第9話 天道是か非か


 幽玄探偵社は公安の下部組織である。そのことを知っているのは社員の中で頼雅だけだ。


 万が一なにかあっても、一切情報を漏らさない契約になっている。


 頼雅は探偵社で起こりうる全ての責任を背負う代わりに、警察から捜査協力を得られる。とはいえそれは最終手段だ。借りを作る以前に、失点で立場を危うくしかねない。


 幸い、情報戦に強いメンバーがいるため、防犯カメラやETCの記録から車を把握できた。


 つぐみの乗った車が向かったのは、浄明寺方面。近くには源頼朝にゆかりのある衣張山きぬばりやまがあり、景観の良さも有名である。


 狭い林道前に車を止め、二人は地面を踏み締める。


「うへー、この中から探すのは骨だね」


 静まり返った住宅を前に、蓮次は早くも根を上げそうになった。頼雅は決然と前を見据えている。


「ある程度は絞れる。土地所有者に怪しい人物はいないかどうか、休暇シーズンでもないのに旅行者がいたら目立つ。どちらにしても総当たりだ。とりあえず一晩あれば回れるか」


 舗装されていない道に車の轍が残っていた。雨で地面が濡れているせいだ。まずは、これを目印に捜索を始める。

 

 目当ての車は林道から少し入った場所で、あっさり見つかった。


「あんまりうまくねえな」


 頼雅はいぶかしんだ。


「なんで? 簡単にみつかってラッキーじゃん」


「それだよ。この家、車庫があるのにこんな半端な場所に停めてある。わざと見つけてくれと言ってるようなもんだ。やっぱり罠か。だりい」


 頼雅は堂々と、敷地に入る。狙撃を警戒しながら裏に回り込む蓮次もおそるおそる後に続く。


「なあ、社長の言う通りなら人を集めた方が……」


「いや、時間がない……、気がする。それに、犠牲は少ない方がいいと言ったろ。俺は一人でも行く」


 腹を決めた頼雅の前で怖じ気付いたといは言えず、蓮次は従う他なかった。

 

 一階の部屋の窓に、ぼんやり明かりがともっている。


 蓮次が白騎士を先行させ、中を改めた。物質を透過できるため、人為的な罠を無視できる。


 テーブルの上に、水と食べ物。人がいた痕跡がある。調べさせた結果、家主は現在仕事で他県に出張している。

 

 つまり誰かが不当にこの家を占拠していることになる。


「どうする? センサーとか罠っぽいのはないみたい」


「決まってんだろ。誘拐犯をぶちのめす!」


 頼雅は窓ガラスを蹴破り、荒々しく中に侵入した。 

 

「ははっ……、つぐみちゃんのことになると見境ないな」


 蓮次も口笛を吹きながら窓枠を越える。


 部屋のヒーターは切られていたが、まだ暖かい。テーブルには大判の本が広げて置かれていた。鎌倉の古刹を特集したページには、苔むした灯籠の写真が載っている。


 蓮次が率先して家のすみずみまで探したが、つぐみは見あたらない。頼雅は立ったまま開かれた本に目を投じていた。


「つぐみちゃんの気配をかすかに感じるんだ。けど、どこにいるんだろう」


「そうだな……、まだ遠くには行ってない。蓮次、つぐみの気配が消えた辺りに連れてってくれ」


 最初の部屋を出て、突き当たりの一室に二人は入った。そこは物置として使われていた。使われていない調度にシーツがかかっている。

 

 頼雅は足下に違和感を覚えた。砂を踏むような感触がする。スマホのライトを頼りに足下を調べた。

 

 ほこりの途切れた床に手を当てる。白い石の破片のようなものを見つけた。蓮次も気になり目を凝らす。


「なんだい、それは」


「さあな。だが、敵の尻尾は掴めそうだぜ」


 

  



 つぐみは劉と共に、狭いトンネルを歩いていた。懐中電灯を手にしたつぐみは気丈に前を向いている。


「足下に気をつけてください。ここは硬い岩が転がってますから」


 劉は観光ガイドのように甲斐甲斐しく世話を焼いた。


「お前、祓い屋かなにかじゃろ。儂をこんなかびくさいところに閉じこめて満足か」


「めっそうもない。告白しますと、私は怪異の専門家ではありません。ただ、会ったことはあります。少し長くなりますが」


 そう前置きしながら、劉は立ち止まった。


「私が生まれたのは中国の寒村です。兄弟はたくさんいましたが、食うにも困る貧しい家でした。父親は出稼ぎで春節の時ぐらいしか帰ってきません。私は父親の帰りを待ちながら鶏を抱いて眠るのが日課でした」


 彼はある朝、不思議な体験をしたという。


「まだ十歳かそこらのことだったと思います。明け方うとうとしていると、やけに寒い風が吹き込んできます。足音が聞こえました。首に誰かの手が当てられました。慈しむというより、脈を計る感じでした。それだけで親でないとわかります。低く押さえた男の声で「お前は××か?」と訊かれたので私は違うと答えました。目は何故か開きませんでした。しばらくして足音は去っていきました。目を開けると、温かい血が服に染みていました。首のない鶏を抱いていたのでした。おしまい」


 話を聞いていたつぐみは、鼻から息を吐いた。

 

「鶏の首を持ち去ったのが怪異と言いたいわけか。どうせ腹が空いて食べちゃったのを怪異のせいにしただけじゃろ」


 劉は子供っぽく目を丸くした。


「母もつぐみさんと同じこと言ってました。けれど、私のところに来たのは間違いなく怪異です。そこで疑問が生まれました。どうして死んだのは私ではなく、鶏だったのですか? つぐみさんにはわかりますか?」


「理由などない。たぶんな。それにわしにそれを訊ねるのは筋違いであろう」


 怪異は運命にかかわらない。つぐみの信条だ。それは人間とかかわるとろくなことがないという経験測に基づいている。かつて京の都を騒がせた鵺の末路は、強い教訓を与えていた。


 風がうねりとなり、洞窟を包み込んだ。劉の言葉が聞き取りづらくなる。


「あなたは私にお菓子を譲ってくれましたね。そこには理由があるはずです。天道是か非か。教えてもらいます」 


 洞窟全体が鳴動し、風の勢いは嵐に迫るものになった。


「なにか……、来る!」


 つぐみの肌が泡立ち、自然と足が前に出た。本能が(あるとするなら)、逃げろと告げる。


「さすが、勘がいいです。この前、貴方は怪異を消しましたね。原理的には玉突き事故のような単純なものでしょう。大きな力で押し出す。それだけならまだしも、あなたは現実に存在し、世界に影響を当ててている。もし、今ここで同じことをしたらどうなります? 宇宙が出来てしまうかもしれませんよ」


 劉はつぐみを命の危険にさらし、新たな力を引きだそうとしていた。


 風の音に混じり、シューシューという異音がそこかしこから聞こえてくる。

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