第二話 異性

 季節は過ぎ、気づけば太陽がうっとうしく感じる夏を迎えていた。

 湿気しっけ混じりな不快感のある空気に、強く焼けるような日差し、今日も憎いほど快晴かいせいである。

 喫茶店としては、空調の効いた店内とアイスコーヒーにかれてくる客層が多くなるので、決して悪くはない。

 

 八月の初旬である今、高校も夏休みを迎えている為、ミニドリップは毎日昼から営業中である。

 決して、予定がないからというわけではない。

「あ~暑い……。こう毎日暑いとやってられないわよ」

 しわのない白のブラウスに、清潔感のある黒のスカートスーツ姿の武藤むとうさん。ぱたぱたとメニュー表で仰ぎながら、うんざりした表情を浮かべそうぼやく。

 この店の常連である武藤さんもまた、日々のまとわりつく湿気と気だるい暑さにうれいていた。胸元のボタンも一つ外して、色気のある汗ばんだ谷間があらわになっている。

 そんなだらしない姿も、もはや見慣れた光景である。

「……学生はいいなぁ~夏休みだもんね~」

「来るたびに言ってますよね、武藤さん」

 いつものように私はグラスを拭きながら、カウンター席で武藤さんをいなす。今日は珍しく、仕事の合間である昼休みに来てくれたのだが、どこか元気がない。

「あ~私も夏休み欲しい~……」

「結局の所そこですか……」

 成人し、社会人になるとほとんどの人間がそう思うらしい。確かに、夏休みは学生の特権かもしれない。

「いやーこれがね、男と花火大会の予定があるなら話は別よ?」

 交際関係に関して、まるで浮いた話がないからか、急に語気ごきが強くなる武藤さん。仕事が出来るのと、持ち前のルックスの良さが相まって、世の男性達は怖気おじけづくようだ。

