連れて行くのも、僕らの目的でね。だから今日のところは、あそこのバーに泊ってくれないかな」

 「……わかり、ました」


 俺とヒビキさんは、人だかりに見つからないようにその場を離れた。



 「そんなわけで、お世話になります」

 「あいよ」


 俺は再びバーに戻ってきて、バーカウンターの奥にいる幸子さんに頭を下げた。

 ここは幸子さんの運営するお店なのだそうだ。

 とはいっても、他に従業員はいない。

 お店の体をとった、バイティドッグスのアジトらしい。

 店主であるマスターと、ここで寝泊まりしているレオ改めレオナルドさん以外は、帰っていった。


 「奥の部屋に、寝るところ作ってあるから」

 「段ボールに布団を敷いただけで寝にくいだろうけど、我慢しとくれよ」

 「いえ、助かります」


 レオナルドさんが「ついてきて」と言うので、俺は彼の後ろについていった。


 「俺と同じ部屋になっちゃうから、申し訳ないんだけど」


 そう言うと、レオナルドさんは部屋のドアを開けた。

 そこは、ぱっと見る限りは倉庫だった。

 お酒と野菜が沢山積み上げられている。


 その棚の奥に、横になる場所があった。

 隅の方に簡易ベッドが置かれ、棚とベッドの間に無理矢理もう一人分の寝るスペースが作られていた。


 「何から何まですみません」


 俺は頭を下げて、はたと気が付く。

 先程吐いてしまってから、お風呂に入っていない。


 「こんな状態じゃ寝られないです」


 コンビニでアメニティを買って来よう。

 そう思ったけれど、家の前の騒動を思い出して、少しだけ怖くなった。


 「大丈夫だよ。ちゃんとシーツ洗っているから」

 「いえ、そっちじゃなくて!」


 「大丈夫」


 慌てて否定した俺の頭を、レオナルドさんは優しく撫でてくれた。


 「ここに連れて来られる子は、みんな似たようなものだから」


 レオナルドさんが、俺の背中を押す。


 「今日は疲れたでしょ。寝てから色々考えればいいよ」


 その声があまりにも優しいから、泣きそうになった。

 俺はその顔を隠すようにベッドの中に入る。

 そして、泣く暇もなく眠りに落ちるのだった。



 「本日は晴天なり!」


 勢いよく開けられたドアの音と、部屋中に響き渡る声に起こされた。


 ドアの前で腰に手を当てて立っているのは、ジャック・ヴァンフィールドだった。


 昨日と同じ服のままだ。

 しかし、手荷物が増えている。


 「起きたまえ、大ヶ谷少年、レオナルド。外は良い天気であるぞ!」


 俺はヒビキさんに回収してもらった鞄からスマホを取り出して時間を確かめた。

 朝の9時だった。

 

 吸血鬼って、夜行性なのではないのか。

 そう思ってスマホをよく確認するけれども、壊れていない。

 ネットで調べても、時刻は朝の9時を少し過ぎたところだった。


 「おはよう、ジャック。どうしたの?」

 「どうしたではないぞ、レオナルド。大ヶ谷少年をあそこに連れて行かねばならんだろう!」

 「ああ、ジャックお気に入りのあそこか」

 「左様!」


 レオナルドさんが、ベッドから降りた。


 「それじゃあ正吾くん、荷物持って」

 「え、あ、はい」


 俺はレオナルドさんに言われるがままに荷物を持った。


 「では、いざ行かん。安息の地へ!」


 ジャック・ヴァンフィールドが大袈裟な身振りで部屋を出て行く。

 俺は慌てて追い掛けた。

 その俺の後ろを、レオナルドさんがのんびり歩いてくる。


 そういえばと探してみたが、幸子さんは見当たらない。


 「幸子さんなら、本業に行ったよ」

 「本業ですか?」

 「うん」


 俺がキョロキョロとしていたからだろう。

 レオナルドさんが、そう声をかけてくれた。


 「幸子さん、保育士をやっているんだ」


 山姥なのに!?