「そういうものですかね……」

 別に相手が、男でなく友達でも良いのでは、なんて思ったがそれは無粋ぶすいなのだろう。

「休憩所でさ、いちいちマウント取られるのよ? 彼氏とどうのって……」

 心底嫌そうな表情を浮かべ、そうつぶやく武藤さん。

「なるほど……それは確かに中々くるものがありますね」

 グラスを拭きながら、そう相槌あいづちをうつ私。言われてみれば、教室内でも似たような話を女子グループが話していたような。

 差異さいはあれど、歳を重ねてもそういったものからは逃れられないのか……と気分が滅入めいる。

 まあ……私はそんなグループ内に入れてすらもらえてない、というのが現状であるけど。


「そうなのよ、だからどうしたらイイ男に会えるか、はるちゃんにご教授きょうじゅ願おうとおもって」

「今までそういった経験がない人に聞きます……?」

「ほら、よく愚痴を聞いたりしてるでしょ? 的確なアドバイスを私にも!」

 もはや、わらにもすがる勢いとはこの事なのだろうか。割と武藤さんの目が真面目だった事に、私は少したじろいだ。

「そ、そうですね……では、どなたかお友達と花火大会に行って現地調達ナンパ……というのは」

 咄嗟とっさにでた苦し紛れのアドバイスは、何とも平凡なものだった。それに現地調達ナンパという言葉は、少し下品だったかもしれない。

「なるほど、フリーをアピールして現地調達ナンパ作戦か……」

 意外と思っていたより、武藤さんの反応は悪くないようだ。

「できれば、武藤さん並かそれ以下の女性が好ましいですね」

「はるちゃん、しれっとあくどいこと言うね」

「あくどい、とは酷いですね。少しでも可能性が高いプランを提示しただけです」

 毅然きぜんとした態度でそう言い返す私。あくどいとはあんまりである。

「ま、まあ確かに……そうだけどもね」

「というわけで、同僚や後輩を連れて行ってみてはいかがでしょう?」

「よーし! ここは天才てんさい軍師ぐんし春風はるかぜのプランにのっかってやろうじゃない!」

 さっきまでのうれいを帯びた表情とは裏腹に、急に活力がみなぎってきた武藤さん。

「じゃ! そろそろ休憩終わるからまたねー」

 いそいそと、カウンターにお会計の紙と千円札一枚を置き、そのまま笑顔で武藤さんは職場へ。

「まあ、何はどうあれ笑顔になったから良しとしましょう……」

 せめて、何も悪い事が起きない事を祈るばかりである。


 武藤さんが去ってから間もなく、新たに複数人の来店。

 見た所、一組のようだ。一息つこうと思っていたので、正直あまり嬉しくないのが本音である。

 入店を知らせるベルに、少しげんなりしながらも気持ちを切り替え、入り口へ向かう。

「いらっしゃいませ、何め――」

 言いかけた所で、思わず言葉に詰まる。複数の男性達は夏休みにもかかわらず、制服姿にスクールバッグという、何とも目立つ格好。

 それがあったからか、私はすぐに目の前の男性が同級生の人たちだと気づいた。

 もっと言えば、一人は確か同じクラスだ。

「三人でお願いしまーす」

 三人の内の陽気そうな坊主頭が、私にそう答える。少し髪が長めの一人はスマホに夢中のようだ。もう一人のさっぱりした短髪の男子は、チラチラとこちらを見ている。

 もしかして、気づかれたか……?

「……では、あちらの窓側の席が空いておりますのでどうぞ」

「お! これ俺らの貸切じゃーん! ほらファミレスにしなくて正解だったろ俊樹としき!」

 高校生特有のテンションでそう騒ぐ陽気男。俊樹と呼ばれた男は私から目線を逸らし、陽気男に騒ぐなとなだめつつ付いて行った。

 あまりクラスに馴染んでない私でも、この俊樹という男子の名前だけは聞き覚えがあった。


 確か……伊田いだ俊樹としき、だったかな。そう、それこそ先程話題に上がった、女子達の会話の中でだけど。


 失礼な話だが、後の二人はまるで知らない。同じクラスかもしれないけど。

「では、お決まりになりましたらお呼びください」

 決して悟られぬよう、普段と変わらぬ振る舞いで、その場を乗り切る私。

 がやがやと騒ぐ三人をよそに、私はそそくさとカウンター側に逃げこんだ。表情には出してないが、最悪である。よりによって同級生が来るなんて。

 近くに、高校生の溜まり場とも言えるファミレスがあっただろうに。まあ高校生がここに来る理由なんて、他が混んでいたから、それだけだろうけども。

「店員さーん! 決まりましたー!」

「……お待たせしました、ご注文をお伺いします」

「えっとコーラ三つと、このチョコパフェを三つで!」

 よりによって、パフェ三つとか嫌がらせか? 私に何の恨みが。いや、売り上げに貢献こうけんしてくれるのは良い事ではあるけども。

「あとスマイルひとつ!」

 いかにも子供っぽい笑いをしながら、そんなふざけた事をいう陽気男。今ならぼうファーストフード店の店員の気持ちが分かる気がする。純粋に、殺意しか生まれない。

「お前やめろそういうのは! 店員さん困ってんだろ!」

 顔を赤くしながらそう陽気男に叫ぶ伊田俊樹。全くである。流石女子に人気なだけあってこの男は常識人なようだ。私の中で僅かであるが彼への好感度があがった。

「おいおい何お前だけいい人ぶってんだよー!」

 陰気いんき男が伊田俊樹にそうからかい気味に言う。そうか、あなたはそっち側か。

「……では、すぐにお持ちしますので少々お待ちくださいませ」

 少々語気を強めて私はそう答え、カウンター裏に戻る。

「絶対今店員怒ってたって……」

「いやいや! それは俊樹の考えすぎでしょー」

「流石にあんなんで怒ったらプロ失格だわー」

 ――悪かったなプロ失格で。私プロ失格みたいだからパフェちゃんと作れないかもしれないな。

 ココアパウダーじゃなくて、き終わった後の豆をかけちゃうかもしれない。


 なんて、内心非常に穏やかではない状態で、私はコーラを先出しした後、パフェを持っていった。

 異物混入とか騒がれても嫌なので、今回は伊田俊樹にめんじて許してやろう。

 我ながら、何とも慈悲じひ深い。

「うおーアイスうめー! なんかラクトアイスじゃなくてアイスクリームって感じするわ!」

 三流以下の食レポを披露する陽気男。これがテレビなら即クビ間違いなしだろう。

「確かに結構旨いなこれ」

 素朴そぼくな感想を述べる俊樹。流石、女子ウケがいい男子。

「ふーん、リッチじゃん」

 一人天才テニスプレイヤーみたいな食レポをする陰気いんき男。個人的に嫌いじゃない。一部変なこと言ってるが、まあおいしいといってくれたので良しとしよう。

「……おい、つかこんな呑気のんきにパフェ食ってる場合じゃないだろ」

「全くだぞ、誰の為に集まったんだと思ってる俊樹」

 暇なので聞き耳を立てながらキッチンで休憩していると、なにやら面白そうな会話を始める三人。

「で、いつ誘うんだよ」

「い、いや~……」

「ここまで来て誘えませんでした、はないぞ」

 なにやら伊田俊樹、もといモテ男が詰められている様子。予想するに、誰か女子でも誘うのだろうか。流石、モテる男子は違う。

「やっぱ緊張するって! まじで!」

 どうやら、プレイボーイであろうと誘うのは緊張が伴うようである。もちろん私は、誘われた事も誘った事もない。なので、あまりその緊張は実感がわかない。

「はぁーモテ男の癖にそんな事悩みやがって」

「全くだ、こちとら言い寄ってくる女子すら居ないんだぞ! 分けろ、独占するな!」

 だんだん会話が非モテ男のひがみみたいになってきてみにくい有様である。しかし、気持ちはわからなくもない……。何事も独占は良くないと思う。

 なんて、意外と人の色恋話は面白いと感じはじめた私。

 聞き耳を立てるのは良くないと分かっているが、このモテ男が一体誰を誘おうとしてるのか気になってきてしまい、ついつい耳をすましてしまう。

「と、とりあえず……日も近いし今日誘うわ」

「お、言ったな! 絶対だぞ俊樹!」

「……じゃあ、俺らは先帰るとするか」

「そうだな、後で絶対報告しろよ?」

 二人はそういうとモテ男にお金を渡し、さっさと出て行ってしまった。

 相談してる風だったが、全然二人とも役に立ってないような気がしたが、私の気のせいだろうか。

 そうか、伊田俊樹はこれからその人に会いに行くのか、是非とも頑張ってほしいものである。


「すみません、お会計お願いします」

 呼ばれた私は変わらぬ振る舞いで席の方へ向かう。まるで、聞き耳なんて立てていませんでしたよと言わんばかりに。

「お待たせしました、お会計でよろしかったですか?」

「あ、えっとはい……」

 どこか様子が変なモテ男。それもそうか、これからのイベントを考えれば妥当かもしれない。まあ、少し早すぎるかもしれないが。

「……あの、急に失礼かもしれないですけど、同じクラスの香笛さん……ですよね?」

 唐突にそんな事を聞かれ、思わず手が止まる。

「……そうですが」

 やっぱり気づいていたか、という気持ちと何故急に、という疑問の気持ちが入り混じる。

「え、えっと俺、同じクラスの……」

「伊田俊樹君……ですよね?」

「あ、まさか覚えてもらえてたとは……嬉しいっす」

 相手が名前を言う前に言い当てる私。どうやら覚えてもらえていたのが嬉しかったようで、気恥ずかしそうに頭をかくモテ男。

 別に私に覚えてもらっていても嬉しくはないだろ……校内一の美少女じゃあるまいし。

「……あの、一応ここで働いてる事は内緒でお願いします」

 流石にクラスでネタにされるのも嫌だし、そうでなくてもあまり、知られたくはない。周りも多分、知りたくはないだろう。

「あ、りょ、了解っす……!」

「そ、それで……なんですけど」

 なにか、言いにくそうにしている様子のモテ男。自分の手元にある、受け取ったままの千円札二枚に気づいた私は、すぐに理解した。

「あ、すみませんおつりですよね? 失礼しました、二千三百円お預かりしましたので三十二円のお返しになります」

 申し訳なさそうに私は急いでレジを打ち、おつりを彼に渡した。

「あ、はい……ってそうじゃなくて!」

 彼から思ってもよらなかった、ノリツッコミが返って来た事に驚く私。あれ? おつりの話じゃない……? でも他に何も……。

「あの、そのですね……!」

「……なんでしょう?」

 正直、何かしたかなと内心色々考えてみたものの、まるで見当がつかない。コーラの炭酸が抜けてたとか、そういう話だろうか?