 俺は、叫びそうになったのを両手で口を押さえて止めた。


 「あはは、今、山姥なのにって思ったでしょ」


 そんな俺の思考は、筒抜けだったらしい。


 「幸子殿は子ども好きであるからな。天職であろう」

 「さすがにさらってきて食べたりしないから安心していいよ」


 俺の前後から、この場にいない人の情報が飛んでくる。

 山姥は子どもを食べると聞いていたのに、違うのだろうか。


 「幸子殿は菜食主義者であるからな」


 ジャック・ヴァンフィールドの発言が、一瞬だけわからなかった。

 菜食主義者。ベジタリアンということか。


 「山姥なのに!?」


 今度は、口から出てしまった。


 「他の山姥は会ったことないから知らないけど、幸子さんはヴィーガンだよ。乳製品もダメ」

 「ひよこさんが可哀想だから食べられないと抜かしておったな」


 幸子さんのクールな見た目からは想像できない台詞だ。

 いや、教科書に載っていた山姥の見た目で想像するともっと悲惨なことになるが。


 「そういう山姥もいるってことだねぇ」


 レオナルドさんが、のんびりとそう言った。

 

 そうこうしている内に、先頭を歩くジャック・ヴァンフィールドが店のドアを開けた。

 ここは地下にあるバーだ。

 ドアを開けても薄暗い。

 階段を上るジャック・ヴァンフィールドを見て、俺はふと気が付いた。


 吸血鬼って太陽の光がダメなのではなかったか。


 「ジャック・ヴァンフィールド、外に出たら……!」


 俺が止める前に、ジャック・ヴァンフィールドは階段を上り切ってしまった。

 灰になってしまうのか。

 そう慌てるが、モンスターが減ることはいいことなのではないか。

 しかし、あいつは俺を助けてくれた恩人である。

 喜んではいけないのではないか。


 俺が一気にそんなことを考えているとも知らず、ジャック・ヴァンフィールドが階段の下を振り返る。


 「余のことはジャックさんと呼んでいいぞ、大ヶ谷少年」


 今気にするとこはそこじゃねー!


 そう思うが、ジャック・ヴァンフィールドに何の変化も現れない。


 「ああ、そっか」


 固まってしまった俺の後ろで、レオナルドさんがぽんっと手を打った。


 「ジャックは太陽が平気なタイプの吸血鬼だよ」

 「それって吸血鬼なんですか!?」


 吸血鬼が太陽を浴びたら灰になることは、モンスター界でも一番有名なことだろう。

 あとにんにくと十字架が駄目とか。めちゃくちゃ有名だろう。

 それを「平気なタイプです」の一言で済ませて良いのか。


 「余は吸血鬼だし、太陽は平気だ。何か問題でもあるのかね」

 「いやだって、授業で習ったことと違う……」

 「ふむ」


 ジャック・ヴァンフィールドが腕を組んだ。


 「人間どもがどのような教育をしているか知らんが、余は余である。それだけだ」

 「それよりも早く行こうよ」


 そういうもの、なのだろうか。

 俺は、常識が崩壊していくことに混乱したまま階段を上った。

 