 もしくは意図せずパフェに異物が? だとしたらそれは、私の漏れた呪いなので許して欲しい。

「……今度の日曜日、暇ですか?」

「……は?」

 思わず、素のリアクションが出てしまった。目が点になり、口が開いたまま塞がらなかったのは久々である。

「もし、空いてたら……一緒に花火見に行きませんか!」

 顔を真っ赤にして、意を決したようにそう言う彼の目は、確かに私の瞳を見つめている。

「……あの、えっと」

 突然の事で頭が回らず、上手く言葉にできない。

「な、何故私と……? あ、ああなんかの罰ゲームとか……?」

「罰ゲームだなんてそんなわけないです! むしろご褒美というか、超嬉しいっていうか!」

 言いかけて、自分が凄く恥ずかしい事を言っている事に気づき、言いよどむむ彼。

「と、とにかく! 香笛かふえさんと花火を見たいんです!」

「す、すみません……あの、いきなりすぎてなんて返したらいいか……」

 しどろもどろになりながら、もはや挙動きょどう不審ふしんですらある私。考えがまとまらず追いつかない。

 某ステーキ店だってここまでいきなりじゃないと思う。

 なんて考えている余裕がまだ私にはあったので、思っていたより脳内は冷静なようだ。

「そ、そうですよね! いきなり誘われても迷惑ですよね! すみません!!」

 そんな私とは反対に、彼はだいぶ動揺を隠せないようだ。

「で、ではもし暇だったらで良いので! 今週の日曜日! 夜の六時に桜崎さくらざき公園の前に来てください! 俺、待ってますんで! それでは失礼します!」

 強い濁流のごとく、そう最後まで言い切ると、恥ずかしさからか、そのままダッシュで店を飛び出していってしまったモテ男、もとい伊田俊樹。

「は、はあ……」

 嵐が過ぎ去った後にも似た感覚を全身で感じながら、私はしばらく茫然ぼうぜん自失じしつとしていた。まさか、よりにもよって誘う相手が私だったなんて……。

 これは、何かの間違いではないのだろうか。そんな思いがずっと脳内を駆け回っていた。


 翌日の夜、いつものようにカウンター席に座り愚痴を零す武藤さん。話を聞きながらも、私の頭の中は昨日の事で一杯である。

 なにせ、人生で初めての出来事だったのだ。おかしくはないだろう。

「……あのーはるちゃん? なんか今日上の空じゃない?」

 案の定、異変を感じたのか武藤さんに勘付かれてしまう。流石デキる女性、鋭い感性を持っているようだ。

「そ、そうでしょうか? 特にいつもと変わらないですが……」

 答えるまでの一瞬の表情変化を、武藤さんは見逃さなかった。

「今、一瞬ドキッとしたでしょ」

「……いえ、そのような事は」

「何よー水臭いわね、何か悩みがあるならこの私に相談してみなさい?」

 非常に豊かな胸を張りながら、頼ってくれといわんばかりの表情で武藤さんが言う。

 この前の会話もある中で、クラスメイトに花火大会を誘われたなどと相談できるだろうか。

 否、間違いなくそれは反感を買いかねない。コミュニケーションが苦手な私でも、こればかりは悪手あくしゅだと分かる。

「あ、ちなみに恋愛相談しようものならこのミニドリップが火の海になるけどね」

 フランクに笑いながら、そんな事を軽く言ってのける武藤さん。まずい、目が笑っていない……。

 やはり言わなくて正解だったようである。危うくこの店が灰塵はいじんに帰す所だった。

「まあ、あのはるちゃんに限ってそんな相談はないと思うけどさ」

「……その通りです」

 言えない……よりによってその類の相談なんですとは、口が裂けても。

「……え、何か今、間がなかった?」

 一瞬の機微きびを見逃さなかった武藤さん、急に疑惑の眼差しがこちらに向く。思わず、咄嗟とっさに言葉が出ず目線をらしてしまう。

「……え? 嘘、だよね? あのはるちゃんが私を裏切るわけ……」

「いえ、その……」

「だ、誰じゃー! うちの娘をたぶらかしたクソガキはー!」

 全てを察したのか、一変し急に叫びだす武藤さん。

「ちょっ! ちょっと待ってください! 違います、違いますって!」

 これ以上はややこしくなると確信した私は、正直に話す事を選んだ。


 やがて、事の経緯いきさつを説明し終えると、武藤さんはどこか嬉しそうだった。

「いやーそっかー……とうとう、あのはるちゃんにも色恋の話が」

「何か、思っていた反応と違いますね。てっきりミニドリップが火の海になるのかと」

「いやいや、冗談に決まってるでしょ! 流石に私だって高校生にひがんだりしないわよ」

 笑いながらそう返してくれる武藤さんを余所に、私は半信半疑な眼差しを向けていた。

「ま、そんな事はさておいてよ! どんな子? 学歴は? 年収どれくらーい?」

「凄い食いつきますね……さてはあわよくば、いただいちゃおうとか思ってます?」

 高校生に学歴も何も、もっと言えば年収なんて聞く意味はないと私は思う。

「思わないよ! 犯罪だよ未成年とか! 流石にそこまで飢えてないわ!」

 相変わらず、キレのあるツッコミをくれる武藤さん。流石に私の考え過ぎだったようだ。

「ちなみに女子の会話から名前を知っただけで、他は全く知らないです」

「えー! 何か接点とかあったんじゃないの?」

「同じクラスではあるんですが……記憶にないですね。私が覚えてないだけかもですが」

 正直な話、何か部活をやってるかも分からないレベルである。あまり言いたくはないが、クラスメイトにそこまで興味がない。

「はるちゃんらしいといえばらしいけど……まさかそこまで、人に関心がないとはねえ」

「何と言いますか、あまり自分から人に関わろうと思った事がないんですよね」

 今でこそ武藤さんとは仲良く喋ってはいるが、きっと話しかけてくれなければ、未来は違っただろうとさえ思う。

「これは、チャンスだね。はるちゃんが人に関心を持つきっかけになるかも」

 ふざけているようで、どこか真面目そうな表情の武藤さん。きっと、本気で心配してくれているのだろう。

 これから、社会に出るにあたって人間関係とは、避けられないものなのだから。

「でも、失礼じゃないですかね? 好意がないのに行くなんて」

 私的わたしてき価値観であるが、そんな事をつい思ってしまう。


「ふふ、そうでもないよ。だってあるもの」


 半分ほどアイスコーヒーが残ったグラスをかたむけけながら、したたる結露を見つめ、うれいのある声色こわいろでそうつぶやく。

 今までの過去の中で、きっと何か思う所があったのだろう。

 そう話す武藤さんは、私の目にはどこか、いつも以上に大人びて映った。


「ま、何事も物は試しって言うでしょ? 良いじゃない、一度きりの高校生活なんだから」

 何気ない様子でそう言ってみせる武藤さんに、私は何ともいえない説得力を感じていた。

「……ズルいです、たまにそうやって良い事を言うのって」

「べっつに良い事でも何でもないよ、あくまで今までの経験からくる言葉ってやつさ」

「……分かりました、武藤さんの言葉に感化されたので試しに行ってみます」

「まあ気負きおいせず、楽しんでくる位の気持ちで行って来なよ」

「……そうですね」

 拭いていたグラスをあわ純白じゅんぱくに光る蛍光灯へ、かす様に向けながらそう呟く。

「あー私も青春したいなー! くぅー!」

 身悶みもだえるような素振りを見せながら武藤さんが叫び、アイスコーヒーを一気飲みする。

「もう青春とかいう歳じゃ……いえ、何でもないです」

「おっとー? はるちゃんにそんな自殺願望あったなんて、知らなかったなぁー私」

「冗談ですよ、まだ華の二十代ですもんね」

「何かとげを感じる言い方だなぁ。悪意が見え隠れしてるよ」

 そんな何気ないいつものやり取りも交わしつつ、やがて今日も一日が終わろうとしていた。

 

 もしこれで異性に対する気持ちが分かれば、武藤さんの気持ちを少しは分かるのかも知れない、なんて。

 そんなどこかよこしまとも言える感情を抱えながら、私は花火大会のことを考えていた。

 この選択によって、未来が大きく変わるかもしれないなんて、つゆとも思わずに。

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