 ああ、いい天気だな。


 そんな風に思考を逃避させていたら、俺の横でぼんっと何かが爆発したような音がした。

 驚いて音のした方を見る。


 そこには、大型犬がいた。

 犬種にはあまり詳しくないが、ゴールデンレトリバーに見える。


 「……あれ、レオナルドさんは?」


 突然犬が現れて、後ろにいたはずのレオナルドさんが消えていた。

 しかしこの犬、レオナルドさんの荷物と服を持っている。

 まさか、とは思うが……。


 「これがレオだぞ」


 ジャック・ヴァンフィールドが、ゴールデンレトリバーを指差す。

 嫌な予感が当たってしまった。


 「わんっ!」


 指差された犬は、嬉しそうにそう言った。

 今のってただの犬の鳴き真似ですよね。

 完全に口で「わんっ」って言いましたよね。


 「え、待って……突っ込みが追い付かない……」


 犬に変化するモンスターって何が居ただろうか。

 それとも、犬が人間に化けていたのか。

 俺は必死に思い出そうとするが、とても有名なモンスター名がジャック・ヴァンフィールドの口から出て来た。


 「レオは狼男である」

 「いや、どう見ても犬ですよね!?」


 ジャック・ヴァンフィールドが、わしわしとレオナルドさんの首辺りを撫でている。

 レオナルドさんは気持ち良さそうにしていた。


 「そもそも、狼男って月光を浴びて変化しますよね!?」


 今は太陽が出ている時間である。

 何も狼男らしさがないのだが。


 「大ヶ谷少年は、割と細かいヤツなのだな」


 ジャック・ヴァンフィールドに溜息をつかれる。

 なんだろう。無性に釈然としない。


 「む、こんなところで立ち話をしている場合ではない。疾く行くぞ!」

 「そういえばさっきも安息の地とか言ってましたけど、どこに行くんですか?」


 3人……いや2人と1匹で歩きながら、尋ねる。


 「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた」


 ジャック・ヴァンフィールドは、堂々と表通りに出た。

 裏道から出て大丈夫なんだろうか。


 「行く先は、あそこだ!」


 彼が指差す先を見る。


 そこには「スーパー銭湯」の看板が掲げられた店があった。



 「は~極楽であるな!」


 ジャック・ヴァンフィールドは、手慣れた様子で大浴場に浸かる。

 体を洗ったタオルを頭に乗せているところまで、すっかりこの国の文化を楽しんでいるようだ。


 金髪碧眼で整った外見の男がやっていると、物凄い違和感である。

 しかもモンスターなのである。

 誰も突っ込まないのだろうか、なんて考える。


 その人、指名手配モンスターですよ……。


 しかし客は誰も騒がない。

 それどころか「兄ちゃん、今日も来たのか」なんて気さくに話し掛けている。

 常連らしい。


 「あれ、正吾くんまだ入ってなかったの?」


 体を洗っている途中の俺に、レオナルドさんが話し掛けてくる。


 「あれ、レオナルドさん戻ったんですか?」


 何にとは口にしなかった。

 誰かに聞かれたらマズいと思っての配慮だ。


 「ああ、10分くらい日の当たらないところにいれば人間に戻れるんだよね」

 「ちょっと、お風呂って意外と声響くんですよ!?」

 「いや、正吾くんの声の方が大きいよ……」


 ともあれ、人間の姿に戻ってからジャック・ヴァンフィールドを追いかけてくるのがいつものスタイルらしい。

 変身しちゃう人って大変なんだな。

 それともモンスターが変身してるのか?

 しかも、俺も変身タイプのモンスター人間だった。


 俺は、肩を落としながら売店で買ったアメニティを使って歯を磨く。

 全身の汚れを落としたところで、俺も大きな湯船に浸かる。

 もちろん、ジャック・ヴァンフィールドからは離れたところに座った。


 「お、大ヶ谷少年も来たか」


 しかし、向こうから寄ってきてしまった。

 他人のフリをしたいが、相手は恩人だと思って耐えた。


 「余はあれに行くが、君もどうかね」

 「あれ?」


 ジャック・ヴァンフィールドが指差す方向を見る。

 そこには、「サウナ」と看板が掛けられていた。


 「サウナ……行くんですか?」

 「うむ、あれはとても整って良いぞ!」

 「整うんですか……」

 「余のマイブームである!」


 吸血鬼がサウナで整うのか……。


 「俺はもう少しここでゆっくりしてます……」

 「そうかね? まあ、興味が湧いたらいつでも来るが良い。この余が直々に、入り方をレクチャーしてやろう」


 はっはっはっと笑いながらサウナに向かっていく吸血鬼の背中を、俺はぼんやりと見ていた。

 もう突っ込むのは諦めようと思った。


 そうだ。

 そんなことよりも折角の大浴場。

 こっちを楽しむ方が先だよな。

 この国に生まれて良かった。

 お風呂文化を発達させてくれた先人たちありがとう。


 そんなことを思いながら、肩までしっかりと堪能している。

 その時だった。


 「大変だよ、ジャック!」


 ガララっと脱衣所へ繋がるドアが開け放たれる。

 そこには、ピンクの髪を腰まで伸ばした美女がいた。


 何故、女性がここに!?


 しかしよく見てみると、髪色が違うがヒビキさんだった。

 なんだ、男か。


 「きゃあっ」


 だがおじさん達は、彼が女装が似合いすぎてしまうだけの男と知らない。

 可愛い悲鳴を上げながら、お湯の中に体を隠した。

 シュールな光景である。


 「ジャックならサウナだけど、緊急事態?」


 レオナルドさんが、頭を振って水気を飛ばしながら質問する。

 その行動は犬……いや、狼らしいのかもしれない。

 しかしここではただの迷惑だからやめた方が良いと思う。


 俺が心の中で突っ込みを続けていると、ヒビキさんが首を縦に振る。


 「丘の広場で、人間とモンスターが交戦中!」

 「ふむ、近いな」

 「うわっ!」


 いつの間にか俺のすぐ近くに、ジャック・ヴァンフィールドが立っていた。

 腰にはタオルが巻かれている。

 しかし俺の視線が低くなっている分、景観が危うい。


 「レオ、大ヶ谷少年。参るぞ!」


 2人が大浴場を出ていくので、俺も慌てて立ち上がる。

 ざっくりと全身を拭くと、急いで服を着る。

 沢山重ね着して洒落こんでいるジャック・ヴァンフィールドの方が、俺より早く支度を終えている。

 おかしいと突っ込むべきか、流石というべきか。


 「こっち!」


 答えを出す前に、ヒビキさんの急かす声に俺たちは走り出した。


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